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パウロ伝
68-78 節
タルソであまり活動しなかった8年間
異邦人がキリスト教会に加わった
パウロ、バルナバによって見いだされアンテオケに連れてこられた。
そこでの彼の働き
当時の知られている世界
ギリシャ人
ローマ人
ユダヤ人
未開人と奴隷
68.活動しなかった年々・・・ パウロは今や、自分の福音を持ち、異邦人にそれを伝えること
が彼の使命であることを自覚していたが、彼の特別な仕事を始める前に、長い期間じっと待っ ていた。私たちは7〜8年間、彼についてほとんど何も聞かない。けれどもそんなに長く神の僕 を待たせた摂理の理由を、私たちはただ推測することしかできない。
69.パウロ自身の霊的な歩みに関する個人的な理由があるかも知れない。なぜなら、摂理の
働きをするために召された人々である弟子たちにとって、待つことは神がよく用いられる手段 であった。公の理由は、何か注意が払われるキリスト教の活動をすることはユダヤ人の指導 者たちに許容される時ではなかったからであろう。それはパウロが彼らとってあまりにも不快な 人物であったからかも知れない。彼の回心が起きた場所、ダマスコで説教を試みたことがあっ たが、直ちにユダヤ人の激怒を買って逃亡することを余儀なくされた。そしてエルサレムに行 き、キリスト者であることを証拠立て始めたが、2、3週間そこにいただけであった。そこは彼に とってあまりにも危険な場所であった。
ユダヤ人たちが滅ぼすために雇った人物が、彼らの信仰を宣べ伝える首謀者になったこと
を、そんなにすぐ許容できることはあり得なかったとしても何の不思議があるだろうか?
彼がエルサレムから逃げ去った時、故郷のタルソに足が向いた。そこで彼は密かに何年もと
どまった。
彼自身の家族にキリストを証したことは疑いない。彼の故郷の地キリキヤ地方で宣教もしたで
あろういくつかの暗示がある。しかしたとえ彼がそうしても、彼の働きは隠れた人物のそれに過 ぎなかった。というのは、それは新しい宗教運動中心でもなく、目に見える流れもさえもなかっ たからであった。
70.ただし、それらはこれらの年の間密かにしていた理由の推測に過ぎない。
けれども、パウロがその仕事を始める前に最大限の時間をおいた疑うことのできない一つの
理由がある。
この期間に・・・人類の歴史上最も重大な・・・革命が起きた。キリスト教会にユダヤ人と同等の
特権をもって異邦人が加わることを認められたのであった。
この変化はエルサエムで最初の使徒たちのグループによって進められ、ペテロと主立った使
徒たちがその推進役となった。
ヨッパで見た聖い動物と汚れた動物が入ったシートの幻によって、ペテロはその解釈の為に整
えられ、異邦人コルネリオをカイザイヤ訊ね、コルネリオとその家族を割礼ではなく洗礼によっ て教会に加えた。これは計り知れない影響を含む変革であった。パウロによるのではなくペテ ロの手によって異邦人が最初に教会に加えられたことは、それに続くパウロの宣教の仕事の 最初に必要なことであって、それがいかに賢明な神の計らいであったかを示していた。
71.このできごとが起きたあとすぐに、働き場はパウロの経歴を明確にし、彼がそこに入って
いく戸が直ちに開かれた。
カイザリヤで異邦人の家族にバプテスマがなされるとほとんど同時に、シリヤの主都アンテオ
ケで、異邦人の間に大きなリバイバルが起きた。
その運動は迫害によってエルサレムから追放された人々によって始まった。そして使徒たちに
公認されたバルナバによって進められた。彼は使徒たちに信用されている補助者の一人であ って、その運動を助けるためにエルサレムから派遣されたのであった。
この人はパウロを知っていた。パウロが回心したあと最初にエルサエムに来て、そこのキリス
ト者たちに加わろうとしたとき、彼らは皆、羊のふりをして、歯と爪を隠している狼なのではない かと疑ってパウロを恐れた。
しかしバルナバは恐れと疑いをもっている長老たちにむかって立ち上がり、新しい回心者の身
に起きたことと彼の経歴を聞いて、彼を信じ、彼を受け入れるように皆に説得したのであった。 パウロがエルサエムを去るまで、ほんの2、3週間の交わりが続いたのみであったが、バルナ バはパウロの人柄に深い印象を受け、彼を忘れることがなかった。
バルナバはアンテオケにおけるリバイバルを指導するため下っていった時、すぐその働きがあ
まりにも大きいことに狼狽し、補助者の必要を感じた。そしてパウロこそが彼が必要としている 人物であることを思いついた。
タルソは、彼を探しに行くのにあまり遠くはなかった。パウロはバルナバの招きを受け入れ、バ
ルナバと一緒にアンテオケに戻った。
72.待っていた時がやってきた。彼はついに自分に最適な場所を見いだしたように、天性の
熱意をもって、異邦人への宣教の仕事に身を投じた。
その運動もたちまちそのような働き手の圧力を示した。弟子たちは非常に多くなり目立ったの
で、異邦人たちは彼らを新しい名・・・「キリスト者」という名で呼んだ。それはそれ以後キリスト に対する信仰の徽章となって続いている。・・・50万人の都市アンテオケは、エルサレムに代 わってキリスト教の中心地となった。
すぐに大きな教会ができ、そこにあふれている熱心さの証拠の一つとして、次第に異邦人への
宣教に人を派遣しようという熱心な提案が形成されていった。
当然、パウロがその役目に指名された。
73.当時の知られていた世界・・・こうして彼は生涯に渡ってその仕事をすることになったが、
ここでいったん休んで、彼が征服しようとしていた世界を概観してみよう。
彼の狙ったものはそれ以下ではなかった。
パウロの時代には、知られている世界は非常に小さかったので、それをたった一人の人間が
霊的に征服できるということが不可能とは思われなかった。新しい戦いのために、世界はそれ を達成できるように見事に備えられていたのであった。
74.その世界は地中海を囲む狭い円盤状の地域に限られていた。
海はその与えられた名に相応しく、それが置かれている他の緯度が取って代わるまで、世界
の重心の中心であった。
人間の生活の興味は、ヨーロッパの南側の国々と、西アジアと北アフリカの海岸の細長い地帯
に集中していた。
この小さな世界にある三つの都市が、各時代の人々の関心を分かち合った。
それらは、ローマ、アテネ、エルサレムであって、三つの民族・・・ローマ人、ギリシャ人、ユダヤ
人・・・の首都であって、昔の世界を支配者であった。
それらが各々文明の輪の三分の一ずつを支配したのではなく、それらの中心に混じり合って
いたのであった。互いにその存在の打ち消すことなく保たれていた。
75.ギリシャ人が最初にその世界の所有者となった。
彼らはさとく知性に富んだ人々であって、通商、文学と芸術を完全に駆使できた。
早くから彼らは植民地を展開し、彼らの子どもたちを彼らの生まれた土地から遙かに離れた東
西の新しい居住地に送りこんだ。
ついに彼らの間から一人の人物が立ち上がり、民族の最強の傾向性を自身に集中し、武力に
よってギリシャの版図をインドの境界にまで広げた。
偉大な皇帝はアレクサンダー大王であったが、彼の死後、国はばらばらに分割された。しか
し、ギリシャ人の生活と影響力の跡は、彼が敵を掃討するために送った軍隊が展開した国々 に残された。
シリアのアンテオケ、エジプトのアレクサンドリアのようなギリシャの都市群が、東の地域全体
を栄えさせた。ギリシャ人の商人たちはどこの貿易の中心地にもたくさんおり、ギリシャ人の教 師たちが多くの国々に文学を教えた。そして・・・その最も重要なことは・・・ギリシャ語が国々の 間の意思疎通をはかる最も重要な公用語となったことであった。
新約聖書の時代のユダヤ人でさえ、オリジナルのヘブル語は死語となってしまったが、自分た
ちの聖書をギリシャ語版で読むことができた。恐らくギリシャ語が世に知られているもののなか で最も完全なことばであるからであろう。キリスト教が世界に広められるための国際的な情報 伝達の手段として必要とされる前に、特別な摂理があったものと思われる。新約聖書はギリシ ャ語で書かれた。それでキリスト教の使徒たちが旅するところどこにおいても、彼らはこのこと ばによって彼らを理解させることができた。
76.次に世界の所有者となるローマ人の番がやってきた。
はじめは、その名前を引き継いだ近隣の都市の小さな血縁者たち過ぎなかったが、彼らは次
第に広がり、彼ら自身を強くし、戦争と支配する技術と武器を獲得し、あらがうことのできない 勝利者になっていった。そして彼らが世界の主人となるべくあらゆる方向に進軍していった。彼 らはギリシャそのものを服従させ、東に進軍し、アレクサンダーが征服し治めた国々を手に入 れた。事実、ジブラルタルから最も東の地域まで、知られていた全世界が彼らのものとなった。 彼らはギリシャ人の知性や穏やかさを持ち合わせていなかった。彼らの特性は力と正義であっ た。そして彼らの技術は詩や哲学ではなく、軍事力と司法であった。彼らは人々の人種による 境界を破壊し、互いに親密に行き来できるようにした。なぜなら彼らすべてが一様に一つの鉄 の法律のもとに置かれたからであった。
彼らは国々を道路によって穴を開け、その道路をローマにつないだ。彼らの土木技術の優れ
た成果はその一部が今もなお残っている。この道路によって福音の知らせが自由に伝わった のであった。このようにしてローマ人もまたはキリスト教の先駆者として備えられた。なぜなら彼 らの多くの国々に対する権威は、地方の民族の勝手な正義から、キリスト教を伝える人々の防 御となったからであった。
77.一方古代の第三の国民もまた世界の覇者となっていた。
軍隊の力によってではなく、ユダヤ人たちはギリシャ人やローマ人同様に広がっていった。事
実何世紀にもわたって、彼らは戦争の英雄が来るのを夢見ていた。その力は最も成功した異 邦人の覇者以上に輝くべきものであった。しかし、その英雄はやってこなかった。かわりに文 明の中心を占拠することは、もっと静かな方法で起きた。
聖書に何の記録もないマラキからマタイまでの4世紀間に、ユダヤ人に起きた変化ほどに習慣
を変えた国民はない。
旧約聖書の中に、私たちはパレスチナの狭い制限された地域の中に閉じ込められ、主として
農業に従事し外国の民を妬みを持って眺めているユダヤ人を見る。
事実、私たちは、まだやけくその頑固さでエルサレムにしがみつき、他の民族から離れている
ユダヤ人を新約聖書中に見いだす。しかし、彼らの習慣と住居は完全に変化していた。彼らは 農業を諦め、商業に希なほどの熱心をもち、そしてそれに成功した。この目的で彼らは、・・ア フリカ、アジア、ヨーロッパ全土へ・・散らばっていき、どんなところにでも彼らを見いださないと ころがなくなった。どんな段階を経てこの極端な変化が起きたかその長い軌跡を語ることは困 難である。しかしそれは起きた。そしてこれが初期のキリスト教の歴史に極めて重要な環境を 形成した。
ユダヤ人たちは住みついたところでどこにおいてでも会堂を建て、ただ一人の神に対する難い
信仰をもち、聖書を持っていた。そればかりでなく、彼らの会堂はどこにおいても、周囲の異邦 人から改宗者を得ていた。
異邦人たちの宗教は当時破綻状態にあった。小さな国の人々は、彼らの神が勝利者であるギ
リシャ人とローマ人から自分たちを守ることができなかったために、その信仰を失っていた。し かし、勝利者たちも他の理由で彼ら自身の神々への信仰を同様に失っていた。懐疑主義の時 代で、宗教は腐敗し、道徳は崩壊していた。しかし常に彼らには何かを信じる信仰を持つ天性 が存在した。宗教を探し求める人々がおり、彼らの多くはいい加減な信用のおけない多神教 の神々についての神話を拒否し、ユダヤ人の一神教を信じた。
この信仰の基本的な概念は、キリスト教信仰の基礎でもあった。
キリスト教を伝える人々は旅するどこにおいても、多くの宗教概念を共有する人々に出会っ
た。彼らの最初の説教は会堂でなされ、最初の回心者たちはユダヤ人たちと改宗者たちであ った。会堂はキリスト教を異邦人に伝える橋であった。
78.パウロが征服しようと出て行った世界は、そのような世界であった。これら三つの影響
は、どこにおいても行き渡っていた。しかし他に心にとめて置かなければならない二種類の 人々がいた。両方とも初期の説教者によって得られた多数の回心者たちである。彼らはもとも と様々な国々の住民であった。そしてそれから戦争の捕虜やその子孫であった奴隷もいた。 彼らは彼らの主人の必要に従って、一つの場所から他の場所へと移動することを余儀なくされ た。貧しい人々に喜びの訪れとして宣べ伝えられる宗教は、虐げられている人々を無視できな かった。キリスト教は当時の権力者たちとの軋轢があったが、その勝利が貧しい多数の人々 を幸せで明るいものした点にあることを忘れてはならない。
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