キリスト者の完全
弟と私は1735年の末にアメリカに向けて乗船するまで(「メソジスト=方法論者」という嘲笑の
ことばで呼ばれたすべての若い紳士たちと一緒に)同じ考えにとどまっていた。翌年のことであ ったが、私はサバンナで次の詩をしたためた。
・・日の下に一つのもの(何か)があろうか?
私の心を主と分かつために争うものが。
あゝ! もしあるならそれを除き、
ただひとり主が支配され、
私のすべての行動の主であられますように!
1738年の始めに、私がアメリカから戻ってきた時、私の心の叫びは、
おゝ、私の魂の内に何もありませんように。
ただ一つあなたの純粋な愛以外には!
おゝ、あなたの愛が私のすべてを支配しますように、
私の喜び、私の宝、そして私の栄冠!
異火を私の心から遠く引き離し
私のすべての行い、ことば、思いが
愛でありますように!
であった。私は誰かがこれに反対したということを聞いたことは全くなかった。そして本当に誰
が反対することができるだろうか?これはすべての信者だけではなく、真に目覚めさせられた すべての人がそう言いたいことではないのか?今日に至るまでに私が書いたものの中で、こ れ以上に強く明白なものがあろうか?
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