キリスト者の完全
1729年に、私は読むだけでなく、真理の唯一の標準また純粋な宗教の唯一の規範として聖
書を学ぶことを始めた。こうして私はだんだん明瞭な光をもって、「キリストのうちにあった心 情」を持っていること、そして「キリストが歩まれたとおりに歩くこと」の欠かすことのできない必 要性を理解した。それも彼の心の幾分かを持っているのではなく彼にあったすべての心を持 ち、そして多くの点でとかたいていの点でそうであるというのではなくすべての事柄において彼 が歩んだ通りに歩くことである。そしてこれは光であって、その頃からその光によって私は宗教 というものを、キリストに一律に従うこと、内も外も完全に私たちの主に一致することであると常 に考えるようになった。そればかりでなく私は、私自身あるいは他の人々の経験にあわせてこ の基準を曲げたり、私たちの偉大な模範者に一致しないことを許すこと以外には、もはや何も 恐れなかった。
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