キリスト者の完全  

4.1728年ロウの「キリスト者の完全」との出会い


1、2年後に、私はロウ氏のキリスト者の完全と厳粛な召命の二書を入手した。これらはこれま
でに勝って、私に半分だけキリスト者であることは絶対にありえないことを確信させた。そして
私は神の恵みによって(私はそれが私にとって絶対に必要であることを悟っていた。)私のす
べてを、すなわち私の魂と体と全存在とを、神に献げる決意をした。思慮深い人であるなら、こ
のことをやり過ぎだと言えるであろうか?あるいは、私たちのためにご自身をお与えになられ
た方に対する負い目が、私たち自身つまり私たちの持ちものすべてと私たちの全存在を捧げ
ること以下であってよいであろうか? 


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