パウロ伝  

第8章 パウロの教会の姿


128-144節
    歴史の外側と内側の概観
    異教徒の町にあるキリスト教会
    集会の場所
    出席した人々
    礼拝
     悪口と無秩序
     個人の家庭生活
    教会内の生活
     結論


128.外側と内側の歴史・・・休日の観光客がガイドブックを手に、記念碑、教会、公共の建物
や家々の外観をじっと見ながら知らない町を歩き、その方法でその町をよく知ったと思う。しか
しよく考えてみると、彼はその町についてほとんど何も学んでいないのである。なぜなら彼は建
物の中に入っていないからである。
彼は人々がどのような生活をしているか知っていない・・・どのような家具を彼らがもっている
か、あるいはどのような食物を彼らが食べているか・・・、あるいはより深い事柄について何を
語っているか、たとえば彼らが何を好み、何に憧れ、追い求めているか、そして彼らの分け前
の内容さえ知らない。
歴史を読むとき、人はしばしば同じような道で途方に暮れる。
目に見えるものは単に外側のことに過ぎない。それはあたかも木の断面を見る代わりに、視
線が外部の表面の輪郭をなぞっているのに似ている。王宮の華麗さと輝き、戦争と勝利、為政
者の興亡と変遷などは確実に記録された。しかし、読者が、もし農民や商人、聖職者や貴族の
足下で起きていることを1時間でも見ることができたなら、その時の歴史を遙によく学べたであ
ろう。
聖書の歴史においてさえ同様の困難さがある。使徒の働きの物語に私たちはパウロの歴史の
外部の詳細をスリルを覚えつつ受け取る。私たちは町から町へと急いで連れて行かれる。そし
て様々な教会の設立に伴うできごとについて知らされる。しかし私たちはしばしばとまってそれ
らの教会の内側のようなものを望んでも助けを得ない。パポスやイコニオム、テサロニケとか
ベレアやコリントで、パウロが去った後何が起きたであろうか?
キリスト者たちはなにを好み、彼らの礼拝の様子はどのようなものであっただろうか?

129.幸いなことに、これらのことがらの内部の眺めを得ることは可能である。
パウロの生涯の外側についてルカの解説に記述されているように、パウロ自身の書簡によっ
て私たちはその深い見地を見ることを許されている。
それらは歴史の別の土俵で再述されている。
このことは特に第3次伝道旅行のあたりで書かれた書簡にある。それらは彼の全伝道旅行を
カバーし、当時のできことの明らかな流れを投げかけている。
そのとき既に書かれていた先に述べた三つの書簡に加え、彼の生涯の同じ時期に属する他
の事柄がある。・・コリント人への手紙第一、この書は魔術師のマントのように私たちを2000
年以上も前に運んでくれる。そしてキリスト教会のあるギリシャの大きな町の雰囲気に私たちを
置き、その屋根を取り払って家のなかでのキリスト者たちの会合とそこで行われていることを
見ることを得させてくれる。

130.コリントにおけるキリスト者の集まり
このことに関する眺望は、私たちに奇妙な光景を証言している。安息日の夕方、もちろん異邦
人の町でも安息日を知っていた。忙しい港の仕事は終わり、通りは夜の娯楽を楽しむ人々で
溢れていた。なぜならそこは悪い昔の世界の中の最も悪い町であったからである。
外国から来た何百人もの商人、船乗りたちがたむろしている。若いローマ人の男は、このパリ
にやってきて軽馬車を駆って、憂さ晴らしに興じる。それは当時毎年行われた試合を前に、ボ
クサー、ランナー、競技戦車乗り、レスラーらの一団が、ファンに囲まれ、望んでいる冠を求め
て勝利するチャンスを論じている。暖かい穏やかな季節には、老いも若きも戸外で夕刻を楽し
み、やがて太陽は富んでいる町の金色の宮殿や寺院に金色の光を投げかけながらアドリア海
に沈む。

131.一方、キリスト者の小さな仲間たちは、かれらの決まった集合の時間に、あらゆる所か
ら礼拝に集まってきた。
集会の場所それ自体には、私たちの目にそれと分かるものはない。しかしあらゆる集会が行
われたところは、彼らが囲まれている豪華な寺院のようなものではなかった。それは近隣の会
堂でもなかった。それは恐らくあるキリスト者の個人の家、あるいはしばしば明らかにされてい
る富んだキリスト者商人の大きな部屋であったであろう。

132.ベンチを見回し、座っている人々の顔を見てみよう。
あなた方は直ちに彼らの間に隔たりの徴を認めるであろう。ある者はユダヤ人独特の顔立ち
をしている。一方残りの人々は異邦人の様々な国民の顔である。そして後者が大勢である。し
かしもっと詳しく見ると別な区別が認められるであろう。ある者は自由人の指輪をつけており、
他の人々は 奴隷である。そして後者の方が大勢である。
ここかしこに異邦人の仲間がいるのがギリシャの教会の普通の姿である。恐らく哲学者たちの
考え深いが青白い色合いの顔や、富む人々の自負心が認められる顔がある。しかし、大いな
る者は多くなく、力ある者も多くなく、高貴なものも多くない。大多数の者はこの大都会では愚
かで、弱い、下賎の者とされる人々に属する。彼らは奴隷であり、彼らの先祖は澄んだギリシ
ャの空気を吸っていなかった。彼らはダニューブ川あるいはドン川の堤防の上を群れをなして
うろついていた人々であった。

133.しかし、すべての顔に表れているもう一つのこと・・・彼らのこれまでの生涯の恐ろしい痕
跡・・を観察せよ。
現今のキリスト者の集会では、どちらを向いてもその顔に、人が幾世紀にも渡って受け継がれ
たキリスト教教育が生み出したものが投げかける特徴的な姿を見る。肉欲と罪よって刻まれた
しわのある顔はほんのここかしこに見られるに過ぎない。
しかしこのコリントの教会ではこれらの恐るべき象形文字(罪のしわの刻まれた顔)がいたると
ころに存在した。パウロは彼らにこう書いている。「不義は決して神の国を相続できないのをあ
なたがたは知らないのか?欺されるな。不品行な者、偶像を拝する者、偽る者、姦淫する者、
男娼となる者、人をそしる者、盗む者、貪欲な者、人をゆする者が神の国を嗣ぐことはない。あ
なたがたのうちのある者はそうであった。」(コリントT 6:9-11)
あの背が高く青白い顔のギリシャ人を見よ。彼はキルケ(注:ギリシャ神話の魔女。人を豚に変
える)の豚小屋のぬかるみにもがいていた。
あの背の低いスキタイ人の奴隷を見よ。彼はスリの常習犯だった。
あの細い鼻で鋭い目をしたユダヤ人を見よ。彼は大げさに飾り立てたコリント人貴族の若者か
ら彼が貸した金(ポンド)の重さの肉を切り取ろうとしているシャイロックであった。
けれども今大きな変化があった。
もう一つの話には罪の物語の他にこれらの顔つきが書かれている。
「しかし、あなたがたは洗われ、潔められ、私たちの神の霊によって、主イエスの名により義と
されている。」
彼らが歌っているのを聞きなさい。それは詩篇の40編:「主は私を滅びの穴と泥沼から引き上
げてくださった。」
彼らが投げかけることばの中にはなんと哀感があり、彼らの顔にはなんと喜びが広がっている
ことであろうか!
彼らは自分たちが無償の恵みと愛に死んだ方の記念碑となったことを知っている。

134.礼拝
しかし今全員が集まったことを想像してみよう。彼らの礼拝はどのように進められただろうか?
彼らの礼拝と大抵の私たちの礼拝との間にはこんな違いがある。ある一人のひとが彼らのた
めに祈り、説教し、詩篇を読む・・・などを導く代わりに、そこにいるすべての人が自由に彼らの
役割を行った。おそらくリーダーとか議長がいたであろうが、あるひとは聖書の一カ所を読み、
他のひとりが祈り、第三のひとが話し、第四の人が讃美歌を歌う、といったことが続く。それば
かりでなく、礼拝の進行に伴う違った局面に決まったリーダーがいなかったように思われる。誰
でも促しを感じたら立って、他の仲間を讃美、祈り、黙想に導いた。

135.この奇妙さは彼らと私たちとのあいだにあるもう一つの大きな差に起因していた。
出席者たちは非常に特異な賜物をもっていた。
ある人々は病気を癒やすというような奇跡的な力を持っていた。
他のひとびとは異言と呼ばれる風変わりな賜物を持っていた。
それがなんであるか完全には分かっていない。しかしそれは恍惚状態の一種のようである。そ
の中で、話し手は宗教的感覚で受け取った表現と高揚の両方を、情熱のこもった狂想曲として
注ぎ出した。
あるひとびとが持っているこの賜物は言っていることの意味を他の人々に語るこができなかっ
た。一方他の人々のうちにはこれに付加した力を持っていて、霊感された話し手が語ってい
る、彼ら自身が理解していないことを解釈することができた。
更に、非常に貴重な賜物である予言の賜物を持っているメンバーもいた。
予言の賜物というのは、未来に起きるできごとをあらかじめ告げる力ではなく、聖霊の感動を
受けた雄弁の賜物であって、不信者が集会に加わって予言を聞いたとき、しばしば驚くべき効
果を現した。彼は自分で抑制できない感情に捕らえられ、彼が過去に犯した罪が彼に明らか
になって彼の面前に現れ、彼はそれらが真実であることを神に告白した。
他のメンバーは私たちになじみ深い教える賜物、管理する賜物などを持っていた。
しかしどの場合であっても、直接的な霊感の一種の現れであり、予測したり準備したりできるも
のではなく、その瞬間の強い衝動によるものであった。

136.これらの現象は極めて異常なものであって、歴史上解説をしようとすると、信憑性につ
いて厳しい批判に晒されるであろう。
しかしそれらの証拠は議論の余地がないほど明白である。手紙を書く相手に彼ら自身の異常
性や、彼らの周囲についての神秘的できごとを語るひとはいない。おまけにパウロはこれらの
現れを励ますのではなくむしろ抑制するように書いている。
それが最初に世に入ってきた時、彼らは非常に大きな力を示した。キリスト教はそれに触れた
霊を所有した。彼の特殊な賜物は、通常彼の洗礼の際、洗礼を授ける人が手を彼の上に置い
たとき信者はだれでもそれを受けた。彼がそれに対する信仰にとどまるなら、彼はその力を発
揮し続けた。それは制限無く注がれた聖霊であって、聖霊が望むままに人の霊に入りこれらの
賜物を分かち与えるのであった。そしてどのメンバーも全体の体のために適した自分自身の
賜物を用いることができた。

137.前述のような礼拝が済むと、出席者たちは愛餐のために一緒に座った。それは主の最
後の晩餐にちなんでパンを裂き、友愛のキスをもって終わる。そして分かれておのおのの家に
帰った。
それは兄弟愛の輝きと霊的力の発露に生きている記念の光景であった。
キリスト者として彼らは、田舎町の何も意に介していない集団の間を通って自分たちの家に行
った。彼らは目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないものについて経験したという意識
があった。

138.悪い慣習と不品行
しかし光の側同様に暗闇の側の真実の絵も示される必要がある。
考えただけでも非常に痛みを覚える悪い慣習と不品行が教会の中にあった。それらは二つの
原因からきていて、ひとつは教会員の過去、もう一つは教会の中ユダヤ人と異邦人の要素が
入り交じっていたことにあった。大方の教会員が異教の神殿での礼拝から、キリスト教の純粋
で単純な礼拝をすることになっていかに大きな変化があったかを記憶するなら、彼らがいまだ
に過去の生活を捨てきれないで、変わらなければならないことがらをはっきり消し去ることがな
く、過去の生活が続けられていたとしてもひどく驚くことはない。

139.彼らの中のある人々のひどい肉欲の生活について聞き、そしてそれがさらに哲学的に
主義として擁護されていることを聞くと私たちはぎょっとさせられる。
ある教会員は明らかに富み地位のある人物であるが、異教徒の間でもスキャンダルである生
活を公然と行っていた。それでパウロはその人物を破門せよと叱責の手紙書いたが、教会は
その命令を誤解した振りをして従わなかった。

他のものは、偶像の神殿の祭りは大酒と馬鹿騒ぎがつきものであるにも関わらず、ためらわ
ず加わっていた。彼らは神々を称えたのではなく普通の食事をしたのだという理由をつけて自
らを容認した。そして時には罪人の仲間に加わらないなら、この世から出て行かなければなら
なくなると主張した。

140.これらの混乱は教会の中の異邦人に関する問題であったことは明らかである。
一方教会の中のユダヤ人たちには、同じ事柄についての奇妙な疑いとためらいがあった。
 たとえば異邦人の兄弟たちのだらしのない振る舞いを嫌悪したある人々は反対側の極端に
走った。お互いの結婚を非難し、寡婦がふたたび結婚してよいのか、不信者の妻と結婚してい
るキリスト者は彼女を去らせるべきか、というような事柄に疑念を抱いた。
異邦人の改宗者のあるひとびとが偶像の祭りに加わっている間に、ユダヤ人のあるひとびと
は、市場で売られている偶像に献げられた肉を買って良いか疑った。そしてそのことを気にし
ない兄弟たちを非難の目で見ていた。

141.これらの困難はキリスト者の家庭生活に関わるものであるが、公の集会でも同様であ
り、非常な不調和があった。
正に聖霊の賜物そのものが罪の道具に誤用された。なぜなら彼らが持っているものは異言の
ような目立つ賜物であったから、それを吹聴する素地があったのである。
これが混乱と騒ぎに導いた。というのしばしば二人か三人の異言を語るひとが同時に理解でき
ない表現で語ったからであった。それでパウロは、誰か教会外のひとが彼らの集会に入ってき
たら彼らを狂っていると思うに違いないと言った。
預言者たちはうんざりするほど長く語り、礼拝の中に占める割合があまりにも大きかった。
パウロはこれらの行き過ぎを厳しく責め、預言者の霊は預言者に従属するものであるから、霊
的衝動を混乱の言い訳にしてはならないという原理を強調した。

142.しかし教会の内側にもっと悪いことがあった。
主の聖餐の神聖ささえ汚された。メンバーが儀式に必要なパンと葡萄酒を教会にもってくる習
慣だったようである。しかし、富んでいる者は豊富に、上等なものを持ってきて、貧しい兄弟た
ちに分けることをしないで、飲み食いし始め、暴飲暴食し、主の食卓は酔っ払いとどんちゃん騒
ぎとなった。

143.この悲しむべき光景にもうひとつの暗い影を加えなければならない。
それをもって集会を終わる兄弟愛の口づけに代えて、かれらはお互いに対抗意識と争いに陥
った。疑いもなくこれは教会のなかで互いに異質の要素を持っていることに起因していた。しか
し、その非常にひどいものが許容されていたのであった。キリスト者の友の仲介を求めること
に代えて、兄弟が異邦人の法廷に他の兄弟を訴え出たのであった。会員の体が4つの神学的
な派閥に分裂していた。
あるものは自分たちをパウロ派と呼んだ。彼らは食べ物のことなどで弱い兄弟たちを非難し、
彼らの良心をかき乱した。
第二のものは、パウロの2次伝道旅行と3次伝道旅行の間にコリントを訪問したアレクサンドリ
ヤの雄弁な教師、アポロからアポロ派を名乗った。彼らは哲学的な一団で、死体からばらばら
になって散ってしまった原子が再び集まると推測することはばかげたことだという理由で復活を
否定した。
第3の派はペテロまたはケパ派を名のった。ヘブル純粋主義を反映してかれらはペテロ派を
選んだ。彼らはユダヤ人の狭量なこころによったものであって、パウロの自由な見地に反対し
た。
第4の派は、全部の団体にも上に影響をおよぼすものであって、彼ら自身を単純にキリスト者
派と呼んだ。その時から以上のような多くの派閥の非難者が、同様の方法でキリスト者の名を
用いていたが、彼らは最も厳しく悪意をもって非難する、パウロの権威を拒絶する派閥であっ
た。

144.結論
そのようなことは、パウロが教会に宛てたパウロ自身の書簡中にある色模様であって、様々な
ことがらが印象的に示されている。
それは例えばパウロ自身の心情と人柄はその当時であってもいかに他に類を見ないものであ
ったか、彼の良識の賜物と恩寵、大きな共感、意志の堅固さ、個人的純粋さと真実さは作られ
たばかりの教会にとって大きな祝福であった。それは私たちがキリスト教の黄金時代を探さな
ければならないときは、後を見るのではなく、前を見なければならないことを示している。どんな
慣習であっても、当時の教会に流行していたことが、すべての時代の規範であるとすることが
いかに危険であるかを示している。この種のものは何でも実験の段階であった。
事実、パウロの最後の手紙に、私たちはこれとは非常に違った段階の光景を見いだした。そ
の中に教会の礼拝と秩序についてはもっと固定化され順序だっていたことが示されている。私
たちがこの初期の時代に帰らなければならないのは、教会の機構の様式ではなく、生き生きと
した霊的な変革の力の光景についてである。これが常にキリスト者たちの憧れの目を使徒時
代に引きつけるものであって、聖霊の力がすべての教会員に力を与え、新鮮な感情の潮流が
全てのひとのこころに溢れ、誰もが彼らに訪ずれる新しい啓示の日の出を感じ、いのち、愛、
光がどこにおいても彼らに振りまかれていた。
若い教会の悪ささえ豊かないのちによる異常であって、多くの祖先たちの生涯の秩序の欠け
のため、修正が貧弱にしか行われなかったのであった。



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