パウロ伝  

第10章  終章


 163 - 189 節
     エルサレムへの帰還
      投獄が近づく予言
     逮捕
     神殿での騒乱
     サンヒドリンの前のパウロ
     熱狂的愛国者たちの陰謀
      カイザリヤでの入牢
     この監禁に関する摂理上の理由
      
     パウロの晩年の福音
     彼の倫理
       ローマへの旅
     皇帝への上訴
     イタリヤへの航海
     ローマ到着
      ローマでの最初の入牢
     裁判の遅れ
       一囚人の働き
      衛兵たちの回心
      使徒の助力者たちの訪問
      彼の教会からの使者たち
    彼の著作
     最後の場面
     牢からの釈放、新しい旅行
     ローマでの二回目の入牢
   裁判と死
   結び

163.エルサレムへの帰還・・・第3次伝道旅行の最後に短期間のギリシャ訪問を終えて、パ
ウロはエルサレムに戻った。
このとき彼は60歳位であったであろう。つまり彼は20年間に渡って超人的な働きに従事して
きたのであった。
彼は心配事にこころを砕きながら、ひっきりなしに旅をし、宣教し続けた。彼の肉体は病を煩
い、誹謗中傷に押しつぶされ、恐らく髪も白くなっていたであろう。そして顔に年齢を示すしわが
刻まれていた。しかしながら、それでも彼の肉体には衰えの兆候がなかった。そして彼の魂は
キリストに仕える熱心をなお鋭く保っていた。彼の目は特にローマに向けられていた。そしてギ
リシャを去る前に、ローマ人たちにまもなく会えるだろうとのことばを書き送った。しかし、彼は
ギリシャとアジアの海岸に沿って、エルサレムに向けて急いでいる時に、彼の仕事はまもなく終
わるという合図が聞こえ、同時に彼の行く手に死に近づく陰があった。どの町でもキリスト者仲
間の予言の賜物を持っている人々から、縄目と入牢が彼を待っていると告げられた。そして旅
の終わりに近づくとその警告は一層大きく頻繁になった。
彼らの熱心を感じていたが、勇敢であり、謙遜で神を畏れる彼にとって死も裁判も彼を威圧す
ることはなかった。彼には数人の同行している仲間がいた。しかし彼は一人になる時を得たい
と思った。彼は、死にゆくひとのようにもう彼の顔を見ることはないだろうといって彼らと別れ
た。そして、彼らが恐ろしい危険を避けるために引き返すように懇願したとき、彼は優しく彼ら
の愛の腕を押しのけて言った。「あなた方はなんで私の心をくじけさせようとして泣くのか? 私
は縛られることだけでなく、死をも覚悟しています。そして主イエスの名のために死ぬためにエ
ルサレムに行くのです。」


164.彼がエルサレムに行くことにどんな差し迫った重要な必要があったのか私たちは知らな
い。
貧しい聖徒たちを援助するため異邦人の教会から集めて持ってきた献金を使徒たちに渡さな
ければならなかったが、恐らく自分でそれを直接渡してその仕事を完遂することが重要であっ
ただろう。
あるいは、彼の福音の質が使徒的でないという敵立ちの非難に権威をもって反論するため
に、使徒たちから彼の異邦人教会への使信を入手することを熱望したのかもしれない。
全てのできごとは避けることのできない召命によって、彼に与えられた義務であった。そして死
の恐れも友の涙にもかかわらず、彼は自分の使命に向かって前進していった。

165.パウロの逮捕
彼が父祖たちの町に着いたのはペンテコステの祭りの時であった。いつもその季節には、エル
サレムは世界中からやってきた何十万人ものユダヤ人巡礼者が群がっていた。
そのようなひとびとの中に、異邦人の町で宣教の働きをしている彼を見、彼と衝突をした多くの
ひとびとがいないはずがない。外国では彼らのパウロに対する怒りは異邦人の官憲によって
抑えられていたが、ユダヤの主都で出会ったとなるとそうはいかなかった。全群衆の後押しを
得て彼らの恨みを晴らさなかったはずがない。

166.彼にふりかかった事態は実際危険であった。
パウロの第三次伝道旅行の中心地であったエペソからきた幾人かのユダヤ人たちが神殿で
彼を見つけ、ユダヤ民族と律法と神殿を汚した異端者がここにいるぞ、と叫びだした。たちまち
熱狂の荒れる海が彼を包んだ
その場で彼がばらばらに引き裂かれてしまわなかったことは不思議であるが、彼が捕らえられ
たユダヤ人の神殿の中庭を血で汚すことを、加害者たちお迷信が妨げた。彼らが彼を異邦人
の法定に引き立てて行く前に、神殿の庭を監視していたローマの番兵が駆け下りてきてパウロ
を保護した。隊長が、彼はローマ市民だときくとパウロの安全は確保された。

167.しかしエルサレムの熱狂が完全に呼び覚まされた。そしてパウロを囲む保護に対して荒
れ狂う海のように押し寄せた。
その日ローマの隊長は彼と会見した後、彼に対する訴えを審議するため、彼をサンヒドリン議
会に連れて行った。しかし囚人が引き裂かれそうな情景を見て、彼が粉々に引き裂かれるの
を防ぐため、急いで彼を連れ出した。
奇妙な町、奇妙な国民よ!
その名を不滅のものとする賜物をより豊に与える息子たちを生み出した国民は決して何処に
も存在しない。その子どもたちがもっと情熱的な愛を注いだ町は決してどこにもない。しかし狂
った母のように彼女は正しく最善の子たちを自分の乳房から引きはなし、粉々にかき裂いたの
であった。
エルサレムはそれから数年の後に滅びたのであった。ここに彼女の霊感を受けた予言者の息
子が、そのこころには彼女に対する計り知れない愛もって、彼女を最後の訪問をしていた。
しかし彼女は彼を殺害しようとしていた。異邦人の保護のみが彼女の怒りから彼を救ったので
あった。

168.ローマの剣の中からさえパウロを強奪しようと誓い合った。ローマ人の隊長が厳重な警
護をつけて彼をカイザリヤに移送することによる以外には、彼らの悪巧みの裏をかく手段がな
かった。
カイザリヤは地中海沿岸のローマの町で、パレスチナを担当するローマの支配者たちの住居
があり、ローマ軍の司令部がある駐屯地であった。

169.カイザリヤでの入牢・・・ここで彼は2年間牢にとどまった。
ユダヤ人の指導者たちは繰り返し総督による死刑宣告を得ようと試み、あるいは彼らのところ
に引き渡してもらい宗教裁判にかけようとした。しかし総督には、彼に何の罪も認められなかっ
たため、その試みは失敗に帰した。
総督は彼にローマ市民に対する優しい恩恵を与えることを承認していた。
囚人は釈放されるべきであったが、彼の敵たちが、彼が死に値する罪をおかしていると激烈に
主張したため、彼に対する新たな証拠が得られるかもしれないとして引きつづき拘留されてい
た。
おまけに彼の釈放は腐敗した支配者ペリクスによって妨げられた。宗教の一派のリーダーの
いのちを賄賂と引き換えにするかも知れないと、ペリクスは思った。
ペリクスは彼の囚人に興味をいだき、喜んで彼に聞いた、ヘロデがバプテスマのヨハネに聞い
たように。

170.パウロは閉じ込められた状態で幽閉されていたのではなく、すくなくとも拘留されていた
獄舎の中は自由に歩けた。
そこで私たちは地中海の縁にある城壁を歩き、マケドニア、アカヤそしてエペソの方向の青い
水を見つめて物思いにふける彼をイメージすることができる。そこには彼を慕い、あるいは恐
らく彼の存在を非常に必要とする数々の危険に遭遇している彼の霊の子供たちがいた。
このように彼の力が抑制され、熱烈な働き人がその働きをとどめられていることは不思議な神
の摂理であった。既に私たちにはその理由が分かっている。パウロは休息を必要としていた。
絶え間ない福音伝道の20年を過ぎて、彼は経験の実を集める時間的ゆとりを必用としてい
た。キリスト者としての生涯のはじめに、アラビアでの孤独の中で聖霊の啓示の影響で考えた
福音の思想を、彼はその期間ずっと宣べ伝え続けた。しかし今や考える暇がある段階に到達
し、彼は一層深遠な領域のイエスにある真理を洞察することができた。
更に彼は危険のない状態でこの時間を得ていたことが非常に重要なことであった。
神はそのために彼を牢に閉じ込めることさえ許された。

171.パウロの晩年の福音・・・この2年間彼は何も書かなかった。それは精神活動の合間の
時間であって静かに進行した。
しかし再び書き始めるとその結果は一気に明らかになった。入牢した後の書簡は円熟したトー
ンを持ち、初期の作品よりも教理の深遠な展望が述べられている。
事実、エペソ人への手紙やコロサイ人への手紙に見る後期の書簡と、彼の初期の書簡である
広範な基礎を置いたローマ人への手紙とガラテヤ人への手紙の間には矛盾や不一致は存在
しない。しかし思想の体系はより高貴なものとなりより印象的となった。
彼はキリストの業を述べることにはより小さく、その人格についてはより大きく述べるようになっ
た。罪人の義にはより小さく、聖徒の聖潔にはより大きくなった。
アラビアで彼に啓示された福音の内に、彼はキリストを世界の歴史の支配者として説明した。
そしてキリストの初臨からユダヤ人と異邦人の進んできた道を示した。
カイザリヤで彼に啓示された福音には物質界外の視点があった。キリストはすべてのものの創
造の根源であり、天使たちと世の主として提示された。キリストの再臨には巨大な宇宙の進行
があり、キリストにより、キリストのためにすべてのものが彼のものであるとして語られた。
初期の書簡にキリスト者生涯のはじめの現場・・魂の義認、・・が漏れなく緻密に説明された。
しかし後の書簡には、使徒は続いて起きるキリストと既に義とされている個人の関係について
主に述べている。彼の教えによれば、キリスト者人生の全場面は、キリストとその人の魂の結
合によっていて、彼が意図した語彙のことばと描写は、信者はキリストの内にありキリストが彼
らの内にあるという関係を記述することであった。それは建物の石と基礎の石の関係、木と枝
の関係、頭と体の各部との関係、妻に対する彼女の夫との関係と同じ関係である。
この結びつきは理想である。なぜなら神のみこころはキリストと信者ひとりびとりとの永遠の関
係にある。それは法的であって、彼らの負債と報酬を共にする。それはいのちであって、キリス
トとの結びつきが聖であり漸進的な生涯の力を供給する。それは道徳である。精神とこころ、
品性と行為に対するものであって、キリスト者は常によりキリストと同一になっていく。

172.パウロの倫理・・・これらの後期の書簡のもう一つの特徴はその神学とその倫理的な教
えの間のバランスにある。
このことは大部分のそれらの書簡の外的構造によって充分に明らかにされている。なぜならそ
れらが殆ど等しい量のふたつの部分に分けられているからであって、その第一は教義に関す
る記述であり、第二は倫理的勧めである。
パウロの倫理的な教えはそれだけが他の部分以上にキリスト者生活に広まった。しかし、それ
は家庭に関する義務が美しく十分に教えられているにもかかわらず、様々な種類の義務に組
織的に姿を変えられたが、それでも消え失せなかった。
その主な性格は、行為をすることをもたらす動機にある。
パウロにとってキリスト教の倫理性は動機の倫理性であることが強調されていた。
キリストの全生涯を、彼の初期の生涯の詳細ではなく、天から地へ、地から天に再び戻る究極
的な贖いという立脚点から眺めている。これらの書簡の究極的な立脚点はキリスト者の日々
の行為の実例の連鎖である。
義務でないことは、キリストの神としての行為に霊感された他の原理などの描写は非常に小さ
くなっている。
謙遜と善行という最も一般的な行為は、キリストが神と等しい位置にありながら十字架まで従
順であられたことによってキリストの内に凝縮されているものに倣うことである。そしてキリスト
者による互いに対する愛と親切な行為の規則の動機は共にイエスと結びついていることの反
映である

173.皇帝への上訴・・・パウロが入牢して2年経った後、ペリクスはフェストにパレスチナ統治
を引き継いだ。
ユダヤ人たちはパウロを手中に収める陰謀を決して止めようとしなかった。そして新しい統治
者に代わったことを一層の好機として、直ちに彼を殺害しようとした。
フェストは考えがぐらつく人物であると思われたので、パウロは自分がローマ市民である権利
を利用し、ローマに送り皇帝の審問を受けることを要求した。
これはフェストには拒絶できず、囚人は上訴決定後直ちにローマに送られなければならなかっ
た。それで直ちにパウロはローマ兵の監視下に、同じ境遇にある他の多くの囚人たちの群れと
一緒に乗船した。

174.イタリヤへの航海・・・航海の日誌は使徒の働きに記されていて、それは古代の操船方
法についての最も貴重な記録として知られている。
そしてそれは同時にパウロの生涯の貴重な記録である。というのは彼の人柄が、それまでに
なかった状況の中で示されたことを明らかにしているからである。
一艘の舟は世界の縮図のようなものである。それはその中に統治者と統治される人々がい
る、浮いている島である。しかしその統治は、一国のそれと同様、突然の社会的激変があり、
そのなかにあって最も有能な人物がトップに立つのである。それは究極の危険な航海であっ
た。信頼を勝ち取り乗船している他の人々を従わせる心情と力を最大限に要求された。

それが終わったあと、パウロはその船の事実上の船長であり、軍人たちの将軍であり、乗船し
ているすべての人々が彼らのいのちを彼に委ねた。

175.ローマ到着・・・ついに海の危険は過去のものとなった。そしてパウロは自分が東方から
の旅人たちがローマに入ってくるアッピア街道、ローマ世界の最大の道路でローマの主都に近
づいていることに気づいた。街に近づくにつれてせわしく動き回る人々と騒音が増え、ローマの
偉大さと名高さの印はひと歩みごとにその数を増した。長年にわたって彼はローマを見ること
を願い続けていたが、今彼が身につけているものとは全く違う姿でそこに入っていくといつも思
っていた。彼はいつもローマを、自分がその国の主要塞を打ち破りつつある、強い勝利の将軍
として考えていた。彼はその門への突撃を指揮する日を熱心に願っていた。
パウロはキリストのために世の勝利者となることを約束されていた。そしてローマは主の名を
運んでいく望みのその最後の場所であった。何年も前にそこに有名な目標を書き送った、「私
はローマでも福音を宣べ伝える備えができている。なぜなら私はキリストの福音を恥としない。
それは信じるすべての人を救う神の力であるからである。」
しかし今、実際にその門にいる、・・年をとり、髪が白くなった、衰弱した人物、船の難破を逃れ
たばかりの鎖につながれた囚人である自分を見た。・・彼の心は沈み、孤独の恐れを感じてい
た。
しかし丁度その時、彼の気持ちを回復させる小さな出来事が起こった。ローマから40マイルほ
どの小さ町でキリスト者たちの小さな群れに出会ったのであった。彼らはパウロが来ることを聞
き、彼を歓迎するために出てきた。更に10マイルほど先で、別なグループが来た。彼らも同じ
目的であった。
彼は自立心に富んでいたが、とりわけ人間的情愛に敏感で、これらの兄弟たちの光景と彼に
対する歓迎は完全に彼を回復させた。彼は神に感謝し、勇気を得、彼の以前の感覚が力強く
戻ってきた。そしてこれらの友たちである仲間と共にいるとき、彼はローマの町の光景が最初
に見えるアルバンヒルズの尾根に到着し、彼の心は勝利の予感にはずんだ。なぜなら彼は自
分の胸の内に誇り高い主都を虜にする力を持ち運んでいることを知っていたからであった。
それは囚人の歩みではなく、勝利者のそれであった。彼はついに町の門の下を通り過ぎた。
彼の道は多くのローマの将軍が勝利の車に乗り、囚人と打ちのめされた敵を従え、喜ぶロー
マ市民の喝采をあびながら、主都への凱旋に通り過ぎた聖なる道であった。

パウロはそのような英雄には取るに足らないものに見えた。彼を運ぶ勝利の戦車はなく、歩き
疲れた足で街道を歩いた。彼の人柄を称えるメダルも盾もなく、手首から鎖がぶら下がってい
た。彼に付き添ったのはわずかな卑しい友人たちのみであった。しかし、ローマの街道には真
実の勝利者の足跡が残されたのであり、勝利を確信した人がローマの門を通り過ぎたのであ
った。

176.入牢・・・一方、しかしながら、彼が歩んだのはカピトリヌス丘(国会議事堂)へではなく、
牢獄へであった。そして彼は長いこと牢の中に横たわる定めであった。なぜなら裁判は2年間
行われないからであった。
司法はよく知られているとおりすべての時代のすべての国で遅れている。そしてローマ帝国の
司法はネロの統治している間も、おそらくこの不評を免れてはいなかった。ネロは、娯楽とか
突飛で気まぐれなことに関するいかなる約束でも、最も重要な彼の職務を放棄させるような軽
率な人物であったからである。
事実上、入牢は最も軽い表現であった。
彼をローマに連れて行った将校が彼を良く言ってくれたためかも知れない。というのはこの人
は航海の間に彼の命を救った人だからであった。あるいは彼を引き渡した将校が正しく、人間
愛に溢れた人物が神を冒涜したと訴えられたいきさつを知っていたためかもしれない。また彼
の人柄の好ましい判断が形成されたためかもしれない。しかし何はともあれパウロは彼自身
の家を借り、全く自由に住んでいることが許された。兵士を除いては一人であったが、その兵
士は常に彼の随行員であった。

177.牢中での仕事
・・・それは活動的な精神の持ち主が望む条件からはるかに遠いものであった。
彼は大きな町の会堂から会堂へと移動し、その通りや広場で、大人数の会衆から会衆へと説
教したかった。
他のひとであったら、絶え間のない活動を止められ、牢獄の壁の中に閉じ込められたら、情け
なさと失望にこころの活気を失なったことであろう。
しかしパウロは全く違う行動をした。与えられている状況下で自分のなし得る限り、彼は自分の
一室をはるか遠くに届く活動に適する場と変えた。
彼に許された数フィート四方のスペースを彼は世界を動かすてこに変え、ネロの主都にあるそ
の壁の中に主権と彼自身のさらなる成長の場を打ち建てた。

178.彼のいる部屋のうっとうしい環境さえ彼はよいものに変えた。
そのうっとうしいもののひとつは彼をみはっている兵士であった。
パウロのように熱心な気質でじっとしていられない性分の人にとって、しばしば耐えがたい不快
な気分と戦わなければならなかった。そして事実入牢中に書いた手紙の中で、彼は常に鎖に
ついて触れ、それが彼の思いから決して去ることがなかったかのようであった。
しかしこのいらだちに陥ることよって、その状況がもたらすよい業を示す機会に盲目なることは
なかった。
もちろん彼の見張りは2,3時間毎に変わった。兵卒一人が去ると他の一人が守衛となった。
この方法で24時間毎に、6人から8人がいた。
彼らは近衛兵に属していて、ローマ軍の花形であった。
パウロは彼のこころに横たわる問題を語らずには隣にいる人と座っていられなかった。
彼はこれらの兵士たちに彼らの魂の不滅であることとキリストへの信仰について語った。
ローマの戦争の恐ろしさやローマの兵舎の習慣に馴れた人にとって、パウロのような生涯と人
柄以上に衝撃的なものはなかった。そして彼らのなかの多くのひとびとが回心し、変化した人と
なり、兵舎にリバイバルが広がった。そして皇帝の王室それ自体に浸透した。
彼の部屋はしばしばこれらのいかつい、褐色の顔が群れ、彼らがそこにいることを要求される
義務の時間以外にも彼に会うことを喜びとした。
パウロは彼らに共感し、彼らの職務の精神に踏み込んだ。事実、彼自身が兵士の精神に満ち
ていた。
私たちは不朽の遺跡を訪ねて、その時期に彼が教えた霊感された雄弁の発露を得ている。
「私たちの戦いは血肉に対するものでなく、悪の力の源泉、暗闇の世界の支配者、高いところ
にいる悪の霊と戦うのであるから神のすべての武具を身につけなさい。
なぜなら神のすべての武具を身につけるなら、それらがあなた方を悪い日に対抗して立つこと
ができ、すべてをなすことができるようにさせるからである。
それ故、腰に真理の帯を締め、正義の胸当てをつけ、あなたがたの足に平和の福音の備えを
履いて立ちなさい。それら凡てに加えて信仰の盾を取りなさい。それによって悪いものの火矢
を消すことができます。
そして救いの兜と聖霊の剣である神のことばをとりなさい。」
この絵は彼の部屋の兵士たちの武具と生活を描いたものである。そしておそらくこのかき鳴ら
されている文章は保存のため書簡に書き写される前にまず武具を身につけた聴衆たちの耳に
注がれたことであろう。

179.訪問者たち・・・しかし彼には他の訪問者たちがいた。
ローマにいるキリスト教に興味のある人々は、ユダヤ人も異邦人もすべて彼のもとに集まっ
た。おそらく彼が入牢していた2年間、彼のもとにそのような訪問者たちがいない日は無かった
であろう。ローマのキリスト者たちはその部屋に至聖所か神殿のように集まって学んだ。キリス
ト教の教師たちの多くがそこで彼らの剣を研いだ。そして新しい力がその町のキリスト者仲間
に拡散していった。
心配している父親たちの多くが息子を、友人は友人を、使徒の唇から出ることばによって眠っ
ている良心を目覚めさせることを期待して連れて行った。時によってはつまづき、放浪している
多くの人々が新しいひとになった。そのような人物のひとりが奴隷のオネシモであった。彼はキ
リスト者である主人ピレモンに背を向け、逃亡してローマにやってきたのであったが、もはや奴
隷ではなく愛される兄弟となった。

180.更にもっと興味深い訪問者が来た。
彼は生涯の全期間にわたって多くの若者たちに対し強い魅力を発揮した。
彼らは彼の内にある男らしい精神に引きつけられたのであって、そのなかに彼らは最も高貴な
働きに関する彼らの願望と霊感に共感するものを見いだした。キリストの働きに世界中に散ら
されたこれらの若い友人たちは、ローマの彼のもとに群がった。テモテとルカ、マルコとアリスタ
ルコ、テキコとエパフラス、そしてそれ以外にも多くの人が、彼の尽きない湧き上がる知恵と熱
心さの泉から飲むためにやって来た。そして彼は彼の教会へのメッセージを彼らに運ばせ、あ
るいはその教会の状況のニュースを彼に届けさせるため、再び彼らを送り出した。

181.遠くにいる彼の霊的な子供たちのことを彼は絶えず考えていた。
日毎に彼の思いはガラテヤの峡谷やアジアとギリシャの海岸をさまよった。夜ごとに彼はアン
テオケ、エペソ、ピリピ、テサロニケやコリントのキリスト者の為に祈った。
むしろ彼らがパウロのことを覚えていてくれることに欠けてはいないという喜ばしい証拠であっ
た。時々幾分遠く離れた教会から代表者たちが彼の部屋に現れ、彼の回心者たちの挨拶、あ
るいは恐らく彼の折々の必要に寄与するために、またあるいは困難な問題が起きて実践すべ
き教えのなにがしかの要点に対する決裁を望んでやってきた。
これらの使者たちは何も持たずに帰ったのではなく、あたたかい心のこもった使信、使徒的な
友人からの貴重な助言のことばを運んだ。ある人々は更に遠くまで運んだ。
ピリピの教会の代表者であったエパフロデトが、愛の献金を携えて彼らのキリストにある親愛
な父のところに派遣され、帰ってき行くときパウロは彼に託して彼らの親切に対する感謝、パウ
ロの手紙中最も美しいピリピ人への手紙を送った。その中に彼は自分のありのままのこころを
あらわし、どの文章も女性たちのことばにまさって優しい愛によって輝いている。
奴隷のオネシモをコロサイに帰らせた時、オネシモは彼の主人に渡す平和の木の枝のような
特別に小さい、キリスト者の礼儀の記念碑ともいうべきピレモンへの手紙を受け取った。
オネシモは他に、主人の住んでいる町の教会宛のコロサイ人たちへの手紙も携えていった。
これらの書簡の要素はパウロの入牢中の様々な活動の中の最も重要な部分である。そして彼
はエペソ人への手紙によって冠を得た。この手紙は恐らく世界中の本のなかで最も深淵かつ
最高峰のものである。
キリストの教会は神の僕の入牢によって数多くの恩恵をこうむった。霊感を受けてはいない(聖
書ではない)が最大の信仰的な知恵の書天路歴程は、刑務所の中で書かれた。しかしパウロ
のからだの拘束によってカイザリヤとローマでの活動を制限されたことほど、その不幸を覆い
隠すほど教会により大きな恵みをもたらしたものはない。エペソ人への手紙に鳴り響く真理の
深さに達するためにその時間が必要であったのである。

182.彼の著作・・・パウロ自身にとっては、彼が長い間追求した道筋を完全に変えられたこと
は暗い神の摂理の配剤に見えたかも知れない。しかし神のみ思いは人の思いよりも高く、神
の道は人の以上である。
神はパウロ自身の影響力の働きをやめることを強いることを通してパウロに彼の環境から来
る誘惑に打ち勝つ恵みを与え、20年にわたる宣教の仕事によってなしたことにまさる世界の
幸いのための働きをさせた。
彼の部屋に座って、彼は彼の共鳴する彼の心の空洞の内に鳴り響くはるかかなたからの幾千
の嘆きと叫び声を集めた。そして彼の尽きることのない泉からすべての方向に勇気と助けをま
き散らした。
彼のこころはひとり考えることの内に、彼が降っていった暗い深みにある石に打ち当たるまで
深く深く沈みんだ。それによって彼は神の町を喜ばせる流れが勢いよく流れ出させた。

183.牢からの釈放・・・使徒の働きはパウロのローマでの2年間の入牢のあと短い要約で急
に終わっている。
このことはもうそれ以上語ることがないからだろうか?パウロの裁判の時、それは彼の有罪判
決と死刑であったのだろうか?あるいは彼は牢から出て彼の以前の仕事を再び始めたのだろ
うか?ルカの明快な解説がそんなに急に私たちを見捨てるところには、不確かな内容ではあ
るが、提供されている伝承がある。それによると彼は裁判で無罪となり釈放されて伝道旅行を
再び始め、スペインや他の地を訪ねたが、まもなくまた捕らえられてローマに送り返された。そ
こでネロの残虐な手で殉教して死んだというのである。

184.新たな伝道旅行・・・しかしながら、幸いなことに私たちは根拠の不確かな伝承にのみ依
存しているのではない。
私たちは最初の入牢に続く2年間に、パウロ自身が書いた疑う余地のない書物を持っている。
これらは・・・テモテとテトスに宛てた・・牧会書簡と呼ばれているものである。
それらの中に私たちは彼の自由と彼が建てた教会の再訪問と新しい教会を建てた仕事の展
開がわかる。事実彼の足跡は、もはや正確にたどることはできない。私たちは彼がエペソのと
トロアスに戻ったことを見いだす。ローマへの航海のときに立ち寄った島、クレテで彼を見いだ
す。その際彼はその島に興味を持ったのかも知れない。私たちはギリシャ北部の領域にも彼
の新しい働き場が広がっているのを見る。
私たちは、戦場全体に副官を派遣する軍隊の指揮官のように、若い働き人たちを教会の組織
と見まもりのために派遣する彼もう一度見る。


185.しかしこれは長く続かなかった。
彼が牢から釈放された後すぐに、彼の将来を左右するようなある出来事が起こった。
それはローマの大火であった・・恐ろしい災害で、今でも身震いするほどのものであった。
それは恐らく紫の皇帝の衣をまとった邪悪な怪物の気まぐれであった。
しかしネロはそれをキリスト者のせいにした。そして直ちに彼らに最も残忍極まる刑を科した。
もちろんこのうわさはローマ世界の隅々まですぐに広まり、キリスト教の主立った使徒たちは長
く逃れることができそうもなかった。すべてのローマの支配者は、パウロを鎖につないで送るこ
と以上に皇帝を喜ばせるものはないと知っていた。

186.2度目の入牢・・・従って、パウロがローマの牢にもう一度横たわる身となるまでに、長く
はかからなかった。そして今回は穏やかな入牢ではなく、法律で知られている最も過酷なもの
であった。
友人たちの一隊が彼の部屋に満ちることはなかった。なぜならローマのキリスト者たちは虐殺
されたか追い払われたからであった。そしてその危険はすべてのキリスト者自身にも及んだか
らであった。私たちは彼が牢の中で最後に書いたテモテへの第二の手紙を持っている。それ
は私たちに囚人の環境のいいようのない悲惨さちらっと見せてくれる。
彼は裁判の一部が済んだと私たちに語っている。
彼の傍らに友はなく、彼が面しているのは裁判の席に着いている血に飢え乾いた暴君であっ
た。
しかし主は彼の傍らに立ち、皇帝と裁判所に集まる見物人たちに福音を聞かせることができる
ようにされた。
彼に対する訴えは破綻した。しかし彼には逃れる望みはなかった。次の裁判の段階はまだ来
ていなかったが、彼を有罪とする証拠がねつ造されたことを彼は知っていた。
その手紙は彼の牢の惨めさをあばいている。彼はテモテに、冬の牢の寒さから身を守るため
にトロアスに置いてきた上着を持ってくるように頼んでいる。彼はテモテに彼の本と羊皮紙を頼
んでいる。その理由は彼が一人でいる単調な時間には常に学ぶことを愛していたからだと思
われている。しかし、とりわけ彼はテモテ自身が来てくれて、親しみのこもった手に触れることを
熱望していた。死ぬ前に親しい友の顔をもう一度見たかったからである。勇敢な心もついにくじ
けてしまったのだろうか?
この手紙を読んで悟りなさい。それはどのように始まっているか?
「私はこのような苦しみに会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というの
は、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの
日のために守ってくださることができると確信しているからです。」(テモテU 1:12)
その終わりはどうなったであろうか?
「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走
るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意され
ているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私
だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(テモテU 4:6-8)
これは敗北者のことばではない。

187.裁判・・・二度目のネロの裁判については少しの疑いもなく、今度は有罪とされて終わっ
た。
人の生涯の悲哀に関する描写で、ネロの法廷でのパウロの光景以上にぎょっとさせるもの
は、すべての歴史の中に存在しない。
裁判官の席には皇帝の紫の衣をまとい悪の世の最悪の高みに到達した男・・最も卑しい存在
であって、あらゆる罪に汚れ、自分の母を殺し、自分の妻たちを殺し、最も恩を受けた恩人た
ちを殺し、その全存在が口に出して言えるものあるいは口で言えないあらゆる邪悪にその体に
も魂にも満ちている・・・男が座していた。当時のある人が言った。彼は狂気と血の混合物にほ
かならないと。
被告席には、この世で最善の男が立っていた。彼の髪はその働きと神の栄光のために白くな
っていた。
裁判官の席を占めていたのはそのような人物であった。そしてそのような人物が被告席に立っ
ていた。

188.死・・・裁判は終わり、パウロは有罪とされ死刑執行人に引き渡された。
彼は後についてくる最も低い野次馬の群衆とともに町の外に連れて行かれた。
最後の地点に着いて、彼は塀の傍らに跪き、首切り人斧がきらめいて振り下ろされ、この世界
の使徒の首は塵の中に転がった。

189.そのように罪はその頂点をなし、最悪をなした。
しかし、その勝利はなんと哀れで空虚であることか!
斧の一振りは主人の枷を打ち砕いただけであり、その魂を冠を受ける天の家に帰らせた。
永遠の都と誤って呼ばれた町は彼を嫌ってその門から彼を追い出した。しかし、同じ時に真に
永遠の都である町の門では、万の万倍もの人々が彼を歓迎した。
パウロは地上からさえも死ぬことはなかった。地上に目に見える姿で生きていた時に彼の頭脳
に脈打っていたものよりも、百倍以上の影響力をもって、彼は今私たちの間に生きている。ど
こにおいても喜びの訪れを告げる者の脚は山の上にあってなんと美しいことでしょう。彼は彼ら
の傍らを、彼らを鼓舞し案内する人として歩んでいる。幾万もの教会で聖日毎に、千の千倍も
の魂が彼らの雄弁な唇で毎日、彼が決して恥じることのなかった福音を教えている。そして、
人の魂のいるところは何処ででも聖潔の白い花を探求しているか自己否定という困難な高み
に登りつつある。そこでは彼らの人生は非常に清く、キリストへの敬虔は完全で、彼らが決して
絶えることなく追い求めているただひとつの目的は、友の中の最善の友を迎えることである。
(完)


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