第二十六章  パウロの偉大さ

 偉大さを定義することは困難である。しかし私たちは、偉大な人を見るときその人が偉大で
あることを容易に認識することができる。私たちは、シェークスピアが偉大な詩人であり、アン
ジェロが偉大な建築家であり、ラファエロが偉大な画家であり、モーツアルトが偉大な作曲家で
あり、パスツールが偉大な科学者であり、グラッドストーンが偉大な政治家であり、ナポレオン
が偉大な将軍であると見ることになんの問題も感じない。同様に私たちはパウロが偉大な人間
であると言うことをためらわない。彼は新約聖書の中で私たちが偉大な人に直ちに数え上げる
イエス以外のただ一人の人物である。 彼が特異な人物であったことは、在世中彼が巻き起こ
した世の中の騒動によって証明されている。新約聖書中に記録された彼の並はずれた力の顕
れのもっとも完璧な証明は、テサロニケ人たちが彼とシラスとについて述べたことである。彼ら
は、彼らのことを「世の中をひっくり返した」人たちだと言った。
彼らを厳密に序列すると、それはパウロであってシラスではなかった。シラスがひとりでいた時
に、世の中をひっくり返したと言ってシラスを責めた人は誰もいない。パウロが世の中をひっく
り返したのであった。バルナバは一度神だと誤解されたことがあったが、それはパウロと一緒
にいた時のことであった。
彼がパウロの側を去った後に、神だと思われたことは決してなかったことは疑いの余地がな
い。ルステラの人々に、彼らを天からの歓迎すべき訪問者だとの感じを抱かせたのはパウロ
の人格であってバルナバのそれではなかった。新約聖書に記録されているただひとつの祝い
の火はエペソのたき火である。それはパウロによって火が点けられた。使徒の教えによってそ
れらが要らなくなった所有者たちによって、一万ドルもの価値のある書物が焼き払われた。彼
は行くところいずこにおいても大火に点火した。彼は会堂を興奮で満たし、その町を燃え上が
らせた。彼は暴徒たちを興奮させ、群衆を狂気に走らせた。 アテネでは哲学者たちが彼の周
りに集まった。
嵐の時、船上で彼は船長の上に立った。イエスに従う人々が最初にキリスト者と呼ばれたのは
彼が説教した町においてであった。エルサレムに取って代わってアンテオケがキリスト者世界
の主都のように見なされたのは、他の誰によってでもなく、パウロによったのであった。ペテ
ロ、ヤコブ、ヨハネのいたエルサレムは、パウロがいる限りアンテオケに敵わなかった。キリス
トのために世界に使者が立てられたのはエルサレムからではなくアンテオケからであった。
彼の信仰の活力、彼の敬虔の強烈さ、献身の十全さ、彼の熱心の情熱、達成した業績の広大
さによって、彼は他の全ての使徒、預言者、牧師、教師たちの影を薄くしキリスト者世界の中
心人物となった。
 死んだ後も、パウロは小さくならずむしろより大きくなった。死は彼の身長に新しいキュビトを
加えた。彼はその著作を通して一層多くの人々に影響を与えはじめた。新約聖書は彼の偉大
さの証拠である。彼はその4分の1を書いた。そして彼が大きな影響を及ぼした異邦人の医者
が、もう4分の1を書いた。新約聖書の半分以上をパウロが負っている。誰がパウロの十三の
手紙を新約聖書聖典に加えるべきであると決定したのであろうか?パウロ自身ではなく、パウ
ロの友人たちの誰でもない。
それが確定したのはパウロが生きていた時でなく、彼の死後ずっと経ってからであった。それ
は誰か一人の人物によって、どれかひとつの教会によって、あるいは教会の何かの特定のグ
ループに決定されたのでもない。それはいつかある日とか、ある年とか、ある十年間で決定さ
れたのではなかった。それはゆっくりと慎重に、偏らずに、長い年月をかけ多くの人々の自由
な心の働きによって決定されたのであった。
それはいかなる教会の長老会や議会、いかなる聖職者の機関あるいは役職者の階級によっ
て決定されたのでもなかった。パウロの十三の手紙がキリスト教の集会で用いる書物の座に
値するという感覚が不偏の世論となったのは百年の道のりを経た結果であった。それらはそ
の価値の純然たる力によってその座を勝ち取った。それらはその価値があったから選ばれた
のであった。それらはそれに相応しかったから生き延びた。イエスの死から百年のあいだにキ
リスト者の著者たちによって多数の記述が書かれた。しかしそれらの中からたった二十七がキ
リスト教信者たちに普遍的に受け入れられた。数百以上、おそらく数千以上の手紙の中から
二十一だけが教会の中で一般的に使われるものとして収集されその座を占めた。二十一のう
ちの八はパウロによって書かれた。誰かが、キリスト教の集会に用いる聖書の書物にパウロ
以上によりよく寄与するに値することが明かな十一人がいたことを考えればこれは驚くに値す
る。ペテロは殊にパウロより外的な利点を有していた。彼は最初の十二使徒の一人であって、
不滅の仲間の最重要メンバーであった。彼はイエスの最も親密な三人の友の一人であった。
彼はイエスの変貌の山に、そして同じく最後の夜ゲッセマネの園にいた。イエスは彼に顕著な
名を与えた。そして口伝によればイエスは彼に天の王国の鍵を約束したと宣言された。一方パ
ウロは、決してイエスに知られてはいなかった。彼は後になって回心し、その後の生活で悪を
償った。彼は死の日まである人々から嫌われ、多くの人々に疑われ、少なからぬ人々に軽んじ
られた。これらすべてのハンディキャップにもかかわらず、パウロは堅実に前進した。彼の人
格の大きさによって、彼は他の全ての人々以上の座を勝ち取った。新約聖書はパウロの偉大
さの不滅の記念碑である。恐らくペテロも多くの手紙を書いたであろう。しかしたった二つだけ
が新約聖書に名を留めた。これらの手紙は二つともパウロのローマ人への手紙の半分の長さ
にもならない。二つともパウロの著作に比べできが悪い。主に愛されたヨハネでさえ手紙の著
作者としてはパウロに及ばない。ヨハネをパウロより上に置くたくさんの理由を持っていた数世
代のキリスト教信者たちの間で、新約聖書に座を占める価値を数えられたのはただ一通の手
紙と二枚の簡単なメモだけである。
その事実はパウロがイエスのこころを他の十二人に勝って理解していたことの争うことのでき
ない証拠である。彼はキリスト教のメッセージに含まれる事柄を理解したのみでなく、それを上
手に説明し、そのような方法で人々のこころに得心のいく生きた力を造り出した。それゆえパ
ウロにとって、最後の時に、神のイスラエルの全ての種族のなかで、最高の座に座ることは栄
えある特権であると納得していた。
 二世紀になしたことを、二十世紀にも同様になしている。パウロに最高の座を与えている。パ
ウロに関する本をつくることには終わりがない。新約聖書の他の全ての人々に勝って、彼は現
代的な心情と行動をかき立てた。最近の五十年間に、彼に関して他のすべての使徒たちに関
するもの全部をまとめたものより多い本が書かれた。バルナバとパウロが最初の伝道旅行に
出発したとき、人々は・・・「バルナバとパウロ」と言った。しかし彼らが一回目の働きを終えたと
き、人々は・・「パウロとバルナバ」と言った。ペテロとパウロが、人々がキリストを認めるように
説得する偉大な仕事をはじめたとき、世はきまってペテロを最初に置きパウロを二番目に置い
た。
六十世代後には、最初に立つのはパウロであってペテロは二番目である。時は偉大さの確か
な試験である。パウロから遠ざかれば遠ざかるほど、彼は高くそびえ立つ。
私たちは彼と同世代の誰よりもよく彼を知っている。私たちは彼と同世代のすべての人々を、
彼はいかに小さくするか分かり、すぐ後に続く世代のすべての人々も同様である。使徒教父、
ローマのクレメンスとイグナティウス、パピアスとポリュカルポスと殉教者ユスティノス、すべては
パウロと比較すると小びとである。アレクサンドリアのクレメンス、イレネウス、キプリアヌスは
有能で敬虔な人々であったがパウロのクラスには属さない。年月は偉大な思索家と英雄たち、
聖人と殉教者たちの仲間を生み出したが、パウロの名を超える名の著作ができた人は彼らの
中に誰もいない。今も彼よりも偉大な者は決していない。彼は永久に興味深い。その理由は彼
は今なおそのように生きているからである。彼の熱い魂は、二千年の間の冷却をこえて私たち
にその熱を伝えている。彼のことばは、ルターが言ったように、手足をもっている。彼は私たち
を引き留め、行かせようとしない。彼が私たちに語るとき、私たちの内に不思議な力が沸き起
こる。彼は私たちを勇気づけ、燃やし、私たちの内に期待と夢を湧き上がらせる。私たちは世
の力として彼を評価すべきである。彼は社会の発展に関する事項に能力がある。彼は私たち
の西洋の文明を決定するひとりである。
彼の指の痕跡は私たちの団体の上にある。彼の倫理上の理念は市場に立っている。
彼の思想は私たちの血の中を走っている。彼は私たちの意識と行為の繊維で自分自身を織り
なしている。私たちはまったく彼を意識していないときにさえも彼の影響を受けている。彼はヨ
ーロッパの歴史を二千年にわたって決定してきた。もしタルソの魂が生きたことがなかったら、
今日、全世界は全く違ったものとなっていたことであろう。
 彼の精神は偉大であった。彼の知的能力は超人的であった。彼は特異な明瞭さを持って物
事を見た。
彼の視野の広さは空前であった。彼は広いのと同様に深く見た。彼の両眼は物事の中心を指
し貫いた。彼は物事の中心を洞察する力を持っていた。彼は、付随の事柄と必須の事柄とを、
また一時的のものと永続するものとを誤らずに見分けることができた。彼はキリスト教の意味
することを理解した。彼は福音の普遍性を理解した。彼は教会の偉大さを理解した。 彼のこ
ころは彼の頭脳同様に素晴らしかった。彼のこころの中にはすべての人類のための余地があ
った。彼はあらゆる国々の人々と共感を保ち、彼の愛情は地の果てまで届いた。
 彼は意志力に偉大であった。彼の決意のねばり強さは折られることがなかった。彼は危機的
な転換点において大胆な意志を保った。そして勝ち取った場所から決して後退しなかった。
 彼の魂は偉大であった。彼は狭量さの詛いから解放されていた。彼の精神は強烈で情熱的
であった。彼の敬虔には並ぶ者がなく、彼の献身の力には束縛がなかった。物事を見それら
を扱う方法において、人々に忍耐し彼らのために計画することにおいて、彼は真の偉大さであ
る大きさを持っていた。
 彼はその目的と計画において偉大であった。彼の願いに小さいものは一つもなかった。彼は
自分の中に世の征服者の精神を持っていた。彼はアレクサンダー大王より遥に偉大であっ
た。彼は常に他の世界を征服することを夢見ていた。全世界をキリストのものとする以下のな
にものも彼のこころを満足させなかったであろう。 彼は彼の目を世界の中心であるローマに向
けた。そしてスペイン、それは世界の果てであった。彼のイメージに、彼は全ての膝がかがめ
られ、全ての舌が真にイエスは主であると告白することを見ることができた。 彼の品性は偉
大であったが、同様に彼はその達成にも偉大であった。彼はキリスト者のヘラクレスであり、彼
の働きは非常に多様で素晴らしかった。キリスト教をパレスチナ人のゆりかごから高めたのは
彼であって 、むつきを引き裂き、ローマ帝国の街道を歩く訓練をした。おおいを取り除き、閉じ
こめられていた鷲を自由にしたのは彼であった。皇帝の宮殿の中にキリスト教の灯火を最初
にともしたのは彼であった。ユダヤ人の教派を世界の宗教にしたのは彼であった。イエスが単
なるユダヤ人のメシヤでなく、すべての人類の神の救い主であることを見たのは彼であった。
イエスの十字架を人類歴史の中心に、そして同じく宇宙の中心に置いたのは彼であった。ユダ
ヤ人と異邦人との間の壁を打ち壊し、全ての人々を神の一つの家族にしたのは彼であった。
 世の宗教の雰囲気を変えたのは彼であった。その雰囲気は律法と礼典主義に満たされてい
たが、彼は、雷を伴った嵐のように、世の中を一掃し、彼の熱い魂の炎の光をもって空気を永
久に変えた。人々の唇と、今日の全てのキリスト者のこころをひとつにし、その地をあらゆる異
国への宣教の基地としたのは彼であった。彼はキリスト者の人々がいまだに祈り続けるフレー
ズを作った。現時点でも神学者たちが用いる語彙を造りだした。彼は慰めと希望とを運ぶ文章
を組み立てた。それは開かれた墓の傍らに立って読むことができるこれ以上善い文章はな
い。彼は非常に美しい簡潔な文章を書いた。そしてそれによって彼らを癒した。それはキリスト
者の会衆の公の礼拝で最後の日まで読まれることであろう。彼はイエスのことばと同じレベル
の言葉を書いた歴史上ただ一人の人物である。私たちの人生の大きな危機のとき、私たちは
レベルを下げる意識を持たずにイエスのことばからパウロのことばに移ることができる。私た
ちが彼の最大の手紙の中の最大の節を読むとき、私たちは人々は神によって霊感されている
ことを容易に信じることができる。 彼の訴えの広汎性に私たちは再び彼の偉大さを見る。彼
は広く異なったタイプの人々を惹き付ける。彼は修道院の守護聖人、神秘主義者たちは彼を
自分たちの兄弟であると主張する。清教徒たちは、パウロを最大の清教徒であると感じて自分
たちをパウロの旗印の下に置く。高教会の人々はパウロを彼らのもっとも大胆な守護者の一
人として発見した。そしてクウェーカー(フレンド会)教徒はパウロの内なる光の強調の故に彼
を愛した。終末論者たちは彼らの魂に刻まれた彼の文章を発見する。そして実社会の改革者
たちは終末論者たちがその傍らに立てているものに全く関心を払わない。宣教団体は彼らの
後ろを行くパウロを見た。パウロの恐れを知らぬ実例によって勇気づけられ、世から閉め出さ
れた弱い人々は自分たちの傍らに耐えることを容易にならせるパウロを発見した。
神学者たちはパウロの論理と神学化を大いに喜んだ。そして倫理学者は義務の分野の大家
であるとして喜んで彼を引用する。「現状の」反動主義者たちも礼拝者たちも彼らが留まってい
る状況を許可する権威としてパウロを頼る。そして革新主義者たちと過激派たちは常に彼の
突き進むようにとの激励を聞く。
しばしば彼は「進歩の使徒」と呼ばれた。彼は非常に偉大で、彼の時代の最善のすべての考
え方を、それがなんであれ愛すべきものよいものであったなら、彼自身が用いるものに適応さ
せ一致させることができた。彼は彼の時代のすべての賢者を集めてキリストに仕えるものとし
た。彼は人間性が非常に豊かであり、アイデアに富んでいたので、すべての人が自分の必要
とするものを彼の内に見出すことができる。彼の偉大さの故に、彼はすべての人々のすべての
ものごととなった。 私たちは偉大なひとびとが自分のためのたいまつを、パウロの火によって
ともしたことから、彼の偉大さを判定できる。アウグスティヌスを回心させ、すべての神学者たち
のなかで最も偉大な人物としたのはパウロであった。ルターの鎖を砕き、すべての改革者の中
の最大の人物にしたのはパウロであった。ウェスレイのこころに火を点け、すべての伝道者た
ちのなかで最大の人物にしたのはパウロであった。アウグスティヌス、ルター、ウェスレイは、
使徒の時代から二十世紀までの教会のなかでもっとも能力のあった人物たちであるが、これら
三人の巨人は、全員彼ら三人より偉大な人物・・・タルソの人・・・によって起こされ、造られた
のであった。彼は死のあばら骨の下で魂を創造する驚くべき才能を有している。彼のことば
は、それが人のこころに取り込まれると黄金時代を生じる。彼が忘れられるとき世の中は暗く
なる。教会がパウロに帰るときは常に信仰復興がおきる。
律法の宗教が自由の宗教を駆逐し形式の宗教が魂の宗教を押しつぶすときはいつでも、エリ
シャのごとく教会の死んだ体の上に彼自身を置き(2列王記4:34)、再びいのちを回復させる
のはパウロである。敬虔の火が消えそうなとき彼はその炎を扇いだ。うっかり古い束縛に戻っ
ている人のこころの中に、彼は自由の霊を呼び起こす。彼の手紙は国々の民を癒すいのちの
木の葉である。(黙示録23:2、エゼキエル書47:12)
 彼は非常に偉大であったので、ある人々は彼のことを彼自身以上の人物とした。数百年の
あいだ彼はヘブル人への手紙の著者だと思われていた。今日、彼が四福音書の神学を形づく
ったと考えられている。ある人々は共観福音書の中にもパウロ主義が見出されると考えてい
た。新約聖書全体がパウロのこころの印象を示していると主張されている。早くからある人々
はパウロがキリスト教の真の創始者であると主張していた。彼らはもしパウロがいなかったな
ら、今日、キリスト教はなかったと強く主張している。他の人々はパウロはキリスト教の第二の
創始者、キリスト教聖職者の創案者、教会の組織者であると強く主張している。
ある人々によって彼は不当に高くされている。彼なしには、キリスト教は完成しなかったと彼ら
は言う。十分なキリスト教のメッセージは福音書の中には見出されず、書簡集にのみ見出され
ると彼らはいう。人はパウロの足下に座るまでキリスト教のなんたるかを知ることができない。
ルターにとって、ローマ人への手紙は新約聖書の中心の本となった。宗教改革は福音書の働
きによったのではなく、ガラテヤ人への手紙とローマ人への手紙の働きであった。他の人々は
彼の影響力に操作されたと告白し、彼を非難する。彼らは言う、パウロはイエスの宗教をおと
しめた曲解者だと。彼は重荷をもたらす神学によってキリスト教を重くしたと。彼はイエスと人類
の間に入って世を暗くしたと。
彼はキリスト教の破壊者であると。人々が「イエスに帰れ」と言うとき、彼らのねらいはパウロを
取り除くことである。ある人がその人の死後六十世代の人々を導き、彼自らその僕であると主
張したナザレのイエスさえも超えて高くその姿が人々の思いと心を強く支配する力があるとされ
たなら、真に偉大であるにちがいない。
彼は本当に大パウロであった。彼の名はイエスを除く全ての名を超える。彼はその主のように
偉大であった。なぜなら彼は全ての人の僕であったからである。
ジョン・クリソストムはパウロについて記念すべき文章を書いた・・・「身長3キュピトで、彼は大
空に触れた。」と。(完)





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