第二十三章 パウロの愛

 一般に、パウロは思考の人として知られている。私たちはパウロについてもっと頻繁に、愛の
人として考えてみるべきである。彼の思考は彼の愛に根ざしそれを基礎としていた。彼のすべ
ての徳と恵みが花を咲かせたのは愛の園の中においてであった。ゼベダイの子ヨハネは愛の
使徒と呼ばれる名誉を長く享受している。その呼び名は正しくタルソの人に相応しい。愛の力
について、パウロはイエスが愛された弟子に少しも遅れをとることはない。愛の性質と力につ
いて記述する彼の能力は、いまだかつて彼に並ぶ者はいない。パウロの根本教理は信仰によ
る義の教理であるとすることは誤った考えである。彼の最も重要な教理は愛による救いの教理
である。彼の信仰による義の教理は、彼の手紙の中のただ一つ・・・ローマ人への手紙・・・に
おいてのみ詳しく記されており、それはユダヤの律法への信奉者たちへの反論である。一方
愛の力による素晴らしい働きは彼の手紙のどこにでも記されている。この問題に触れるときは
常に神の霊感が彼の上にある。彼の文章は珠玉のうるわしさを伴っている。彼は愛がテーマ
である時以外は、そんなに熱くならなかったし、そんなに雄弁でもなく、説得力もなかった。
彼は一貫して愛を信仰よりも上位に置いた。聖霊の最初の実は愛である。愛は信仰より深く、
より力がある。なぜなら愛は信仰を通して働くからである。愛は信仰よりも高い価値を有する。
誰かが最高に発達した段階の信仰を持っていたとしても、もし愛に欠けていたら、その人の信
仰は何の益ももたらさない。信仰、希望、愛は偉大である。しかしこの三つの中で最大のもの
は愛である。 パウロが愛について述べていることはキリスト者世界全体の格言となった。「知
識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1コリント8:1)「愛は律法を全うします。」(ロー
マ13:10)「愛は隣人に対して害を与えません。」(ローマ13:10)「隣人との間に愛の他に
は、何の借りもあってはなりません。」(ローマ13:8)「愛によって互いに仕えなさい。」(ガラテ
ヤ5:13)「信仰と愛との胸当てを身につけなさい。」(1テサロニケ5:8)「愛のうちに真実を語
りなさい。」(エペソ4:15)「いっさいのことを愛をもって行いなさい。」(1コリント16:14)「これ
らすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:14)「す
べてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(1コリント13:7)
「愛は決して絶えることがありません。」(1コリント13:8) パウロが好んだ思想は愛であり、そ
れについてコリント人への手紙第一の13章の中に不滅の表現が見いだされる。これはパウロ
の最高傑作である。
それはイエスのことばのレベルに達するパウロの句のいくつかのうちの一つである。それはキ
リスト教の最も輝いている宝石の中の一つである。それは世界の古典であって、ギリシャとロ
ーマの全ての古典よりも長く生き延びるであろう。その語句は非常にリズミカルで、歌や讃美
歌と呼べる形態を備えている。それは詩ではないが、詩人の心の巧みな音楽を内包している。
それはかつて記された愛の記述の中の最も高貴なものであり、人類が美しいものを賞賛する
限り宝とされるであろう。 それ故私たちがパウロ主義を知ろうと思ったら、私たちはコリント人
への手紙第一13章に帰らなければならない。パウロの思いと心の最高の表現がここにある。
パウロ主義として知られているもの・・・原罪、身代わりの贖罪、着せられた義・・・は未来にお
いてはパウロ主義と呼ばれなくなるであろう。本当のパウロ主義は愛の教理である。私たちが
パウロを愛の人として見ないなら、彼の真の姿を見失う。彼のホームグランドはスコラ哲学の
分野にあるのではなく、情緒の領域にある。彼は巧みな識別や定義の労作とか不滅の教義の
王国に属するのではない。彼は部分堕落信奉者にも全的堕落信奉者にも関わらず、愛の甘
い神秘に浸された選ばれた仲間たちと関わった。彼は、愛の人のすべてのイメージをひとつに
凝縮したような愛の人である。彼は詩心と暗示と想像に満ちていた。彼は聖書を詩的に解釈す
ることを好んだ。彼は荒野を通ってイスラエルが従っていった転がる岩の一つのような宗教的
な物語を愛している。
彼はこの物語上の岩をキリストの象徴と捉えた。彼の手紙はすべて愛の手紙である。もし誰か
が神学的な取り扱いのために読んだら、パウロの手紙は不可思議で躓きの岩となるであろう。
私たちがそれらを読むときには、私たちは冷静でありすぎたり事務的でありすぎてもいけない。
彼は空論家の頑固な解釈を嫌った。普通の人々のこころにパウロは予定や予知、信仰による
義、効果的な召命や着せられた義と結びつけて考えられているが、本当は聖霊の実・・・愛、喜
び、平安、忍耐、親切、忠実、憐れみ、自制・・・と結びつけられなければならないのである。彼
の名は長い形而上学の教理を暗示してきたが、彼を真に知っている者、彼の教会に関する偉
大な教理に関心を持っている者、殊に16世紀と17世紀の人々にとってそれは困難なことであ
る。私たちは、彼の教義を拡大した膨大な書物を読んで、彼を思い描くことはきない。彼が、世
に結びつけたいと願ったのは教理の体系ではなく気質であり、分かちたいと願ったのは教義で
はなく愛の精神である。彼を幸せにしたのは、特殊な教理に関する知的納得ではなく、愛の大
きさにみあった魂の成長であった。「兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神
に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に
見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからで
す。」(2テサロニケ1:3)彼の神学が解釈される律法主義の雰囲気は、正に彼が嫌い究極は
消し去りたい雰囲気である。パウロ主義神学者の神はみな不変の条件に縛られており、彼の
意志による働きは困難である。というのはその人自身が創り出した律法の中に落ち込むから
である。そしてユダヤ主義の中でパウロの知っている神は永遠に後ろに置かれるのである。伝
統的な神学のパウロは、人々の論争と反対を引き起こした。明確に見える新約聖書のパウロ
は愛に満たされた人である。あるがままの彼を私たちが見るとき、彼は私たちの目にイエスに
次ぐ輝きを放ち、世を極みまで愛する人と見えるであろう。彼が書いたもの全ては彼の愛の光
によって読むべきである。彼の天性は温かく感じやすかった。彼は常に愛に飢えていた。彼は
それを決して十分に得ることはできなかった。彼は常にもっと欲した。神の愛すらも十分でなか
った。 彼は人間に愛を求めた。イエスが最後の夜、園に3人を連れて行ったときと全く同様で
あった。私たちは人であって神の愛は私たちの仲間たちを通して私たちに分かち与えられるべ
きである。パウロは彼の友人たちの愛なしに彼の働きを成し遂げることはできなかった。彼ら
は彼の魂の欠くことのできない支援者であった。彼ら無しには彼はなにもできなかった。彼は
一人でいることに耐えられなかった。彼はかつてアテネの町にいたときの孤独を決して忘れな
かった。彼は完全にひとりであった。友人たちが一時的にでも彼から離れていったとき、彼のこ
ころは粉々に砕けた。友人が彼を見捨てたとき、世界は暗くなった。「デマスは私を棄てた!」
(2テモテ4:10)私たちはそのことばを読むとき、彼のこころのうめきを聞き取ることができる。
彼は常に人の賛意、人の評価、人の共感や好意を熱望した。彼は些細なことにも敏感で、忘
恩によって傷つけられた。疑いと嫌悪によって殺された如くであった。彼はテトスから、コリント
人たちがパウロを慕い、嘆き、彼のためにこころを熱くしているということばを聞いたときいか
に喜んだかを彼らに語っている。それは彼が生きていくための食物の一種であった。彼は彼ら
に「それは悪を行なった人のためでもなく、その被害者のためでもなくて、私たちに対するあな
たがたの熱心が、神の御前に明らかにされるためであったのです。」(2コリント7:12)と、手
紙を書いた理由を告げている。「それが私の慰めです。」(2コリント7:13)と彼は述べた。 彼
が友人たちから離れていたとき、彼は彼らの事を考え、毎日彼らのために祈り、祈りの中で彼
らを名を挙げて覚え、彼らの霊的な進歩をはかった。彼らの霊的な勝利を喜び、再び彼らから
聞くことを熱心に探し求めた。「私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモ
テをあなたがたのところに送りたいと望んでいます。」(ピリピ2:19)彼は友人たちの消息なく
生活できなかった。その消息が遅れると、彼は不安になった。もしそれがあまりに長く差し控え
られたら、彼は完全に落ち込んだ。彼は彼が友人たちに会った最後の時を考えることを好ん
だ。彼はテモテが別れる最後の時にどんなに泣いたかを記憶していた。彼はテモテに再び会う
ことを熱望した。「兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので、・・と
いっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、・・なおさらのこと、あなたがたの
顔を見たいと切に願っていました。」(1テサロニケ2:17)「私たちはあなた方にあうことを激し
く望んでいます。」(ピリピ3:6)「私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたい
と、昼も夜も熱心に祈っています。」(ピリピ3:10) 彼は常に友人たちのために神に感謝し、
彼らをほめ、彼らに対する彼の愛を注いだ。なんと優しいほめことばを彼は書いていることでし
ょう。「私の同労者」、「私の戦友」、「私の同囚」と。その小さな代名詞「私の」の中に愛の富が
ある。彼はコリント人たちに言っている・・・「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あ
なたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがた
に対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。」(2コリント2:4)
ピリピ人たちに彼はこう言っている・・・「私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあな
たがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。」(ピリピ1:8)彼はテモテ
とテトスを、テキコとエパフロデトを、ピレモンとルカを、プリスカとアクラを、そのほか多数の
人々をいかに惜しみなく愛していたことか。彼は彼ら無しに生きていくことができなかった。彼
の最後の手紙で彼がテモテを呼んでいるのを私たちは聞いている。「できる限り早く私のところ
に来て下さい。デマスは去っていってしまいました。クレスケンスも去りました。テトスも行きまし
た。ルカだけが私と一緒にいます。私はあなたが必要です。
私は同じくマルコも必要としています。マルコを一緒に連れてきて下さい。エラストはコリントに
留まりました。私は病気のためトロピモをミレトに残しました。出来る限り冬になる前に来て下さ
い。」(2テモテ4:9〜21)これは非常に愛しているため一人では生きられない感じやすい心の
切実な訴えである。パウロの手紙全体に、愛の激しいほとばしりがあり、それが彼の論の基礎
として渦巻いている。そして彼の理念を覆い隠し、彼の歩んだ道を通して形成した彼の全ての
領域に溢れている。 しかし彼の愛は個人的な友人関係の外の領域にも留められることはな
い。 彼は全てのキリスト教信者たちを愛している。彼は教会を愛している。彼らは彼の子ども
たちである。彼は教会に属するすべての人々を愛している。彼は彼らすべてを彼の心に留め
続けている。教会は彼の愛する仲間である。キリスト者共同体に彼は最高の満足と報いとを見
いだしている。コリント人の教会に対して彼はこう書いている。「私たちの心はあなたがたに対
して広く開かれています。」(2コリント6:11)ピリピの教会に彼は書いている。「私はあなた方
への愛とあこがれをこころに抱いています。あなたがたは私の喜びであり冠です。」(ピリピ4:
1)テサロニケ教会に彼は書いている。「私たちの望み、私たちの喜び、私たちの誇りの冠は
誰ですか?あなたがたこそ、私の栄光、また喜びです。」(1テサロニケ2:19〜20)教会は愛
に根ざし、愛に基礎を置いている。そして教会は愛の中に建てあげられる。キリスト者たちが
互いに交わりをもっているとき、全ての知識に優るキリストの愛を知ることによって、その広さ、
長さ、深さ、高さの意味を把握する。
「キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように」(エペソ5:25)パウロはそ
れと同じことをなした。 彼の愛はキリスト者共同体よりも広かった。彼はすべての人を愛した。
彼は自分の同国人を愛したが、異邦人も同様に愛した。
彼はすべての国の人々を愛した。彼は彼らすべてに負い目があると感じていた。彼の深い望
みは、彼のもっているよいものを、彼らと分かち合うことであった。普通の人々にも彼の心が惹
かれないことは決してなかった。彼はローマに行ったことがなかったが、ローマの人々に霊の
賜物を分け与えることを熱望した。彼はスペインの人々に会ったことが決してなかったが、彼
は彼らを助けたいと消し去りがたい望みを持った。神はこの世を非常に愛したのでその独り子
を与えた。そしてパウロはこの世を非常に愛したので彼の究極の望みは全盛会をキリストの足
下にひれ伏させることであった。
パウロは常に愛する人であった。かつては、彼は嫌う人であった。彼は彼のあつい全情熱を傾
けて嫌った。それからある日彼はイエスに会った。そして彼の嫌悪は愛に変えられた。
彼はイエスを憎んだがが、イエスは憎み返すことをされなかった。イエスはパウロを憐れみ彼
を助けることを熱望した。イエスの声に優しさがあって、パウロの心を砕いた。イエスの眼差し
に愛があり、それが太陽の光が暗く見えるほどにした。それはパウロが決して夢見たことのな
かった栄光であった。その時から、パウロは愛する人になった。彼は限りない愛をもってイエス
を愛した。彼は恐らく決して並ぶものがない情熱をもってイエスを愛した。彼はイエスを全く完
全に愛したので、彼自身は消え失せ、イエスのいのちのなかに呑み込まれた。 彼の徳と数え
られるものすべてはイエスへの彼の愛である。そしてそれが彼の全経歴を説明している。それ
が彼の忍耐を生んだ。イエスは彼のために忍耐した・・・パウロが他の人々のために忍耐しなく
てよいだろうか?愛は彼に勇気を与えた。イエスは彼の敵全てと相対するとき勇敢であった。
パウロもまた勇敢でなくてよいだろうか?愛は彼に望みを与えた。もし彼が嫌悪の人から愛の
人に変えられることができたのなら、どうしてすべての人が変えられる望みがないといえるだろ
うか?愛は彼にすべてのものをイエスに献げることを喜んでさせた。「イエスは私を愛し私のた
めにご自身をお捨てになった」(ガラテヤ2:20)これは彼のすべての混乱と悲哀の真ん中で彼
自身に言い続けたものである。
 イエスへの彼の愛は彼の生きる力を構成していた。愛は彼を説教に駆り立てた。「もし私が
説教しなかったら災いである!」愛は彼に大きな町々の中心に行くことを強いた。それらは世
の生活の中心、邪悪な階級の家々にあって、それらはすべてイエスに征服されなければならな
かった。愛は彼を長い危険な伝道旅行に駆り立てた。彼の危険で困難な道に前進して行くと
き、「キリストの愛が私を強制している」そう彼は言った。 彼を自由にしたのは愛であった。愛
は全ての律法の束縛から彼を解放した。そして窮屈な伝統の鎖を砕いた。愛は彼に父の家に
いる子供の栄光の自由を味わうことを可能にさせた。愛は彼に力の意識と勝利の確かさを与
えた。
「私はイエスにあって全てのことができるのです。」それはうぬぼれた心のほらではなく、経験し
た事実に基づく冷静な声明である。 愛は彼に宇宙を支配する原理を見抜く力を彼に与えた。
そしてそれが彼が愛の讃歌を書くことを可能にした。はかることのできない貴重な愛の讃歌
は、パウロの個人的経験の写しである。それはパウロが自分を描いた肖像画である。「愛は忍
耐深く、親切です。」彼はコリント人たちへの彼の愛でそれを知った。彼らが原因となって彼が
受けた全ての苦痛の後に、彼は以前に勝って彼らを愛した。「愛はねたみません。」彼はそれ
を確信していた。なぜなら彼自身の心がねたみについて潔白であったからである。彼は富んで
いる人々、学のある人々、権力ある人々を妬まなかった。彼はただ平和と喜びを持つことを望
んだ。「愛は自慢しません。愛は高慢になりません。愛は相応しくない行動をしません。」彼は
そうであることを知っていた。なぜなら彼が働いたすべての町で、彼はエペソの長老たちに語っ
たとき言うことができた・・・「あなたがたと共にいた全ての時、私がどのように振る舞ったか、主
に仕えるようにへりくだった心で仕えたことをあなたがた自身が知っている。」(使徒20:18)
「自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。」彼
はそのことを熟知していた。なぜなら彼自身の愛がそのような順序に従ったからであった。彼
が「愛は全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを忍耐します」と書いたとき、彼自身の生
涯がペン先にしたたったのであった。
彼は「愛は絶えることがありません」と書くことができた。なぜなら彼の愛は決してその働きの
途中で挫折する事がなかったからである。ここに続いて起きてくるすべての世代の人々の渇き
をいやす泉がある。 パウロの思想のあるものは古風である。彼の思考の系統の多くは旧式
か廃れつつあるものである。しかし彼の愛は現代風である。愛する人は常に最新である。愛は
人の心を惹きつける力を決して失わない。世はパウロが知っている世界とすっかり変わってし
まったが、私たちの現代の世界は愛する人を必要としている。愛する人はどこの地でも何時の
時代でも喜んで受け入れられる。私たちの思考の系統は古びていないが、新しい科学の概念
も愛を追い出しはしない。宇宙の力の間に愛のための余地がある。私たちは法則の知識を誇
る。しかし愛の法則と対立する創造の法則はない。愛はすべての法則の下に存在し、その頂
点にもある法則である。愛のように世が必要としているものは他にない。全ての造られたもの
が愛を知っている人の出現を待望し、苦痛をもってうめき、すすり泣きしている。文明の馬車の
車が砂の中深くはまっている原因は、私たちの愛の欠乏である。もし世が命に入ろうとするな
ら、人々は愛の人パウロの足下に座して教えを請わなければならない。 現代の条件のなか
で、愛の生活は実践されうるのか?パウロはそうだと答える。彼はネロの時代に愛の人生を
生きた。彼はコリントで、アテネで、ローマで自分を忘れる愛の人生を生きた。彼は超自然の
起源であるとか、天賦の才能とか、奇跡的な知識とか力の泉を持っていたのではなかった。彼
は私たちと同じ限界と弱点を持っており、数知れない困難と試練と格闘したが、全ての人を愛
し、愛は決して絶えることがないことを発見した。彼は言う・・・「私がキリストに倣ったように私に
倣ってください。」彼は無謬の権威者でも神秘の働き人でも半分神である人でもない。そうでは
なく、もろく悩み朽ちるものであったが自分の道を勇気と忍耐とをもって勝ち抜いた。愛に値し
ない人々を愛し、彼らのために身をささげたが、猜疑と不興と長く迫害を受けた。それでも怒っ
たり苦くなったりそのようなすべての種類のことに陥ることはなかった。キリストの愛のように、
彼の愛は決して絶えることがない。



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