第二十一章 パウロの信頼

 彼の信頼深さという語によって、私が意味していることは彼の信仰である。
「信仰」という語は神学者たちによって台無しにされてきた。彼らはそれに関してあまりにも多く
議論したので、それが何であるのか分かる者がいなくなった。 彼らはあまりにもしばしば定義
をしたので、人々の心は望み無いまでに混乱させられた。
彼らは非常に徹底した分析をしたので、その過程で元の意味が失われた。あまりに多くの異な
った種類の信仰が並べられたので、人はそれらを識別しようとする気がなくなっている。私たち
の父たちは非常に厳粛に「救う」信仰を得よと力説されたので、彼らは低い種類の信仰を持っ
ているのではないかと恐れて絶えず苦しんだ。
彼らは彼らの目でつぶさに確かめ、詳細に分析し、分類できる信仰を得ようとした。しかしそれ
らが理解できないのでいらだった。
信仰は定義され得ない。ある人はそれを精神的力あるいは能力、信頼、信条、委任、頼みと
すること、神の火、熱心、望むものを与えること、見ていないものに対するテストと呼ぶかも知
れない。しかしそれらの定義からは何も得られない。イエスはもとより十二使徒たちもそれを定
義しようとしなかった。新約聖書中でそれをしようと試みた記者は、ヘブル人への手紙を書い
た記者だけである。ふたつ試みただけで彼はそれを放棄し、信仰がどういう働きをするかだけ
を示している。 
信仰が何であるか私たちが知ることができるただ一つの方法は、それを持っている他の人々
に接するか、私たち自身のうちにそれが存在することである。
私たちはしばしばヘブル人への手紙に記されている信仰の勇者たちを見ることによって助けら
れる。
それは私たちがパウロの魂に働いた信仰がどのようなものであったかよりよく見出すための助
けになるであろう。パウロは行いにあって信仰の権化であった。
私たちは特に彼の信仰を学ぶことを熱望する。なぜならパウロは「信仰の使徒」として世に知
られているからである。彼はその道のもっとも著名な王者である。
信仰は彼の愛したことばであった。そして常に彼の脚と筆にあった。しかし不思議なことに、彼
は自分自身の信仰について私たちに語らない。彼は決してそれに言及しなかった。彼は自分
の仕事、忍耐、無私、辛抱強さ、忠誠、献身について、彼の指導者たちに、記憶しておくように
求めたが、彼の信仰を覚えておくようにとは決して求めなかった。「私たちは信仰によって歩
む。」は彼が好んだことばのひとつであった。それゆえ、彼の信仰を理解するために私たちは
彼の歩みを観察することが必要である。
彼はイエスが歩まれたように歩んだ。それこそが、彼の信仰が彼になすことができるようにさせ
たものであった。 彼の好んだ勇者はヘブルの聖書にあるアブラハムであった。
アブラハムはヘブルの人々、そして事実全人類に関する歴史に新分野を拓いた。
彼はヘブル人の父であり、また神が意図されたとおりに生きることを願う他のすべての人々の
父であった。アブラハムの生涯の秘訣は一言で語ることができる・・・「彼は神を信頼した。」彼
は神が現れなくとも神に信頼した。彼は暗闇のなかでも信頼した。「彼はどこに行くのかを知ら
ずに出かけた。」(ヘブル11:8)「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反
対に、信仰がますます強くなった。」(ローマ4:20)そしてアブラハムの信仰の各段階は、すべ
ての人々が歩むべきものである。そのようにパウロはローマ人たちに書いた。 アブラハムの
信じた神をパウロも同様に信じた。
それがパウロの最も深い納得であった。その信仰は彼の心に糸によって織りなされ、彼のここ
ろのひだ(手触り)となった。「すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造ら
れ、御子のために造られたのです。」(コロサイ1:16)
「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのも
のの父なる神は一つです。」(エペソ4:6)「私たちにはただひとりの神、父がおられ、この方か
らすべてのものとこの方につく私たちがでたのである。」
アブラハムは神は義であると信じた。パウロもそうであった。パウロは地上のすべてのものの
審判者は常に正しいと確信していた。永遠者の善は岩であって、彼はその上に建てた。この人
間の経験の中でこれと明かに矛盾するものを彼は憤然と除外した。「すべての人を偽り者とし
ても、神は真実な方であるとすべきです。」(ローマ3:4) 神はヘブル人たちにひとつの約束を
した。その約束はイエスによって成就した。イエスは救い主であった。イエスのうちにすべての
神性が宿っていた。神はイエスによって世をご自分と和解させた。このことをパウロは確信し
た。神はイエス・キリストの父である。神はイエスのようである。それ故神は私たちの愛する助
け主であり友である。 パウロはキリストの内にある神を確信したので、彼は勝利を確信した。
人は自分の罪から救われることができる。彼は負ける戦いをすることはない。彼は罪の意識
から解放されることができる。「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められ
ることは決してありません」(ローマ8:1)
彼は自分の経験によってそれを知っている。
 祈りによる勝利も同様に確かである。古い恐れは彼の心から取り去られた。人々はもはや奴
隷としてではなく子として祈る。彼らは神を「父」と呼ぶ。そして神の霊が彼らの心に彼らが本当
に神の子どもたちである事実を証明する。そしてもし彼らが子であるなら世継ぎなのである。彼
らはキリストと友に世継ぎに加えられている。そしてキリストが受け嗣いだものを彼らはキリスト
と共有するのである。彼ら自身は祈ることを知らなくても、神の霊が彼らに必要な助けを与えら
れる。パウロはこのことも彼自身の経験から知っている。
 神はキリストのうちにあるため、キリストのために労することは価値がある。働き人は必要と
するものは何であっても受けることができると確信している。フェストとアグリッパにパウロはこ
う言っている。「神からの助けを得て、今日私は大いなる人にも小さなひとにも証言するために
立っています。」神は神の業を行う全てのひとの助け主である。「私が植えて、アポロが水を注
ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(1コリント3:6)神は働きの大部分をなされる。「そ
れで、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」
(1コリント3:7)働きが無に帰す人はいない。「それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の
報酬を受けるのです。」(1コリント3:8)「勝利は私たちのもの。神に感謝せよ!ですから、私
の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたが
たは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(1コリント15:5
8)
 パウロは神のために働いていたから、彼は日々導かれることを確信していた。
ルカはパウロがヨーロッパに福音を宣べ伝えるに至った経緯を私たちに語っている。
それは一連の失望と計画の練り直しを通して起きた。パウロとバルナバは第二次の大伝道旅
行に一緒に行こうとした。しかしヨハネ・マルコを非難したことが全てを覆してしまった。それで
パウロは新しい助け手と別な方向に行った。
彼はアジア地方で宣べ伝えようと決心していたが、彼がそこで働きを始めるとただちに「彼は
聖霊によってアジアで語ることを禁止された。」(使徒16:6)とルカは述べている。
どのような方法で聖霊が彼に禁じたのか私たちは知らない。丁度その時その地方に悪い病気
が流行ったと推測されている。そしてパウロは以前の経験に沿って彼の考えを変えたと考える
人がいる。これは全く不自然ではない。聖霊は流行病を通して語ったかも知れない。後日私た
ちはパウロが自分の人生において何度も計画を変更していることを知らされている。私たちの
新約聖書は「そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があ
ったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。」(使徒20:3)と述べている。昔の権威のあ
る新約聖書にこう読める文章が記されている。「彼はシリヤに向けて船出しようとしたが、聖霊
がマケドニヤにとって返すようにと言われた。」聖霊は外部の状態とか状況を通して、また内な
る衝動と傾向性を通して彼に語られた。アジヤはある理由であるいは丁度その時行くことがで
きなかったので、パウロは顔をビテニヤに向けた。彼がムシヤの向かい側に着き、ビテニヤに
入って行こうとしたとき、イエスの御霊が「それを彼に許さなかった」。(使徒16:7)どのような
手段でイエスの御霊が彼に知らされたか私たちにはわからない。しかし恐らくその地方に近づ
く途上で、そこには大きい町が無いことを知り、パウロはその地方には彼の働き場が無いと感
じ、他に行こうと決断した。
彼はトロアスに行くことは期待していなかったが、彼も彼の旅の同道者も結局そこに着くことに
なった。二つの扉はすでに閉ざされていた。しかしパウロはまごつかなかった。彼は神に信頼
した。彼は神が彼になす事を望まれている仕事には道が開かれているに違いないと知ってい
た。アブラハムのように、彼は召し出された。そして自分がどこに行くのか知らないで出かけ
た。彼は見えるところによったのではなく信仰によって歩んだのであった。彼はまだヨーロッパ
に行こうという考えは持っていなかった。しかしある夜トロアスで、あることが起きた。彼は夢を
見たが、その夢の中で一人のマケドニア人が彼の前に立ち、「来て下さい。・・・こちらに来て私
たちを助けて下さい!」と言った。(使徒16:9)朝になってパウロはシラスとテモテとルカに彼
の見た夢を話し、彼らは全員神が語られたこの夢に従う決意をした。彼らは直ちにネアポリス
への道をとった。こうしてイエスの宗教は一つの大陸から他の大陸へと運ばれた。その道は暗
く悩まされるものであったが、パウロはどんどん進んでいった。信仰によって歩むことは多くの
勇気を要する。人は自分の計画が挫折し、戸が閉ざされると失望するものであるが、パウロは
いかなる召しが来ようとも、神の導きを信じ、直ちに従った。彼の服従は彼の信仰の表れであ
る。 パウロが出会った迫害に打ち勝ったのも彼の信仰によるのであった。迫害は愛の神の
最終的なご計画ではあり得ない。迫害は準備であり、学びの手段であり、導きであるに違いな
い。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取
るに足りないものと私は考えます。(ローマ8:18)私たちの一瞬の軽い悩みは、もっともっと優
れた永遠の重さのある栄光のために私たちに働くのです。」
「私たちは一日中殺されている、私たちは屠られる羊と見なされた。これら全ての中にあって私
たちを愛してくださる彼によって勝利してあまりがある。」(ローマ8:36〜37)これが信仰であ
る。 パウロが脅かしとギリシャ、ローマの世の嘲りに直面したのは信仰によった。モーセのよ
うに彼は目に見えないお方を見て耐え忍んだ。
パウロの個人的な生涯について光を投じるものはここ100年間何も発見されていない。図書
館、修道院、墓、洞穴、砂の山を、人々は他の情報を求めて熱心に探した。しかし使徒の行動
やことばあるいは功績に関する私たちの知識を増すものは一切れも見つからなかった。彼へ
の手紙も彼からの手紙も見つからなかった。彼に対して光を投ずるいかなるギリシャ語とかロ
ーマ語による記述も見つかっていない。 彼が行きたかったスペインへの旅に関する私たちの
興味を満足させるものは発見されていない。しかしパウロの生涯に関して私たちにもっと語っ
てくるれるものが存在しない一方で、パウロが生きた世に関して多くの学びがなされた。
私たちはローマ皇帝について19世紀初頭の人々よりもよく知っている。
私たちはパウロが旅行した国々の社会や政治の条件に関するより多くの知識を持っている。
私たちは1世紀の宗教について、また彼らが人々の想像力と心とを把握したことをよりよく知っ
ている。この新しいパウロに関する光はパウロ自身に新しい光を投じる。
彼が戦った力をよりよく知ることによって、私たちはその人の恐るべき力をより正確に見積もる
ことができる。私たちが自分を彼が説教していた世界に置くとき、私たちは彼の信仰の強大さ
を悟り始める。
彼は常に大きな町の心臓部を直ちに一撃した。彼は最も強く最高の世に挑戦することを求め
ていた。彼はエペソを愛した。なぜならそこは大きく、富んでおり、力があったからである。エペ
ソで造られていたダイアナ(アルテミス=月の神)の大きな神殿は何物にも勝って彼を引き寄
せた。ダイアナ礼拝はイエスが覆した宗教のうちのもっとも大きなものの一つであった。その神
殿は・・・七不思議のひとつ・・・されるほど世界的に有名であった。それに対する礼拝儀式は荘
厳でうやうやしい印象を与えた。
その影響は人々の生活の隅々にまで及んでいることを感じさせた。世紀にまたがってその力
は全市全地方を掌握し、打ち破りがたい勢力を保っていた。この有名さと力ある神として荘厳
な神殿のもとに、ユダヤ人の旅行者がやってきた。そして彼はいつの日にかこの神殿の栄光
と崇拝を空虚なものとして倒れさせ、ダイアナからその席を奪う新しい概念を信じていた。
パウロは教会堂も、神殿も、寺院も、祭壇も、公的な祭司としての聖職者の職位も・・・人々が
礼拝に欠かせないと考えているもの・・・持っていなかった。彼の僅かの礼典は二、三切れのパ
ンとカップ一杯の葡萄酒であって、大きな神殿の精巧で豪華な儀式に慣れていた人々の目に
は無価値で卑しむべきものに過ぎなかった。しかしパウロは単純で虚飾のないパンと葡萄酒
の礼典がいつか充ち満ちた豪華な神殿の礼拝を駆逐することを信じていた。なぜならパンと葡
萄酒は神の人間に対する偉大な贈り物を意味していたからであった。
パウロは哲学者たちとか学者たちの後ろ盾や、金持ちとか貴族の支援、伝統的な名声、昔か
らの宗教的な認可などいっさいを持っていなかった。けれども彼は十字架に架けられた犯人が
墓から出て天の王座に座したという信じ難い物語を信じ、いつの日か人間の理性の納得を
得、人の心の献身を勝ち取るであろうことを信じていた。
 エペソでなしたことを彼はアテネでも同様に行った。その町は千年もつづいた信仰に支配さ
れていた。その信仰は伝統ある詩に記され、一般の人々の習慣と物事の考え方となってい
た。しかしキリストにある神の彼への啓示に関するパウロの信頼は非常に大きく、世界の知識
の中心である哲学学校で教えられる典型的な解説者たちに彼は新しい宗教を示した。それは
ユダヤで十字架に架けられた人が全ての国民を審く時が来ることを神が告げておられるという
ことであった。彼は議論しようとせず、単純に自分の信じていることを説明した。彼は信じてい
たからそれを語った。
彼はローマでも同じ手段をとった。彼はもはや自由の身ではなかったが、彼の鎖は彼の信仰
を弱めなかった。
信仰は縛られることがない。ローマは世界の女王であった。しかし彼は皇帝の町で語る事を恐
れたり恥じたりしなかった。ローマはイエスという名の卓越した主を持つべきであった。ローマ
の紋章の上に最終的にイエスの十字架の影を投じた力を与えたのは信仰であった。
パウロが神に関して語ることは、なんであってもわくわくする程の確かさの感じがあった。彼は
疑わず、疑念を持たず、ためらいもしなかった。多くの事柄に関して、彼は注意深く自分を表現
している。彼は自分の方法を感じ、時には自分の判断を信頼できない人のように行動した。し
かし、ひとたび神について語るとき、彼の信頼は完全であった。彼は無条件で信じた。神の愛
を疑うことは、彼の心には決して入ってこなかった。神の統治と導きが不確かなときにも彼のこ
ころは決して翳らなかった。
彼の信仰には曇りがなかった。その信仰の故に、彼は力の人であった。難船した船の甲板で
「私は神を信じている!」、彼は取り乱したり落胆したりした仲間にそう言い、誰もがその心に
新しい命の脈動を感じることばをもって鼓舞した。信仰は魂から魂に伝えられるエネルギーの
姿である。信頼をしている人々の存在する中で、私たちもまた信仰深くなるのである。
 彼と一緒にいることによって最後はどうなるのであろうか?信仰は晴れ渡った空の下で平ら
な道に沿って強くなるが、しばしば、道路がでこぼこになり、曇り雷が鳴り渡ることによって弱く
なる。
若者の元気旺盛な信仰も、太陽が西に傾くとしばしばゆらぐ。最後までふるわれずに自分の信
仰を保つことは容易ではない。パウロは暗い世界に生きた。ローマ皇帝の王座には、かつてロ
ーマの王権を行使した人物中最悪の男が座っていた。宗教はその力を失ってしまったかに見
えた。
大部分の人々は神無く世にあって望みもなく生きていた。大都市の社会は退廃し、田舎では粗
野で劣悪な生活がなされていた。パウロの経験は人間性の悪い面を彼に思い知らしめた。
人々は恵みに代えて不興と残虐性をもって彼を遇した。彼が自分の人生をささげた目的は
遅々として前進しなかった。イエスの宗教は上流階級の人々には無視され、大多数のひとびと
から軽蔑された。パウロが牢獄にいたのは最後の時だけではない。彼は過去をふり返って、
彼の脚が旅した難儀な道の上り下りを熟考した。
鎖につながれて座し、直面している死を見た。繰り返し彼の思いはテモテに向かった。ある日
彼はテモテに手紙を書く決心をした。テモテは彼の息子であった。テモテに対して彼は他の誰
よりも彼の心を注ぎだした。こう彼は言っている。「私は、この福音のために、宣教者、使徒、ま
た教師として任命されたのです。そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しか
し、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知ってお
り、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信
しているからです。」(2テモテ1:11〜12)
彼はまだ自分の報いを確信している。彼は彼自身に関する一部の文章を繰り返している。あ
るいは散らされたキリスト者の会衆に讃美歌のスタンザ(節・・詩の形式)として歌われたかもし
れない。
「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。もし耐え忍んでいるな
ら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。私たちは真
実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」(2テモ
テ2:11〜13)
 何年も前に、彼はコリントの教会に書いた。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。
おまえのとげはどこにあるのか?神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによ
って、私たちに勝利を与えてくださいました。」(1コリント15:11〜13)
それと同じ勝利の考え方はまだ彼の心に鳴り響きつづけている。「私は勇敢に戦い、走るべき
道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されている
だけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけで
なく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(2テモテ4:7〜8)
その手紙の最後のページの終わり近くに、彼はこの彼の信仰の究極の表現を記している。「主
は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄え
がとこしえにありますように。アーメン。」(2テモテ4:18)
 そしてその生涯の終わりに、イエスがバプテスマの日から死の日まで示し続けた静かなふる
われることのない神に対する信頼を、パウロも同様に持っていた。
新約聖書の記者はイエスを「信仰の完成者」と呼んでいる。(ヘブル12:2)
パウロの信仰を完成した方はイエスであった。
パウロは言うであろう。「私ではなく、私の内におられるキリストが、神に対する揺らぐことがな
い喜びの信頼を得させることができる。」
私たちはパウロが臨終のときに言ったことばを知らない。
しかしもし彼の首が体から切り離される直前に彼が語ったとしたら、私たちは彼のことばの中
にステパノの祈りの精神・・・「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」と、イエスの最後の
勝利のことば・・・「父よ。あなたの手に私の魂をお委ねします。」であると確信している。



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