第十九章  パウロの感謝

 新約聖書の中でパウロの手紙が引用されているのは、ペテロの手紙第二に見いだされるも
のただそれだけである。そこペテロはこう述べている。「これらの手紙には難しく理解しにくい個
所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを他の聖書と同様に曲解し、自分の滅び
を招いています。」(2ペテロ3:16)しかし同様に容易に理解できるものもあり、いかに曲解し
ようとしても、(曲解することによって)自分を破滅に陥れることができる人は誰もいない。パウ
ロの感謝は彼の手紙のいたるところに大きく記されている。(その文字が大きいので)走ってい
る人でも読めるかも知れない。パウロの思想のいくつかは曖昧であるが、彼の品性に裏切ら
れる人は誰もいない。彼の理由づけは時としてあまりにも高く、彼の神秘さは普通の読者にと
ってあまりにも深いかも知れない。しかし、彼の品性はすべての人に容易に理解できる範囲に
ある。彼の教理のいくつかは信じがたいかも知れない。しかし、彼の徳に対して躓く人は誰もい
ない。彼の手紙にはただ学者にのみにしか扱うことのできない句があるが、しかしすべての
人々が容易にとりいれることのできる他の段落がある。
彼の感謝に関して疑いを打ち上げることのできる人は誰もいない。 彼の文章のある部分は
人々の感情を傷つけるかも知れないが、彼の品性を聞いて傷つく人は誰もいない。彼の教義
に関わる記述に関してはほとんどすべてに異論があり、混乱した解釈がなされているが、彼の
感謝の能力についたてはただひとつの見解があるのみである。果てしない論争が彼の教理か
ら生じてきた。しかし彼の感謝をする習慣的な行為に関しては何の議論もされない。 彼の語
ったことの多くは、ただそれぞれの場に適用されるだけのものなのである。それはそのことが
語られた世に対してのみ意図されていた。しかし彼の徳は普遍的に認められ、すべての人類
の貴重な財産なのである。彼の教えのいくつかは一時的な重要性を持っていた。時が経って
それは古風で不要なものとなった。しかしその人は永遠なのである。彼の感謝の麗しさは永遠
であり、記録される最後の時に至るまで、人々は感謝の心の音楽を彼から聴くことであろう。 
彼の感謝を含む文章は未だかつて非難されたことがない。教理的な小節のすべては疑いと否
定をひき起こしてきた。もしもある学者が神学的な理念に同意しなかったら、彼はそれが含ま
れている文章の権威に対する攻撃をすることはほぼ確実である。彼は、それを挿入句とか、編
集者の巧妙な仕業であるとか、全文章がパウロよりずっと後の時代に生きた人の創作である
とみなす。しかし、パウロの感謝に関する文章の権威に疑問をとなえる人は誰もいない。従っ
ていずれにしても、私たちは確固たる基礎の上にいることになる。パウロの理念は破壊された
が、パウロその人は生き続けている。人々は彼の終末論を疑うが、彼の感謝の心は疑わな
い。彼らはキリスト論を拒絶するが、彼の感謝を返す習慣を賞賛する。彼の感謝の物語は私
たちから取り去られることはない。 彼の権威は頻繁に否定された。彼がアダムの教理を述べ
たとき、あるいは人の罪を描いたとき、あるいは結婚に関するアドバイスをしたとき、ひとびと
は言う・・・「あなたは何の権威があってこれらすべてを述べるのか?」と。しかし彼の徳の権威
に疑義を唱える人はいない。彼の徳がひとえに私たちに反論の余地を与えないのである。そ
れらの徳は天が創造したものであると私たちの心のうちに証しする何かがある。彼は自分の
忍耐深さによって私たちに言う。「忍耐深くありなさい。」彼は自分の勇敢さによって言う。「勇敢
でありなさい。」彼の感謝の心によって言う。「感謝しなさい。」そして私たちは神ご自身がそれ
を語っていると感じる。善い人々の徳を通して、私たちがどのような人でなければならないか
を、神は私たちに語られる。 パウロの感謝のなかに私たちは彼に品性の最もうるわしい点を
見いだす。感謝はすばらしい自然のみごとな花である。それはあまりにも美しいので人はそれ
を徳と呼ぶことをためらう。それは恩寵のひとつに属するように思われるからである。それを持
っていない強い品性がある。世の中は感謝しない人々で満ちている。そして感謝しない人は決
して幸福でない。感謝すべきものが何もないといって感謝の気持ちがないことを当然とする多く
の人々がいる。彼らが強く欲しがった何かが彼らに与えられなかった。それが彼らの人生にお
けるすべての恩恵に対し、感謝する責任を免れさせる。パウロは神に繰り返しなした願い事を
退けられたが、その拒絶が彼の姿勢を変えることはなかった。彼は正しく感謝の道を進んだ。
他の人々は世が彼らを冷酷に扱うと感謝しなくなる。
多くの人々が感謝に無関心であって、ある者たちは無慈悲であり、彼らの心は皮肉で頑固に
なったままである。パウロは「ののしられ、責められ、誹謗され、この世から拒絶され、すべて
のものの滓と見なされた。」(1コリント4:12)しかし彼は「神に感謝しなさい。」と言い続けた。
人の心を満足と幸福にするすべてのものを取り去られて生きる時に感謝に溢れていることは
容易ではない。パウロは自分の生涯についてこのように記述している。
「今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。また、
私たちは苦労して自分の手で働いています。」(1コリント4:11−12)しかし彼の心は常に感
謝のことばで溢れ続けた。最もわずかのものしか受けず、最も重い荷を担わされた人々が、し
ばしば人生の最も値い高い富として神にその善を感謝することは、この世の奇跡のひとつであ
る。感謝の情を全く持っていないのではないが、その感情が非常に弱く、感謝が口に登ること
はめったにない人々がいる。神の恵みの真ん中にいながら彼らはおしのままである。感謝を口
にするのは容易でしばしば空言であり、心の中でのみ感謝することが、神とか人から期待され
ているのであるという考えから、彼らは「ありがとう」と言うことから自分を免除する。しかし心に
満ちたものは口に登るのである。心が感謝に溢れているときは、舌は黙っていることができな
い。魂にあふれるものに満ちたとき、その溢れるものがことばになる。いつも貧弱で弱った感
謝のみが沈黙に避けどころを求める。パウロはどこにおいてもいつでも感謝した。感謝を表現
する能力で、パウロは「私の魂よ、主をほめたたえよ。そのすべての恵みを忘れるな。」(詩篇
103:2)と記した詩篇の記者の兄弟である。パウロの内にある感謝の魂は、常に人々の目と
耳に記された。それは隠しておくことのできないものである。ルカは初期の教会の歴史を、パウ
ロの僅かな出来事にも感謝を返す姿に、所を得させずに描くことができなかった。ルカは彼の
友の内なる生活を扱うことはしなかった。彼が書いた目的はひとえにパウロの外面的歴史であ
る。彼の書は「使徒の働き」であって、彼が書き留めたのは国から国へのパウロの旅である。
パウロの感謝が表された劇的で忘れがたい3つの公の機会があって、ルカはそれを見過ごす
ことができなかった。彼はパウロとシラスがピリピの牢獄の最も奥の部屋にいたとき、彼らの足
は足かせに固定されていたにもかかわらず、真夜中にこの二人の囚人たちは神を称える讃美
歌を歌い始めた。彼らは自由を奪われ、その背中はローマ人のむち打ちによって血が流れて
いた。彼らは非常な苦痛の中にあった。しかし神の善を忘れなかった。そして彼らは感謝の情
にあふれたのでそれが讃美となって注ぎ出された。ルカは、囚人たちがみなそれを聞いていた
と私たちに語る。1900年を通じて、世の多くの囚人たち・・・罪の枷に堅く縛られ、この世の奥
深い部屋に閉じこめられた男女は・・・その夜の讃美の不思議に惹かれて、それを聞くのをや
めなかった。パウロの神学はしばしば耳を閉ざされるが、その夜のパウロの讃美は、神学に
無関心な人々の魂に入る入口を見いだす。こうしてパウロは人類の心に彼の涙と共に彼の讃
美をもって語るのである。 ルカは私たちに、同様に劇的なもう一つの情景を語る。パウロは
見知らぬ海岸にある難破船の甲板に立っている。まだ太陽の光もなく、濡れた乗客たちは望
みと恐れの入り交じる暗闇の中に一緒にいた。14日の間嵐に翻弄されて、みな食欲もなくなっ
ていた。飢え弱って、彼らは朝早く寒さに震えている。パウロは意気消沈し、パニックに陥って
いる彼の周囲の仲間たちを呼び集め、元気なことばで語り、彼らに食物を食べるようにうなが
した。その時点で彼がなしたことは、ルカの記憶から色褪せることは決してなかった。パウロは
パンを裂く前にみなのいる前で神に感謝した。そしてその祈りがすんでから彼はパンを裂き食
べ始めた。彼の例にならって、他の275人の、疲れ、元気を失っていた人々も元気を回復し同
様に食べた。彼の周囲にはみじめな人々がいるのみで他に何もなく、そして先は見通しのない
危険が彼を待ち受けている陰気な日の冷たい朝方に、パウロの心はなお神をほめたたえる讃
美を歌った。彼はパン切れを口にする前に、まず神に感謝せずにはいられなかった。 ルカは
ローマのキリスト者である、パウロに会いにきた小さい仲間のことに、パウロがいかに深く動か
されたかを決して忘れることができなかった。ある人々はトレス・タベルネと呼ばれる場所まで
30マイルを、また幾人かは更に10マイル遠いアピオ・ポロまで、このようなすばらしい手紙を
書いた使徒に会いに歩いてきた。パウロの目が彼らの上に注がれた時、彼らはパウロを知ら
なかったが非常に温かく親切であった。彼の心は喜びに踊り、感謝の情は彼の唇からほとばし
り出た。見いだした表現のことばをルカは記録しなかった。しかしそれはルカの心に消し去るこ
とのできない印象を残した。「彼は神に感謝した。」ローマのキリスト者たちがそのように遠くか
ら彼を歓迎するために歩いてきた光景は、彼の寂しい困難な心を新にさせ、ルカの簡潔なこと
ばで「彼は勇気を得た」と記されている。彼らの友情の眼差しのほがらかな顔はパウロの不安
を一掃した。その時彼は、世界の主都にいる人々の心が彼に対して開かれていることを知っ
た。「彼は神に感謝した。」しかしパウロの心がもっとも十分に明らかにされているのは彼の手
紙の中においてである。ここにおいて、私たちは彼の内の喜びの気分が習慣的なものであっ
たことが分かる。パウロの全生涯は感謝に浸されていた。神をほめたたえる流れは絶えず彼
を通して流れ出ていた。そして燃え上がる感嘆と白熱した頌栄が正しく彼の論述の真ん中に高
揚されている。「私たちに勝利を与える神に感謝しなさい!」(1コリント15:57)「キリストにあ
って常に凱歌を上げることの故に神に感謝しなさい。」(1コリント15:57)「私があなたがたの
ことを思うのと同じ熱心を、テトスの心にも与えてくださった神に感謝します。」(2コリント8:1
6)「ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」(2コリント9:15)その手紙は
非常に親密、かつ自然で、馴れたことばであり、どんな感情も彼のうちに強く、見える形に噴出
した。彼は彼の理念が彼の感情の前に立ちはだかるのを許さなかった。彼の知性は、彼の心
を抑圧したり脇に押しのけたりすることを許されなかった。彼は神がキリストにあって彼をどの
ように赦されたかを考えるとき、ただちに頌栄が沸き起こってくる・・・「今、永遠の王、不死、霊
である、唯一人の神に、誉れと栄光とが永遠にありますように。」彼の歴史の概観の結論とし
て、彼の目の前に展開される神の目的と手段によって、彼は突然とまり、讃美の歌が破れ出
る。「ああ。神の知恵と知識の富はなんと深いことであろうか! すべてのことが、神から発し、
神によって成り、神に至るからです。この神に、栄光がとこしえにありますように。」(ローマ11:
36) 彼の手紙は、ほとんどすべて感謝が突如現れることで始まっている。彼には常に感謝す
るものがあった。もしただちに明白なものがないなら、彼はそれを捜した。彼がコリント人への
手紙第二を書いたとき、彼は彼らの霊的な進歩を感謝した。そして彼らが彼のために悩んだこ
とを神に感謝した。苦難に従って、彼は他の人々を慰めることができた。彼の苦難は非常に大
きかったので、彼の受ける慰めは非常にすばらしいものであった。彼は彼自身が神によって慰
められた慰めによっていかなる悩みにある人々をも慰めることが十分できた。彼は友人たちの
ゆえに神に絶えず感謝した。彼は彼らに与えられた恵みのために、彼らの霊的知識と力の成
長のために、彼らの信仰と愛のために、彼らが彼を覚えていることのために、彼が祈りの内に
彼らを覚えて喜ぶ特権の故に感謝した。しかし神に感謝する原因の第一のものは、イエス・キ
リストのうちに神の思いと心とが啓示されていること、そしてイエスを通して人に罪の赦しが与
えられることである。彼の感謝のすべてはひとつの感嘆符に集約される・・・「いいあらわすこと
のできない賜物を与えられた神に感謝しなさい。」(2コリント9:15) パウロは人々にも感謝し
た。彼は受けた親切を決して忘れなかった。彼を助けた人の姿を決して見失わなかった。ピリ
ピに二人の婦人がいたが、彼らは殊に勇敢で、自己犠牲をもって彼の仕事の前進に尽くした。
ローマで彼らと彼らがなしたことのために感謝し、ピリピの教会宛の手紙の中に彼らの名を記
した。そして彼の友人の一人に彼らを援助してくれるように頼んだ。彼が「同労者」という語を書
くとき、それは彼の感謝の香がそれに伴っている。彼が遠く離れた町の様々な回心者たちに挨
拶を送るとき、彼はしばしば付け加えた・・・「彼は私を助けてくれました。」「彼女は私たちのた
めに労してくれました。」彼の祈りは彼が神に感謝を捧げる人々の名前で満ちている。
 ピリピにある教会は特に彼に親切であった。一度ならず麗しい方法で彼に贈り物をした。彼
のすべての手紙の中で、この教会への手紙ほど気持ちよく愛にあふれているものはない。そ
れは感謝の芳香で満ちている。その書き始めはこうである。「私はあなたがた皆が私を覚えて
いてくれたことの故に感謝しています。あなたがたすべてに対する私のすべての祈りの中で、
私は常にその一番はじめからこの瞬間に至るまであなた方が福音のために働いてくれたこと
を喜びを持って祈っています。この方法であなたがた全てのために感謝することは私とって自
然なこです。私が囚人であるのと同様に、私が福音を守り擁護したように、私は心の内にいか
にあなたがたすべてと神の恵みを分かちあいたいのです。神は、私がキリスト・イエスご自身の
愛をもってあなたがたすべてを恋い慕っていることの私の証人です。」(ピリピ1:3〜8)ちょうど
着いた彼らの最後の贈り物に対する彼の応答はもっとも魅力的である。彼の感謝はまれな麗
しい文章のなかに溢れている。彼は彼らの贈り物を芳香をはなつ香油と呼び、神の喜ばれる
犠牲の一種であるとした。彼らの親切を黙想することによって彼の感情は湧き上がり、唱栄を
もって書き終えている・・・「私たちの父なる神に永遠に栄光があるように。アーメン。」(ピリピ
4:20) パウロに注目したオネシポロと呼ばれる人がいた。彼はテモテへの手紙第二の中に
不朽の名をとどめた。その手紙が書かれたとき、彼自身は死んでいたが、彼の妻と子どもたち
は生きていた。そしてパウロはかれらすべてのために神に祝福の祈りをした。彼は、オネシポ
ロがローマに会いに来ることによって彼の魂を元気づけた時のことを、様々な時に思い返し
た。彼はパウロを探し出すために困難な時を経たが、パウロのいるところを発見するまで探す
ことを諦めなかった。パウロはローマ政府の囚人であったが、彼は恥じることなく彼に会いに来
た。彼がやってきたときはいつも、パウロの心は新鮮にされた。オネシポロは他の世界にいる
がパウロの思いは彼についていった。そして彼がどのように感じているか表現できないため、
彼は彼と彼の全家族について神に祈った。 その手紙を書き始めてすぐに、パウロは彼の鎖
のために彼を棄てた人々について言及し、それが忠実なオネシポロの親愛な顔を思い起こさ
せた。彼は彼の鎖にもかかわらず友人としてとどまり、ローマで彼を支援した。かれは以前エ
ペソでもそうしたのであった。その手紙の最後のページに、パウロは彼に最も敵対したアレキ
サンデル他の人々について考えている。彼の第一伝道旅行の際に、彼の妨害し、そのため彼
の支援者がいなかったと彼は語っている。みな彼を見限った。しかし忠実で真実な心の人が地
上にまだいた。彼らの大部分に彼は彼の愛のこもった挨拶を送ろうとした。彼は最後の祝祷を
書く前に、こう書いている。「プリスカとアクラとオネシポロの家族に挨拶を送ります。彼らが自
分の家に私を迎えてくれた男女に挨拶を送ります。彼らのかたわらで私はしばしば自分のパン
を稼ぎ出すために働きました。私のためにいのちの危険を冒してくれたひとびとに、そしておな
じくエペソで私がけものと戦った時私のそばに立ってくれた人、私から去るのではなく私の友で
あって、私のかたわらでその生涯を終えた人の妻と子どもたちに挨拶を送ります。」(2テモテ
4:19〜22)パウロの手紙の最後の文節に、私たちは決して色あせることのない感謝の豊か
な記念を得ていることにその記録の価値がある。 パウロの感謝のことばは、それが彼自身
の品性の光の下で読まれるとき明かな栄光に輝く。ピリピ人たちに彼はいう・・・「あなたがたの
願いを感謝をもって、祈りのうちに神に求めなさい。」(ピリピ4:6)彼はエペソ人たちにこう書い
ている・・・「私たちの主イエス・キリストの名によっていつもすべてのことに父なる神に感謝しな
さい。」(エペソ5:20)コロサイ人たちに彼はいう・・・「あなた方が語ることあるいは行うことが
何であっても、すべてのことを主イエスによってなしなさい。父なる神の名に感謝しなさい。」(コ
ロサイ3:17)彼のすべての説教のなかでもっとも暗示に富むものの一つは、コロサイ人たち
への手紙の終わり近くにある。「感謝の祈りを熱心に保ちなさい。」(コロサイ4:2)感謝の精神
はすべての精神の中のもっとも力強いもののひとつである。それは人に勇敢さと忍耐深さとを
保たせる。それは働きを容易にし、また祈りもそうである。


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