第十八章 パウロの共感

 共感ということばの意味は相互理解の感情である。
私たちは対象が何であるかに関係なく、誰かとそれを同じように感じる時その人に共感を感じ
る。 私たちは彼と同じ席に自分を置き、彼の経験を自分たちの内に繰り返す。これが共感と
いう語の意味するすべてである。しかしことばというものはしばしばそれがはじめに持っていた
意味を失い、私たちの「共感」という語も次第に貧弱なものになりつつある。それは憐れみとい
う意味に変化しつつある。憐れみは、弱い人への方向というただ一つの方向にのみ展開され
た共感の形であり、その弱い人というのは自分より低い位置の人である。私たちは、貧しい
人、不幸な人、放浪者、悪の犠牲者といった難儀に押しつぶされた自分たちよりも低い人々を
憐れむ。私たちは痛みにある動物や羽根の折れた鳥を憐れむ。私たちが他の人々の感じて
いることの中に踏みいるとき共感を覚える。その人が私たちより下位の人であっても上位の人
であっても、またその経験が嬉しいことであっても悲しいことであってもそうである。共感は私た
ちを沈ませるのと同様に高揚もさせる。私たちはその繁栄、成功、勝利、元気、その勢力にあ
る強さの中で富む人々と共感すべきである。パウロが・・・「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣
きなさい。」・・・と言ったとき、私たちに共感を分かち合うようにと訴えているのである。共感は
泣くのと同様に笑いにも、すすり泣くのと同様に歌うことにも当てはまる。しかし私たちの現在
の会話では「共感」と言う語はそのようには使われない。私たちはただ困難にある人々たちに
対してのみ同情(共感)する。私たちは葬列にある人々に同情(共感)するが結婚していく人々
には同情(共感)しない。誰かが大きな富を相続したら、私たちは彼に同情(共感)するとは言
わない。しかしもし誰かが子供を失ったら、私たちは間違いなくその人に同情(共感)する。強
いとか成功とか大喜びに関する感情は同情(共感)と呼ばれない。ただ失ったとか打ち負かさ
れたとか悲しい心に関する感情に対してのみそれを使う。 パウロはその語が意味するすべて
の感覚に共感した。彼は自分より下の人々にそれを感じ、同様に自分より上の人々にも感じ
た。彼の心は田舎者にも王にも同様であった。彼は感じやすい天性を持っていた。彼は他の
人々の生活に浸透した。彼は一千の人生を生き、一千の行動をした。彼の強烈な共感は、彼
の回心者たちの悩みが彼の血を流すような苦悩の原因となった。「だれかが弱くて、私が弱く
ない、ということがあるでしょうか?」(2コリント11:29)彼は彼の回心者たちが世の憐れみの
無い力に打ち負かされるのを見た時、彼自身の力も彼から去り、彼は彼らの傍らに伏したの
であった。「だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか?」(同上後
半)彼は自分が痛まずに男でも女でもその痛みを見ることができなかった。
彼は自分を他の人々と全く同じに認識したので、彼らの喜びに彼は輝き、彼らの哀しみに彼は
心を痛めた。彼はテサロニ人たちにこう書いている・・・「あなたがたが主にあって堅く立ってい
てくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。私たちの神の御前にあって、あなたがたのこ
とで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょ
う?」(1テサロニケ3:8〜9) 彼の共感はその強さと同様に広かった。多くの人々が鋭い共
感を持っている。しかしその共感は狭い範囲の中でのみ働く。同じ家の一員の病気は彼らを強
い懸念に満たす。友人たちの様々な不幸に彼らの心は深い憂鬱を投げかける。しかし彼らが
直接関係している範囲外の人々には、彼らの心は動かされないのである。広い世の中の苦悩
も彼らの空を暗くはしない。パウロはそうではなかった。彼の共感は北に南に、東に西にすす
み、それは遠くにまで及んだ。ある人々は自分の階級を越えて共感できない。彼らは自分が関
わっている人々にのみ援助する。他の人々は国境を越えて生き生きと感じることができない。
彼らの共感は国境で止まる。彼らは同国人の災難には鋭く感じるけれども、世界に生きる外
国人には届かないのである。ある人々の共感は非常に弱く、意見の相違を越えることができな
い。自分の教会とか自分の所属する教派に属する人々に共感の耳を傾けるが、他の人々に
は耳が聞こえなくなる。
なぜなら彼らは他の人々の視点で見るとか、他の人々が感じ納得することを評価することが不
可能だからである。敵と認める人々と共感できるのはほんの僅かの人々のみである。敵はサ
タンのように黒塗りされている。その人が考えること感じること語ることなすことは何であれ、地
獄から生まれたものだとする。その人の不幸は憐れみを呼び起こさず、かえって満足を呼び起
こし密かな楽しみとなる。
 パウロは全ての階級の人との共感を持っていた。彼はどこにおいても自分の家と感じた。ユ
ダヤ人にはユダヤ人となった。彼はユダヤ人がどのように感じるかを決して忘れなかった。彼
は世界をユダヤ人の目で見ることができた。彼はイエスの宗教に反対するユダヤ人をユダヤ
人と感じることができた。なぜなら彼はかつて彼らの宗教が自分の宗教であったからである。
律法の下にある人々には、自分も律法の下にあるものとなった。彼自身はもはや律法の下に
はいなかったが。彼はモーセの律法の力に縛られると感じることを止めていたが、未だその下
にいる人々の感じることを評価できた。そして彼は彼らの納得を共有できた。彼は彼らの見解
を理解できた。
パウロの共感はユダヤ人にとどまらなかった。彼は異邦人にも同様に感じた。彼は異邦人で
なかったけれども、彼は異邦人がどのように感じるのか思い描くことができた。異邦人の伝統
と環境は本能的かつ衝動的でユダヤ人とは違った道徳的規範を作り出した。しかしパウロの
天性は非常に豊かであって、異邦人とその姿勢を共有し異邦人とその困惑と賞賛を分け合う
ことができた。律法の外にある人々に対して、彼は自分も同様に律法の外にある者のようにな
った。彼の異邦人の回心者の側に自分の席を置くことによって、彼は彼らを自分の兄弟と認識
した。強い人々は常に弱さに忍耐深くはない。強い人にとって、意志薄弱な人、倫理観の乏し
い人、根拠のない恐れを持つ人、願望や目的が絶えず変わる人、止めどもなく萎縮し臆する
人ほどその魂の試みとなるものはない。
しかし弱い人々に対してパウロも弱くなった。彼はいつもこう言った・・・「私たち力のある者は、
力のない人たちの弱さをになうべきです。」(ローマ15:1)と。強さを欠いた人々の脆弱で気ま
ぐれな求めほど仕える人の共感を試みるものはない。パウロの心は弱さから出発した。彼らは
歩き始めたばかりの幼い子どもたちであった。彼らは長い歩幅は無理であったので、パウロは
自分の傍らを歩く彼らのできる範囲に合わせて自分の歩幅を狭くした。彼らは長い言葉を理解
できなかったので、パウロは母が自分の子どもたちにするのと全く同じように短い言葉を使っ
た。彼らは影に驚き、些細なことに失望した。しかしパウロは彼らを忍び、彼らとすべての困惑
や悲嘆を分かち合った。ギリシャ人に対してパウロはギリシャ人のようになった。ローマ人には
ローマ人のように、ガラテヤ人にはガラテヤ人のように、パリサイ人にはパリサイ人のように、
サンヒドリン議員にはサンヒドリン議員のように、哲学者には哲学者のように、田舎者には田
舎者のように、王には王のようになった。君主に対して堂々とした方法で語り、こう言った。「あ
なたが私のようになることを願っています。・・・この鎖はべつですが。」と。
パウロはユダヤ人に対するのと同様に、王であったがまだ光を得ていないアグリッパにも共感
した。彼は異教の地の哀れな善悪の区別のつかない偶像崇拝者たちにも共感した。彼らの愚
かな信仰と迷信的儀式も、彼を嫌悪させたり逃げ出したりさせなかった。かえって、これらが彼
を彼らに惹きつけさせた。彼はあこがれるあるいは支離滅裂の思考にある彼らに、彼らという
ものを感じ取った。そして彼の情熱は非常に深かったので、彼は彼らを助けるために喜んで自
分の人生を提供した。彼はアテネの哲学者たちに共感した。彼は哲学に何ができ何ができな
いか知っていた。詩人が見ているもの見ていないもの、文化が何を与え何を与えないか、ギリ
シャ人の精神が見いだしたものとその視野を越えて横たわっているもの、彼はアテネのすべて
の学徒と教師たちを見たとき、その闇に光を投じようと試みる情熱に動かされた。彼はギリシ
ャ人の心が、すべての他の人々の心と同様に、神に飢えていることを知っていた。そして彼ら
が神を見失っている悲劇を、彼ら自身が・・・「知らない神に」・・・と刻まれた祭壇の碑文によっ
てそれを告白していることを。彼は言った。「あなたがたが知らないで拝んでいるものは、その
方が誰か私が明らかに示しましょう。「私は世界とその中にあるすべてのものを創造された神
についてあなた方にお話しするために来たのです。あなたがたはその方の子どもたちです。」
これは深い同情心を持った人の礼儀正しい話し方である。彼の心は彼を軽蔑する人々に対し
ても同情深かった。彼は自分の経験から、真面目な人が無知の故に何をなすか知っていた。
彼らの目は不信仰によって盲目となっている。彼はしばしばモーセの顔に掛けられたベールに
ついて考えている。そしてそのベールがモーセの栄光を隠したのと同様に、キリストを隠してい
ると。「しかり」と彼は言った。「今日まで、モーセの書が朗読される時はいつも、そのベールが
かれらの心に掛けられている。」しかしこのことが彼の情熱の刃先を鈍らせたり彼の熱意を損
じたりしなかった。彼を果てしない思いやりをすることできるものとしたのは彼に内住する共感
であった。
人が長く共感を持っていると、簡単には不作法になれない。人が自分を必要としていると深く感
じている人々に、彼らを見捨てることは決して望まない。なぜなら彼の共感のゆえに、彼の忍
耐が比類のないものとなったからであった。誹謗中傷と嫌悪も、彼を挫折させることができなか
った。彼は常に自分を、他の人の席に置いた。
神学のテーマについての議論を始めると、彼は常に反対側の人の視点を保った。
彼は人の意見をその人のために表現し、その疑問、反対意見、彼の立場を述べて、常に彼と
議論する人々の席に自分を置き続けている。彼は彼に反対する議論の力を評価できた。そし
てまだ悟っていない人の心に入ることができた。
彼は集会の批評にも共感できた。彼は外部者の目で物事を見ることができた。彼は自分を批
評家の席に置くことができ、その心で考えその口で語ることができた。コリント教会の礼拝時の
混乱を取り扱う中で彼はこう言っている。「もし誰も理解できないことばで神を称えたとしたら、
他の人々はどうして「アーメン」と言えるだろうか?
もし外部の人が皆が異言を語っているときに入ってきたら、あなたがたを狂っていると言わな
いだろうか?」(1コリント14:16,23)彼は教会を内部から見ることができ、外部から見ること
もできた。彼は常に自分を他の人の立場に置いた。
彼の共感は非常に頻繁に彼の心に心配をもたらした。感じやすく優しい天性のみが真の悩み
を知るのである。彼の教会すべてが絶え間ない激しい悩みの種であった。狼のように乱暴な
人々が割り込み、群れに危害を加え、しばしば教会の会員さえ狂信と異端に陥らせた。パウロ
がある彼の教会にいなかったとき、彼の心は常に心配している状態になった。彼は常に知らせ
に飢えていた。彼は兄弟たちがどのようになっているか知ることを熱望した。知らせが来ないと
き、彼の心は暗い予感に満ちた。
良い知らせが来ると、彼の杯は溢れた。もし私たちがこの驚くべき、そして尽きない共感の説
明を探求しようとするなら、私たちは彼の人間性の十全さを探らなければならない。彼の内に
は強い人間性があった。彼の内にあるのは一人の人だけでなく、多くの人々であった。ユダヤ
人が彼のうちにいた。しかし同様にギリシャ人もおり、ローマ人もそうで、そのように多くの他の
土地の人々もそうであった。彼の内にそのように多くの人々がいたから、彼は自分以外の非常
に多くの人々に興味を持ち評価することができた。彼の心の中に多くの考え方と感じ方があ
り、相性のよさと嫌悪、私たちの普通の人間性の同意と反対の主張があった。彼はすべての
人々の魂の奥底に横たわる誇りと情熱、恐れと喜び、嫌悪と愛の流れを彼の内に持ち運ん
だ。衝動と傾向性、願望とあこがれは彼の内に強く存在したので、彼は他の人々の魂の中に
入ることができた。彼が生きた人生は、彼の心に共感の感情の新しい泉を開いた。彼は彼自
身非常に苦しんだので、他の人々の苦しみに入る方法を知っていた。彼の苦しみは彼の共感
を培い、彼の共感は彼を喜んで更に苦しむ人にした。
 そしてこうして彼の共感を通して彼は力の人になった。彼は人々と共感できたから彼らを理
解することができた。共感の精神に通じることなく他の人を理解できる人はいない。人々は自
分たちを知っていると感じる人に惹かれる。そして彼らがひとたびその人の優しい心に打たれ
たと感じた後には、その人から去ることができない。こうしてついに彼らは、彼らを理解し、彼ら
を心配し、彼らがどのような人々であるかを問題にしない人として彼を受け入れるのである。 
パウロの考えのあるものは、今ではあまり価値がない。彼の主張のあるものはもはや納得さ
れない。彼の神学のあるものは後ろに放置されているが、彼の共感は不滅の情熱である。そ
れはすべて明かな栄光を持って輝き、星のように永遠に輝くであろう。そこに錆びず虫に食わ
れることのない宝があり、その宝は盗人によっても壊されず盗まれることがない。共感は天国
に積むことができる黄金である。曖昧であるが大変誇張されているパウリニズム(パウロ主義)
と知られている何かは、いつか過ぎ去ってしまうことであろう。「私たちの小さな体系にも輝いた
日がある。輝いた日があるがそれも止むであろう。」この世が必要としているものはパウリニズ
ムではなくパウロである。彼のぬくもりと彼の共感する魂の高揚力を必要としている。今日の重
要問題のひとつは、地球の石炭のストックはどれだけ長く私たちの必要を満たすか?である。
専門家たちが石炭の埋蔵量について熱心に議論し、使い果たされると推定される石炭のストッ
クをデータから計算している。はるかに重大な疑問は、「この世が共感のストックをいつまで保
てるか?」である。共感は枯渇する力の形態だろうか?階級や人種の垣根を越えて互いに感
じあうことをいつか止めてしまうのだろうか?人の心はいつか地球のように冷えてしまうのだろ
うか?共感はそれによって社会が機能する強い力のひとつである。そしてそれなしには文明は
崩壊し廃墟となるであろう。世界はそれをもっともっと必要としている。人々は肉体的にお互い
に近づくことができるが、共感がなかったら社会的な接触の増加はいらつきと苦痛を増大させ
るにちがいない。私たちが住んでいるのは悲しい世界であり、どこにいっても人々の心が彼ら
を拒否する反応を刻む。生活のどの面も浪費がすすんでいる。なぜなら共感の触れ合いに欠
けているからである。数千の人々が理解してもらえないために不幸であり、数万の人々が誰一
人心配してくれないために孤独である。人類は共感する心臓の鼓動を感じることからくる強さを
痛いまでに必要としている。
 彼の共感の中に、私たちはパウロの霊感に関する疑う余地のないもうひとつの証拠を発見
する。私たちは余りにも長く、教理の主張の分野のみに霊感の証拠を探し求めてきた。私たち
は考えの上で誤りのないものをつくり出した。その一つは使徒の天からの使命である。小さな
不一致と言語上の矛盾が計り知れない重要なことがらとして考えられてきた。そしてひとつの
誤った見解が聖書の霊感に関する全教理を投げ捨てるに十分な証拠であると考えられた。し
かし霊感の納得のいく証拠は結局品性の分野に探し求められるべきである。
パウロの霊感は彼の堕罪の教理によってとか、原罪の教理によってとか、彼が即座にキリスト
に帰ったことについて彼が語っていることによって証明されるのではなく、すべての種類の人々
に対する共感によって証明されるのである。共感とは神の霊の内住の形ではないのか?この
人間の品性に入った美しいものが天から来たものではないのか?永遠者の心に存在しないも
のが、地上に現れることができようか?パウロの品性の中に私たちは神の啓示を得る。神は
彼に彼のような人々を通して人間と意思疎通を図られた。共感によってイエスは父なる神のよ
うであり、パウロは彼の内にある共感によって神の子のようであった。
イエスに対する同国人の疑いと嫌悪を引き起こしたのは、イエスの共感の広さであった。「取税
人罪人の友」はイエスに与えられたあざけりの称号であった。人々はそのことばによって茨の
冠を意味させたが、それは栄光の冠となって輝いた。雲がイエスを彼らの視界から隠した後の
弟子たちの心を動かし強くしたのは、キリストの共感の記憶であった。
弟子たちの努力と忍耐を鼓舞したのは、イエスの継続的な共感の保証であった。彼らは暗い
日々に互いに言った。・・・「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありませ
ん。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、・・・、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15〜
16)


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