chapter16

             第16章 パウロの優しさ

 パウロの厳格さは多くの人々に不快に思われている。
しかし不思議なことに、彼の厳格さは彼の優しさに起因していた。
もし彼が非常に親切で優しくなかったなら、きっと彼はそんなに厳しくなれなかっただろう。
憤るほどの愛ほど非常に真剣で堅固なものはない。

 キリスト者になる前のパウロが優しい心の持ち主であったか否かは、私たちの知るところで
はない。
私たちがその当時のパウロについて知っているのは、彼がイエスを信じた人々に対する迫害
者であったことだけである。自分が疫病の様な異端だと思ったものを根絶する働きに従事して
いた迫害者は、決して穏やかで優しくはできない。
すべての迫害者と同様に、迫害者パウロは厳しく残酷であった。
彼は憐れみのかけらすらないように見えた。
人々がむち打たれ殺されるときにも、彼が心に何の咎めも感じていなかったことは明らかであ
る。
私たちの知る限り、彼はステパノの死に直接は関わらなかった。
死に行く人の顔も祈りも彼の心を動かさなかった。

彼はただちにステパノの殺害者たちが始めた仕事に飛び込んだ。
しかしステパノの顔と祈りとは疑いもなく彼に印象を残した。

彼はそれらを忘れることができなかった。
それらは常に彼と共にあった。
何年も後に、彼はそれら全てについてルカに語った。
議会に座っていた人々がステパノの顔を見たとき、「それは天使の顔のようだった」とルカが言
ったとき、彼は疑いもなくパウロのことばを引用したのであった。
非難する人々に対面したときのステパノの顔は輝いていた。そしてパウロは、なんと美しい顔
だろうと思い、それを決して忘れることはなかった。
それ彼を和やかにしなかったが、絶えず彼につきまとった。
そればかりか彼はステパノが死んでいくときの祈り、またそれに先だった長い演説を決して忘
れなかった。
その演説は使徒の働きに記載されているもっとも完全な説教であり、その完全さは恐らくパウ
ロの記憶に保たれたことが寄与している。

彼はそれを両耳で聞いたが、それは彼の心のなかで色あせることは決してなかった。
パウロの目の前で死が近づいたその時にステパノが祈った祈りは、それ以降パウロの記憶に
生き続けた。
「主イエスよ、私の魂をお受け下さい。
主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」
その祈りをパウロはどうして忘れることができようか?
その時点では、これらのことばがパウロを動かすことはなかった。しかしそれらはパウロの心
の奥底に沈み、永久に残った。
 パウロの心を和らげたのはステパノの顔でも声でもなく、イエスの顔と声であった。

イエスの顔の優しさとその声の柔和さがパウロから石の心を取り去り、肉の心を与えた。

ダマスコ門の近くでイエスに会った時から、パウロは優しさの化身となった。

変化の秘密はパウロのすべての優しいことばの中に顕れている。
「互いに親切で、優しくありなさい。互いに赦し合いなさい。神もキリストの故にあなたがたを赦
しました。」(エペソ4:32)
 同労者の取り扱いに、パウロは寛容でこころ温かかった。
彼は殊にテモテを愛した。
彼はテモテを彼の息子、彼の子供、彼の子、彼の愛する子と呼んだ。
「彼がいかに試練に立ち向かい、息子が父を助ける様に福音のために私に仕えてくれたか
は、あなたがたの知っているとおりです。」(ピリピ2:22)とパウロはピリピの人々に書いた。
パウロは彼を誇り、彼のために切に願った。
彼は誰かがテモテの繊細でひるみやすい心を傷つけないかと常に恐れた。
彼はコリント人たちに彼によくしてやるように強く求めた。そして誰一人彼を軽く見ることを許さ
なかった。なぜならテモテはパウロが従事しているものと全く同じ働きに従事していたからであ
る。

「彼があなたがたのもとを去るときには、誠意を持って速やかに旅立たせてやってください。と
いうのは私も彼に会いたいからです。」(1コリント16:11)・・・愛に溢れる使徒は、このように
書いた。
彼は、他の人々へのすすめだけでなく、テモテ自身への忠告によっても、彼が威圧されること
を防ごうとした。
「私の子よ。頭をあげ、あなたが若いからといって人に軽んじられることのないようにしなさ
い。」(1テモテ4:12)
テモテの健康は損なわれやすかった。それでパウロはそのことも同様に気遣った。
この手紙の一節に、彼はテモテがある療法をすることを試すよう提案している。

私たちはその療法をよいと思わないかも知れない。しかしその提案が示している心情を高く評
価すべきである。
それはパウロが知っているベストでただ一つの療法であった。ひとがそのベストを提供するな
らそれ以上のなにが可能であろうか?
 彼の友人たちの病気はパウロの心を重くした。

彼は手紙の一つのなかで、エパフロデトについていかに心配していたか語っている。
エパフロデトは重い病気であった。
誰もが彼は死につつあると考えた。
ピリピ人たちはこれを聞いて、それは彼ら皆の心配となった。パフロデトが良くなった時、彼は
ピリピの友人たちが彼のために悩んでいることが心配になった。それで彼はできる限り速やか
に帰郷したかった。
パウロはその人とその友人たち双方を案じたのであった。
彼はエパフロデトの回復は神のみ心によるものだと感じた。
パウロ自身のことばを使うと−−−「神は彼と私とを憐れんで下った。それは私の悩みに悩み
を加えないためでした。
私は殊に彼を送ることを強く願っています。それはあなた方がふたたび彼に会ってあなた方が
喜ぶためです。そしてこのようにして私の悩みが軽くなるからです。」(ピリピ2:27−28)
このようにして私たちはパウロの友人たちへの心を垣間見ることができるのである。
 パウロは彼自身やこれらの彼の親しい人々の肉体的な悩み事を癒す力を持っていなかっ
た。

そのような力はイエス・キリストの聖職者の資格のひとつとしてなくてはならないものである、と
他のある人々が発見したと思っているものを彼は知らなかった。

彼は病気が人の経験に明らかで手に負えない事実であると認識していた。そしてそれを除き
去るとか、高貴で幻想的な用語を用いてその存在をカモフラージュする努力をしなかった。

彼は混乱をきたす欺くことしかできないご立派な理論によって、明白で否定できない事実を脇
に押しやることなど決して許せなかった。
彼の肉体が病であった時、彼はそれを話すことを恥じなかったし、祈りによってもそれを癒され
なかったことを話すことも恥じなかった。
彼は神が彼にやさしく、すべてのことを彼の為に喜んでなしてくださることを確信していたから、
肉体の癒しに関する彼の祈りを神が拒絶されたことを、不平を言わずに受け入れた。

彼は偉大な使徒たちに少しも劣るところがなかったが、彼自身のことも彼の友人たちのことも
癒すことができなかった。
他の人々のように、彼は避けることのできないものには従わなければならなかった。そして肉
体の病は彼が屈服して耐えなければならない重荷のひとつであった。
誰でもテモテに宛てて書いた彼の最後の手紙のなかに彼の心のため息を聞くことができる。

「私は病気のトロピモをミレトに残してきました。」(2テモテ4:20)
彼は彼に一緒に来てもらいたかったが、その哀れな人物は病が重くて一緒に来ることができな
かった。
彼はローマで彼を必要としたが、病気の人物はなんの助けもできなかった。
彼は彼との交わりと助けを計算したが失望に終わった。
パウロは彼を連れずに行かざるを得なかった。そして既に荷が重過ぎていた彼の心に、もう一
つ悩みが加わった。

 彼はマルコ、ヨハネ・マルコについていかに優しく話していることであろうか。バルナバの姉妹
の子、一度臆病な行動をとる重大な機会があり、パウロは困難で危険な働きに従事させるに
は信用できなかった。

それはマルコが若かったときのことであって、後になってマルコは初期の不名誉を払拭したの
であった。
彼は自分が信用に値する人間であることを誠実な奉仕によって証明したのであった。そこでパ
ウロは再び彼を信頼した。
パウロはコロサイ人たちにこう書いた。「マルコを歓迎してやって下さい。」(コロサイ4:10)
彼は初期の頃の記憶が噂となっていまも続いており、コロサイ人たちが彼を鼻であしらうので
はないかと恐れた。
使徒はこう書いているのである。「彼を冷遇してはいけません。彼を歓迎してやってください。彼
はあなたがたの信頼と愛に値する人物です。」
テモテへの後の手紙に、彼はこう述べている−−−「マルコを連れて一緒に来て下さい。」(2
テモテ4:11)
マルコは、かつてはパウロの妨げとなった。しかし今は彼を助けることができる。
かつて彼はハンディキャップを持っていた。しかし今は大いに仕えることができる。
「マルコをあなたと一緒に連れてきて下さい。」−−−このことばはあの婦人に対するイエスの
ことばを思い出させる−−−「行って弟子たちと、ペテロに告げなさい。」(マルコ16:7)
その婦人が使わされたペテロは、その弱さの故に罪を犯し、不面目に陥った人である。
彼らは喜びの私信を12使徒全員に伝えた。そして特に悔恨に押しつぶされていたその人にと
って喜びであった。というのは、彼はいかなるメッセージも全く期待していなかったからである。
「行ってペテロに告げなさい。」

そこで今パウロは彼の息子テモテにこう言うのである。−−−「できる限り速く私のところに来
て下さい。そしてマルコもあなたと一緒に連れてきて下さい。」
パウロはその若者がつまずき倒れた時に彼に対して非常に厳しかったけれども、今は年老い
た使徒の思いやり深い心が、彼の上に広く開かれたのである。
パウロは赦し忘れることを知っていた。
 パウロは彼の回心者たちを、優しい心ばせをもって愛した。
彼は彼らをこう呼んだ。・・・「私の最愛の」、「私の非常に愛している」と。これは私たちのことば
では「私の愛(いと)しい人々」である。
すべての人々が彼の愛する人たちであった。
彼の手紙の中のうちのもっとも厳格なものの中においてさえ・・・その手紙はガラテヤ人たちへ
宛てたもので・・・彼はこう宣言している。「私の愛する子どもたちよ。あなたがたの内にキリスト
が形作られるまで、私はこの瞬間にも、あなたがたと産みの苦しみを共にしています。」(ガラ
テヤ4:19−20)
 彼の回心者の誰かを傷つけることは、彼に深い痛みを与えた。
しばしばきつくものを言うことが彼には必要であった。しかしこれらの鋭いことばも、彼が書き送
った人々以上に彼自身を傷つけた。
彼はある時コリントの教会に厳格な手紙を書いた。そして後でこう言った。
「私は多くの涙のうちに、あなたがたのこころに腹立たしい苦痛と悩みとを与える手紙を書きま
した。しかしあなたがたに苦痛を与えるだけでなく私のあなた方に対する愛、ことさらにあなた
がたを愛する愛に気づいて欲しいから書いたのです。」(2コリント2:4)
後になって彼はその手紙に再び言及している。
「もし私があの手紙であなたがたに苦痛を与えたとしても、私はそれを後悔していません。
私の手紙がいっときあなたがたに苦痛を与えたことを後悔したけれども、あなたがたの苦痛
が、あなたがたを悔い改めに導くことができたことを今は喜んでいます。」(2コリント7:8−9)
 パウロの涙は啓示の手段である。
それらは彼のことばに付随する、なくてはならないものと考えられなければならない。
それは教理を教えはしない。しかし彼の人となりを明らかにする。
それらはどの教義の働きの助けもしないかもしれないが、使徒のこころの深みと永遠者のここ
ろに私たちを連れ行くのである。
涙は本当にことば・・・こころのことばである。
それは聞く耳のあるすべての人々に語る。
彼の涙を通して私たちは、パウロのたましいの最も奥深い部分を知ることができる。
人々を傷つけた思いはパウロに涙をもたらした。
かつて臆することなく人々を責め、死をもたらしたその人が、今は一時でも苦痛を与える行為
に、悪いことをしたと涙を流す敏感さを持っている。人々を救うことにあまりにも熱心で、彼らに
勧めをしても彼らが彼の説教を拒絶するとき、彼は涙を押さえ切れないのである。

エペソの長老たちに、彼は言った、「丸3年の間、夜も昼も涙をもって語ることをやめなかった
ことを、忘れないでもらいたい。」(使徒20:31)
 自分の涙について書いたのは、二人の使徒パウロとペテロだけである。
ペテロは自分の罪について泣いた。
パウロは他の人々の罪について泣いた。
彼の涙は神の子の涙に似ている。

イエスがエルサレムについて泣いたように、パウロは彼が宣べ伝えた町々のために泣いた。
 パウロが心を用いたのは彼の回心者たちだけではなかった。
いかに手に負えない悪い人々であっても関係なく、彼の心遣いは全ての人々に及んだ。

ローマの牢獄の孤独にあって、彼はしばしば滅んでいく人々について考え、彼らについて考え
た通りに、涙が彼の頬を流れ落ちた。
彼は泣くことなく手紙を書くことができなかった。
ピリピ人たちに彼は書いた・・・「私がしばしばあなたがたに涙をもって語ったように、キリストの
十字架に敵対して生きる人々が多いのです。」(ピリピ3:18)
「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり(腹を自分の神としている)、彼らの栄
光は彼ら自身の恥なのです。・・・彼らの思いは地上のことだけです。」(ピリピ3:18)
 ユダヤ人は彼のこころの親しい人々であった。
個々のユダヤ人の悪意の敵対者たちも、彼のこころを頑なにはしなかった。
長年に渡る残酷な迫害の悩みも、彼の人への優しい人情を損なうことは、決してなかった。

ローマ人たちに彼はこう書いた。
「私は神の真実をもってあなたがたに語ります。私が語るとき私には大いなる嘆きと増大する
心の痛みがあります。
私の同族、私の兄弟たちのためにならキリストに詛われ棄てられることも厭いません。なぜな
ら彼らはイスラエルであり、子どもたちであり、栄光ある、約束の子、神の律法をもち、約束の
崇拝者であり、大祭司は彼らのもの、キリストも(肉においては)彼らに属します。」(ローマ9:1
−)

過酷な世の中といつも接触していると、人の心は頑固になりがちである。
誤解と忘恩はそれが長く続くとき、魂の泉である優しさを干上がらせる。

ある人々は苦難によって火打ち石に変えられた。
パウロに関しては、そうではなかった。 
涙はしばしば彼の目にあった。なぜなら彼のこころには神の優しさがあったからである。

彼の教会を扱う忍耐深い親切は、新約聖書が示している最も美しいできごとのひとつである。

彼は彼のすべての回心者を彼の子どもと見なした。
彼らすべては彼に属した。
テモテは彼の息子であった。そして同様にテトスもそうであり、哀れな奴隷のオネシモもそうで
あった。
すべての男は彼の兄弟であり、すべての女は彼の姉妹であった。そして彼は、彼の年齢と霊
的知識の故に、彼らすべての父であった。

「私たちはあなたがたすべてを父が子どもたちを扱うように扱いました。」・・・彼はテサロニケ
人たちにそう書いている・・・「神の前に価値ある生涯を送るようあなた方に懇願し、あなた方を
励まし、命令します。神はあなた方をその王国と栄光に召し出されました。」(1テサロニケ2:1
1−12)
彼は父以上のものであった。
彼は母でもあった。
「あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。」・・・彼
はいう・・・「このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のい
のちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの
愛する者となったからです。」(1テサロニケ2:7−8)
彼の回心者たちがいかに手に負えないもので腹立たせるものであるかは問題でなく、彼はや
さしく彼の働きを続けた。
彼は自分の思想を田舎の人々の心にも理解できるようにし、彼の教義をユダヤ人の心にも信
用のおけるものとし、頑固ものの偏見を和らげ、一般の迷信の虚しさを示し、常に不条理な危
険があり、望みの旗を奮い立たせ、愚かな気後れも尊重し、臆病者に管理者の強さをあたえ、
うぬぼれている
者をトーンダウンさせ、横暴をチェックし、血筋と受け継いだ傾向性と習慣から彼らを救うため


日夜働き、彼らを取り巻いている世の罪に再び沈まないように保った。

彼の回心者たちは真に彼の子どもたち以外の何者でもなかった。忍耐深い父のように、彼ら
を教え、彼らがどのように感じるべきか語り、彼らを正しい方法と行いに訓練した。
彼は一緒に生きる素晴らしい手法を彼らに詳述している。そして高い成果を達成するために一
緒に働き、親切と優しさをもってそれをなし、それはキリストの忍耐と思いやりを私たちに思い
起こさせる。
 彼の良心は彼の心が優しいのと同様に敏感であった。
彼が迫害者としてなした働きは、当時の彼にはなんの問題もなかった。
後になってそれは彼の苦痛の種となった。
私たちが、彼が自分を「罪人の頭」と呼ぶのを聞くとき、彼のことばは仰々しくばかげたものと
響く。
私たちは最初そんなに粗野なことばを用いることができるものかといぶかる。しかしこの告白
から見えてくる彼の思いの流れが分かると、彼がなぜそう言うのかその感覚を理解できる。
彼は昔神を冒涜する者であり迫害する者であって、血を流したのであった。
このいまわしい過去は再び思い出される。
彼は自分が鞭打った人々を思い出す。
彼は牢に入れた人々の哀願の目を思い出す。
彼がイエスの名を汚すことを強要したふるえる唇からでることばを再び聞く。
彼は彼が死に追いやった人々の青ざめた希望を失った顔を見る。そして彼が虐待した男女の
仲間たちが彼の周りに立っているとき、彼は顔を伏せ、「私は罪人の頭です」と自らに対して宣
告するのである。

彼の良心は年を追って敏感になり、今や他の人々のうちに良心が顕れることに崇敬の念を持
つようになった。
その良心は非常に神聖で、いかなる人も他の人の良心に干渉することはできない。

すべての人は、自分が考え、感じ行ったことに対して、神、神おひとりに答えなければならな
い。
神のみに、その良心をそのように神聖なものとしてお取り扱いになる権限がある。
使徒が彼の回心者たちの良心を恭しい順序と注意深いタッチで動かそうとしたことを見ると
き、私たちは「痛んだ芦を折ることがなく、くすぶっている灯心を消すことがない」と書かれてい
る恵みの優しいことばの一つを思い浮かべる。

イエスの優しい心の姿はパウロの心を優しくし、彼の魂の結実の目録がつくられ、私たちは他
のことがらの中に彼が書いた「愛と親切と優しさと自制」ということばを見いだす。





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