第十五章  パウロの義憤

 義憤の徳ほど私たちを混乱に陥れる徳はない。私たちは、しばしばそれが徳であることを完
全に疑問視する。ギリシャ人とローマ人はそれを主要な徳と見なさなかった。そればかりか教
父たちもそれを宗教上の美徳と見なさなかった。パウロは聖霊の実の中にそれを含めなかっ
たし、いかなる美徳のリストにもそれは見いだされない。 もしも私たちがそれを真の徳である
と決めると、その定義の困難さに気づくだろう。それは非常に速くなにかほかのものに所を譲
ってしまうのである。それは瞬時に激怒に変わりうるし、激怒はすぐに凶暴にヒートアップする。
そして私たちは凶暴が悪いことを知っている。あるいはそれは単なる心のいらだちや、かすか
な憤慨の熱に浮かされたような状態に陥らせる。純粋な義憤を見いだすことは難しい。それは
それ自体が他の感情と混じり合っている。その感情は反感、嫌悪、恨みであって、私たちはこ
れらの感情が善いものではないことを知っている。混じりけのない義憤、それを見いだすことは
困難である。 それを徳とみることは難しい。なぜなら私たちはそれに到達するまでの努力をし
ないからである。それは私たちの内に生まれついている。子どもでさえ教えなくても怒りを表す
ことができる。若者は白髪になった人よりも速く怒りでかんかんになる。この徳を持つために努
力が必要な人はいない。それはあたかも私たちの一連の気質の一部分のようであって、私た
ちがこの世に生まれたときに持ってきた腐敗である原罪の要素である。 それでも、それは神
に似た性質であるから徳のひとつでありうるに違いない。神は怒りの感情を知らない方ではな
い。私たちはイエスが神の像の現れであることを知っている。イエスによって私たちは神がど
のようなお方であるか知るのである。イエスのこころは神のこころであり、イエスの品性は神の
品性である。イエスは義憤の人であった。彼の目は閃光を放ち、彼のことばは燃えた。エルサ
レムの人々はイエスの怒りの眼差しを決して忘れなかった。イエスの最も近くにおり、彼を聖と
呼んだ人々は、しばしばイエスの怒りを見た。彼らはすべての信者に対する指導のための物
語にそれを書くことをためらわなかった。 私たちが意味していることを定義することは難しい
かもしれない。しかし、私たちは確実に正しい怒りがあることを感じている。私たち自身の怒り
はそのように変化しやすいかもしれないが、この世界でそのような感情が正しい位地を占めて
いることは確かであると思っている。人が自分のうちに火をもたらす何らかの不正な行為を見
た丁度そのとき、その火を私たちは義憤と呼ぶ。道義心と清さと憐れみを愛するひとりの人
が、意地悪と卑劣さと残酷さを見るとき、ある種の抗議の感情がその心にわき起こるが、その
感情を私たちは義憤と名付ける。それは不快、敵意および非難の感情であって、もしそれが起
こらなければこころが堕落しているからであって、魂は高貴な感情の力を失っているのである。
残忍な行為を見ながら心を動かされずに立っていることのできる人は、自分を正常であると思
う権利を持っていない。その人の心が人間と思えない行為に対して熱く強くならないのであるな
ら、彼の存在は高い領域に住むことを止めていることになる。怒りに燃え上がることの出来な
い人は英雄たり得ない。意志薄弱でおどおどした魂は卓越したモラルとは異質である。そして
悪い行為の圧力に無関心にとどまる人はモラルが衰退し、強靱な精神力と十分に成熟した人
間性を持つ人々の間に座を占める価値がない。 パウロの人格は円熟していた。彼は悪い
人々の邪悪な行為に、烈火のごとく燃えあがることができた。しばしば彼は私たち同様その炎
を制限することに困難であった。そして決められた制限を超えて燃えることを許容した。ユダヤ
の詩篇の中に彼に慰めを与えた一句がある・・・「あなたがたは怒っても、罪を犯してはなりま
せん。」(エペソ4:26)彼はしばしばそれを熟考した。そしてローマで囚人であったとき、彼はエ
ペソの友人たちに宛てて書いた手紙の中にそれを引用した。彼は彼らが興奮しやすい人々で
あることを知っていた。そして彼はエペソという大都会に含まれる悪さと卑劣さが広がっている
ことを知っていた。彼自身のたましいは、エペソで彼と争った悪い人々の激怒によってたびた
び揺り動かされた。そしてエペソ教会の中にさえも見いだされる腹立たしい人々を記憶した。周
囲を取りまいているものはすべて悪い気質を助長する
ものであったから、彼は古いヘブルの詩人が言ったことを彼らに思い起こさせた。・・・「怒って
も罪を犯してはなりません。」これらの言葉によって激励される。この詩人は人に怒る権利を与
えている。そしてそれはある種の慰めでもある。人が怒ることが正しい状況は存在しないという
教えは、たましいをいらだちと嫌悪に陥らせる。その詩人は怒るけれども罪を犯さないことがで
きると感じている。しかし彼は怒りがただちに罪深いものになることを知っていた。そして付け
加えた。「罪をおかさないように」と。それは警告の覚え書きであり、パウロはその警告に忠告
のことばを付け加えることによって意味を強めた。日の沈むまで怒り続けてはいけません。悪
魔に機会を与えてはなりません。」(エペソ4:26,27)彼は自分自身の経験からそれを見いだ
した。怒りの火があまりにも鋭く、あるいは長く燃えつづけるとき、他の罪から離れていることは
ないのだと。誰かが常習的に怒っている状態に陥ったときは、その人は悪しきものが働く機会
を与えているのである。彼はエペソ人たちに強調した事柄のリストの中に、苦い感情、激情、
怒りを真っ先に載せた。彼自身しばしば試みられたから、彼は同じように試みられている人々
に何を書いたらいいのか知っていた。 監督(聖職者)の重要な資質に関してテトスに教えたと
き、彼はこう書いた。「わがままや、短気であっていけません。」(テトス1:7)パウロは、会衆の
霊的成長について責任のある人は、簡単に怒るようになるべきではないことを知っていた。も
し彼がそうであったら、かれはしょっちゅう怒っていることになるだろう。何かが常に悪い進展を
し、誰かが常に忍耐を試みられ、新しい狭量で卑しく偽善的な表現が常に視野に入ってくる。
そして宗教の指導者は、偽りが彼を焼くことを許容しない限り、いつわることのできるこころを
持たなければならなくなる。私たちはパウロが他の人々に与えている忠告によってパウロ自身
の内なる生活に光を得る。 パウロの全生涯の中でもっとも劇的なエピソードのうちのひとつ
は、エルサレムでの議会の前で怒りが爆発したことであった。それは彼の審問がちょうど始ま
った時に起きた。彼は現在に至るまで、神の前に完全に善い良心をもって生きてきたことを述
べることによって身の潔白を証明し始めた。それは大祭司の手に余ることであった。大祭司は
怒って発作的にパウロのかたわらに立っている人に、彼の口を打てと命令した。その命令は
卑劣なものであった。それはパウロの怒りを引き起こした。法廷で囚人が自分の裁判官のひと
りの命令でその顔を打たれるということは、まったくひどい話であったためパウロは怒りに満ち
た。この憤激の熱さはその人を表しているのである。私たちはパウロが激情を爆発させること
がなかったほど善良であったとは決して考えるべきではない。それは彼の魂の姿をくっきり表し
た稲妻の閃光であった。瞬きする間に、雷が発射された・・・「白く塗った壁、神があなたを打た
れる!あなたは律法によって私を裁くためにそこに座しているのではないか?それなのに律法
に反して私を打てという!」そのことばはそこに同席していたすべての人々を恐れで戦慄させ
た。当時のユダヤ人で大祭司にそのようなことをあえて言う人は誰もいなかった。ただ怒りの
中にあるひとだけがそのような辛辣なことばを言えるのである。パウロを激怒してやってしまっ
た行為は正当であった。裁判官の席に着いている悪党の手にかかるとはなんといたましいこと
か。もしそのような無法が責められないとしたら、国民とってなんと恥ずべき事であろう。パウロ
は直ちに自分のことばを謝罪したが、それをもとにもどすことはできなかった。彼が述べたこと
は彼が述べたのである。後になって人々はそれを読む。そして彼らはそれを読んでいくうち、イ
エス・キリストの使徒のひとりが火のように怒ることができた人物であることを感じるのである。
 パウロが最も怒ったのは個人的な攻撃ではない。口を打たれる肉体的な責め苦が彼を怒ら
せたのではない。ある人々は自分たち対する悪い仕打ちについてのみ怒る。彼ら自身の権利
が踏みにじられるとき、彼らは火の抗議をもって叫び出すのである。しかし他の人々によって
悪が行われるとき、パウロはただちに火のように燃えあがることができた。彼は自分の回心者
たちを母が子を気遣うように見た。誰であれ彼らを傷つけるものは彼を傷つけるのである。彼
は自分の回心者たちに、イエスが弟子たちに対して感じていたものとおなじ感じをもっていた。
人は白熱したこのことばを決して忘れることができないであろう。「わたしを信じているこれらの
小さい者のひとりをつまずかせる人は誰でも、大きな石臼を首に結びつけられ、海の深みに投
げ込まれるのが、その人にとって相応しい。」(マタイ18:6)同じ愛をもって、パウロは彼の回
心者たちを見守った。彼は彼の重荷となっているコリント人たちに語るとき、彼らの悪い行為を
指摘した。彼は言った、「誰かを躓かせるものに、私が怒りに燃えないだろうか。」彼の敵たち
は常に彼らを奪い取ろうとした。常に彼らの信仰を挫折させようと働き続けた。彼らを罪に陥ら
せようとたくらみ続けた。それ故、パウロの偉大な魂に怒りが育ったのであった。この世の偉大
な人物が彼の回心者たちの口を打てと命じたら、彼は自分の口を打たれたごとくただちに激怒
したであろう。彼はキリスト教のメッセージの意味を曲解する人々によって怒りに動かされた。
彼らは福音に含まれている神的内容を虚しくした。彼らは町から町へとつきまとい、偽りを言い
つづけた。彼らはブラッドハウンド(嗅覚の鋭い探索犬)のようであって、彼らが嗅ぎつけること
のできないものはなかった。彼らの誹謗中傷の意地悪さと、パウロの名を悪くさせるために用
いた彼らの卑しむべき方法は、そのような投げかけに対する彼の怒りを引き起こし、彼にとき
どき荒々しい、ほとんど下品といえるようなことばを使わせた。「これらの犬に気を付けなさ
い。」と彼はピリピ人たちに書いた。そのとき彼はローマにおける囚人であった。しかし彼は孤
独の中にあってもその犬たちが吠える声を聞くことが出来た。小アジアの全域で、彼らは吠え
続け彼らの歯は鋭く彼らのあごは飢えていた。東洋の犬は今日のキリスト教国の犬のような好
評と特権を得ることはなかった。誰かが他の人を犬と呼んだら、その人は通常、口にすること
をはばかることばを使ったのである。一般的には、人々は怒って他の人を犬と呼ぶのである。
 パウロのすべての手紙の中でもっとも辛辣なのは、ガラテヤ人たちに対する手紙である。ル
ターがこの手紙の中のパウロの言葉は激怒の炎だ、彼はいわば天使ののろいで詛った、と言
ったが正にその通りであった。彼は誰であれ彼の福音理解に同意しない人を詛った。ユダヤ
教主義者たちはその誤った理解によりガラテヤ人たちの改宗者の幾人かの信仰を覆した。そ
のためパウロの心は呼び覚まされた。彼は白熱をもって書いている。彼の言葉は激流のよう
に流れた。手紙全体が雷のようであった。彼は小言を言い、懇願し、責め、諭し、翻意を促し、
教理上の主張をしたが、すべて感情のつむじ風のようであった。「ああ。愚かなガラテヤ人た
ち。誰があなたがたをたぶらかしたのですか?私はただひとつのことをあなたがたに問いた
い。あなたがたが聖霊を受けたのは律法を行ったからですか?それとも福音のメッセージを信
じたからですか?あなたがたはどうしてそんなに愚かなのですか?あなたがたの信仰をかき乱
す人は誰であれ詛われよ!」(ガラテヤ3:1〜3)最初の文章で・・・「使徒パウロ、人々でなく、
人々によるのでなく、イエス・キリストと父なる神によって」(ガラテヤ1:1)と彼は書き、最後の
文章では「それ故、誰も私を患わせないように。」(ガラテヤ6:17)と書いた。彼のことばを読
む人は、自分を押さえきれないほど怒った人物のことば読んでいると感じるであろう。 これと
同じ怒りの心を、彼のコリント人への手紙第二の中に見いだすであろう。そこには逆説を用い
た皮肉が噴出しているのを見る。パウロはコリント人の彼に対する敵対者たちの誹謗と中傷に
よって傷つけられ、叱責の表現をもって彼らを掃き捨てた。彼らが述べていることの不正さによ
って彼は怒りをわき上がらせた。 パウロの怒りを引き起こした敵対者すべての中で、恐らくエ
ルマがその最上の席を占めることであろう。キプロス島のパポスに住んでいたエルマは占星術
師であった。彼はユダヤ人であったが、そこのローマ総督の随員であった。当時は星が人間
の生活に多くの影響を及ぼすと信じられていた。そして人間の運命が星座から読み取ることが
できるとされていた。そのような信仰はペテン師に機会を与えていた。彼らはどこにおいても知
識を持っていると主張し、それを高値で売りつけていた。人間の天性はだまされることを好む。
それゆえ、いつの時代にもペテン師の数は一軍団にもなるのである。バルナバとパウロがパ
ポスに来たとき、彼らはその新しい教えを聞くために総督の家に招かれたが、もちろんエルマ
も同席していた。エルマはキリスト教の説教者を妨害し、彼らを嘲った。そして力を尽くして総督
が新しい信仰に同意しないように務めた。パウロはエルマの横柄な妨害に耐えられなかった。
彼は正直な人の思いやりのある忍耐をもって敵対者を忍ぶことができたが、傲慢な悪漢に対
する忍耐は持ち合わせていなかった。エルマは、恐らくパウロが出会ったこの種の人物の、最
初の人であったことであろう。パウロとバルナバは最初の伝道旅行に出発したばかりであっ
て、そのやさきに彼らはこのあつかましいペテン師に遭遇したのであった。バルナバがどう思っ
たかは私たちの知るところではない。しかしパウロの魂は怒りに燃えた。彼はこのおしゃべり
のペテン師に容赦なく向かった。怒りが燃え上がる中で、彼の燃える眼差しをもってこの犯罪
者をじっと見つめ、エルマが何者であるか明白に述べた。怒りはしばしば舌に新鮮な力を与え
る。それゆえこのときほどパウロが力強い表現をすることができたことはかつてなかった。「お
前、偽りと悪事の塊。」これがパウロの始めた方法であった。そして彼はさらなる投げかけを続
けた。・・・「悪魔の子。」そして彼は急いで付け加えた。・・・「すべての正義の敵。お前は主の正
しい道を乱すのをやめないのか?」(使徒13:10)それから重々しい口調で、パウロはたじろ
ぐ悪漢に宣告した。お前は当分の間めくらになるであろうと。その宣告は悪漢の目に霧がかか
ったようであった。エルマはパウロのような人物に取り扱われたことが決して無かったことを悟
った。彼は自分の手を引いてくれる人を手探りして求めはじめた。パウロは魔術師、奇術師、
占星術師、占い師、あらゆる種類のいかさま師たちを忌み嫌った。パウロの時代の世界には
魔術師、ペテン師、ならず者、詐欺師、あらゆる種類のいかさま師たちが、信じやすい無知で
迷信に陥りやすい人々を食い物にしていた。エルマはこのような人々の中の上層階級として知
られていた。彼は厳しく扱われる必要があった。この彼への罰は、あらゆる所にいるすべての
ペテン師たちへの警告となったことであろう。かつてキリスト者を装った人物がエルサレムの教
会で、その偽りを責めたペテロの足下に倒れて死んだが、今、教会の外の嘘つきがしばらくの
あいだ目を使うことができなくなった。真理の上に建てられ、人の信仰への意欲と真理を語る
ことにすべてのものがかかっているこの世界において、偽りを売ることによって生計を立てる人
物はなんという怪物であることか。偽る人々の執念深い対立に激怒を引き起こすたましいのひ
とびとは、真理を愛する人である。もし私たちがパウロのように熱くなれないなら、私たちが彼
のように高貴ではないからである。 パウロの怒りが、太陽が沈むまでに収まったか否かは私
たちの知るところではない。しかし私たちは、パウロが常習的な腹立ちや個人的な悪意には決
して陥らなかったことを確信している。パウロは私たちが復讐と呼ぶ醜いものには決して陥らな
かった。それは偽りとたましいのうちの悪に対して真理を愛する情熱をもって、抗議し焦がすこ
とである。パウロはテモテに祈るとき挙げる両の手は、怒りと論争から離れていなければなら
ないと述べ、ローマ人たちに書いたとき全世界に向かってこう述べた。「愛する者よ。自分自身
で復讐してはいけません。神の怒りにそれをまかせなさい。」(ローマ12:19)


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