第十四章 パウロの礼節

 人は勇敢であっても、礼節でないことがある。
自分の納得する勇気と呼んでいるものを持っている人々は、しばしば他の人々の納得に対し
てわずかの考慮しか払わない。強い個性の人は、しばしば無意識に彼の仲間の権利を侵害し
やすい。衝動的で猛進型の性格は、行為の上品さや飾ることに不注意でありがちである。神
の使命に使わされたことを意識する人は、天に近く触れていることを目指していない人々を踏
み付けにしがちである。善人が粗っぽいことが多々あるし、上品な振る舞いに富んでいる人々
であっても礼節を欠くことがしばしばある。
礼儀正しさは、宗教団体の中にあってはその欠如が、あまりにもしばしば人の目につきやすい
徳の一つである。あるキリスト者たちは徳を修めるのに非常に熱心でありすぎて、優雅さを育
てる時間を残しておかないのである。しかし礼節は魂の麗しさのひとつであって、品性の完成さ
れた姿に欠くことのできないものである。キリスト者はどこにおいてもつねに紳士であることが
当然である。
 パウロは勇敢であったと同様に礼節に富んでいた。彼は紳士の天性と態度を備えていた。こ
れらの天性は彼の内に深く根ざしたものであって、最も予想しないところで見いだされていた。
私たちは彼の述べていることの中に、彼の善い教養が数多く示されていることを見る。アテネ
における彼の説教は礼節に富む話し方の典型である。話を始める前に、パウロは自分につい
ての種々の軽蔑の論評を耳にしていたが、それらのことは彼のこころの寛さの故に何の妨げ
にもならなかった。 彼は全聴衆が彼に友好的であるかのごとく話し始めた。「アテネの方々、
私は至る所であなたがたが大変宗教心に富んでいる人々であるとお見受けしました。」キング
ジェームズバージョンの翻訳では、彼はこういっている・・・「私はすべての事柄の中に、あなた
がたが迷信的であると感じました。」
これは正しく、尊ばれている翻訳の中にあるすべての失敗の中のもっとも不幸なもののひとつ
である。パウロはそのようなことを言うことはできなかった。それはパウロの性格には異質なも
のであった。それは彼の聴衆の顔を平手打ちしたようなものである。開口一番聞き手を侮辱す
るようなセンスの持ち主は誰もいない。パウロは口を開いて語るときはいつも礼節の典型であ
った。彼はアテネ人が彼らの神に信仰が厚いことをほめて語り始めたのである。彼はヘブルの
預言ではなくギリシャの詩を引用した。このようにして偉大な宗教に対する信仰が、彼らを通し
て生じたことを認めている。アテネ人たちは完全に神に対して無知なのではなかったので、彼
は彼らにもっと語ることを望んだ。彼は聴衆と彼が彼らの望んでいるものを提供できる望みを
もっているところから始めた。しかし彼の聴衆は忍耐深くなく、彼の話が終わらないうちに立ち
去った。当時の教養にあるギリシャ人達はユダヤ人キリスト者たちのように礼儀正しくはなかっ
た。
 パウロが説教をさえぎられたときでさえ、彼は腹が立った雰囲気に陥ったり不作法な侮辱に
やり返したりしなかった。フェストが大声で、「パウロ。お前は狂っているぞ。博学がお前を狂わ
せたに違いない。」(使徒26:24)と話の腰を折ったとき、「私は狂っておりません。閣下。私は
冷静に真実を語っております。」(使徒26:25)と丁重な答えがなされた。
アグリッパ王が嘲った口調で、「このぶんでは、私をキリスト者に変えるにはもっと長い時間が
かかるだろう。」(聖書の訳は「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしてい
る。」となっている。)(使徒26:28)と言ったとき、パウロは皮肉のことばに全くいらだつことな
く、「時間が長くても短くても、あなたと私の聴衆すべてが私と同じになることを神に願っていま
す。」と述べ、自分の腕の鎖をちらっと見て、「ただしこれは別ですが」と付け加えた。それはア
グリッパでさえも完全であると認めた礼節であった。
 パウロは暴徒たちにも敬意を払った。エルサレムで暴徒たちが、彼を捕らえ神殿の外に引き
出し、彼を殺そうと思って打ちたたき始めたときも、彼は彼らが人間であるという事実を視野か
ら失うことは決してなかった。彼は群衆に対して母国語で「兄弟たちよ、父たちよ。私の弁明を
聞いて下さい。」(使徒22:1)と述べて鎮めた。
それから彼は非常に優しく、なだめるような調子で、彼が経験した単純な事実を述べた。すべ
ての人の心がいっとき和らいだ。
それは彼が「異邦人」ということばに言及するまでであって、ふたたび混乱に陥り、千人隊長は
急いで彼を城の中に連行しなければならなかった。
 彼の手紙の冒頭と結びに、私たちはいくつかのもっとも注目を惹く彼の繊細で優しい心の感
触の描写を見いだす。これらの冒頭と結びはあまりにも無視されてきた。
手紙が主題の証拠の集積所と考えられるのと同様に長く、彼の挨拶と感謝は僅かの注意しか
惹かなかった。人々は彼に品性でなく彼の教理を探し求め、聖書の中の最も洗練されかつ貴
重な文節の多くを見落とした。これらの無視された節が、パウロの魂の美しさを十分に表して
いることを私たちはいくつも見いだすのである。彼がテサロニケ人たちに手紙を書いたとき、シ
ラスとテモテが彼と一緒にいた。彼らは彼のテサロニケにおける働きを共にした。彼らはテサ
ロニケ人たちを知っておりテサロニケ人たちも彼らを知っていた。これらの手紙の冒頭に、パ
ウロは三人全部の名前を書き連ねた。全手紙を通して、複数代名詞「私たち」が繰り返し現れ
る。テモテとシラスはパウロの補助者であり、能力においても知識においても品性においても
彼より遙かに下である。しかし彼は彼らの名を自分に結びつけ、あたかもこれらの若者たちが
指導と奨励の共同の権威者であるかのように「私たち」という代名詞を用いた。パウロは、彼
の友人たちに私信を送るときほど礼儀正しいことは決してなかった。
彼の手紙の本文がいかに難解で曖昧であるかには関係なく、結びにおいて彼は魅力的な人間
であった。
どの文章もこころの気品の香りがする。私たちは彼が書いているすべてのことばを理解でき
る。恐らく彼の手紙すべての中で、最も等閑にされるのはローマ人への手紙の最後のページで
あろう。今日の大抵の人々がそれを読み飛ばすのは、固有名があまりにも多いからである。そ
れには神の主権やキリストの人格、あるいは贖罪の意味や魂の不滅であることに関する文言
が何も含まれていない。それ故神学的ひき臼によって粉にする何ものもないのである。けれど
もそれはパウロのすべての作品中でもっとも光を放っているもののひとつなのである。それは
霊感に何ができるかを示す素晴らしい事例である。その人の内に神の御霊がおられなかった
なら、そのような章を書くことは誰にもできないのである。パウロが記したこれらの人々につい
て私たちは知らない。それ故彼らについて特別に興味が沸かないのである。しかし、パウロが
彼らについて述べていることは、使徒の精神とこころに関する光を投げかけている非常に重要
な事柄である。パウロが自分の友人たちをどのように扱ったかを通して、私たちは彼をもっとよ
く知ることができる。これらの人々の多くは貧しく名もない人々であった。彼らの中のあるもの
たちは疑いもなく奴隷であった。彼らのうちのある人々はほとんど知られていないが困難を抱
えていた。
もしも私たちが彼らの事情と彼らが遭遇している困難を知ったなら、この章全体が栄光に輝く
ことであろう。パウロの他の手紙の中には、これほど重いイメージを与えるものはない。誰かが
パウロが書いた名前を思い描くことがなかったら、その人はその章に興味をもつことができ
ず、益とすることが出来ない。その文節は注意深く精査されたなら、パウロのこころがすばらし
い方法で明らかにされている繊細な感触で満ちていることが見いだされるであろう。「フィベを
助けてあげて下さい。」と彼は書いた。彼女をあなた方ができるすべての方法で助けてあげて
下さい。彼女は多くの人々を助けた人であり、私を助けた人です。」(ローマ16:1〜2)「プリス
カとアクラに私の愛のこもった挨拶を伝えて下さい。彼らは私のために自分のいのちを危険に
晒し、長い間私の側で働きました。」(ローマ16:3〜4)
「ペルシスに私のことをよろしくお伝え下さい。彼は多くの困難な働きをしました。それからマリ
ヤによろしく。彼女は私たち皆のために大変多く労してくれました。」(ローマ16:12)
選ばれた弟子ルポスによろしく。そして彼の母に。彼女は本当に私にとっても母でした。」(ロー
マ16:13)
ネレオと彼の姉妹に挨拶を送ります、そして彼らの一緒に礼拝するすべての信者に。」(ローマ
16:15)
彼はすべての人に何がしかのよいことを述べた。彼らの多くに対して彼は「同労者」と呼んだ。
彼らのうちの三人を「最愛の」と呼んだ。三人は彼の親戚で、二人は囚人仲間である。彼は女
性を除外しなかった。もし人が姉妹を持っていたら、その人は彼女のことを述べるであろう。
彼に母がいたら、彼女が忘れられることはない。もし彼が彼の屋根の下で礼拝するキリスト者
の仲間をもっていたら、すべての仲間が祝福の祈りの対象に含まれる。もし苦難が除かれず
に忍ばれるなら、その事実は注目に値する。
もし世の常でない働きがなされたら、それもまた私たちのこころを呼び覚ます。アジア地方での
最初の回心者は彼のこころに堅く座を占めた。それでアペレがそうであった。彼は試みられた
が勝利した人物であった。
パウロは彼の祈りの中で友人の名を挙げる習慣があった。彼が手紙のなかでも名を挙げるこ
とは彼にとっては自然なことであった。
しかしパウロがよい願いでこころが満たされたただ一人のひとというわけではなかった。他の
人々も同様に挨拶を送りたいのである。それで彼らの名を含めた、テモテ、ルカ、ヤソン、ソシ
パテロ、ガイオ、エラスト、そして代筆者のテルテオさえも加えられている。
現代の会衆にとっては、ローマ人への手紙の最後の章は耐え難いほど退屈である。しかしロ
ーマにあった教会でそれが読まれた時、いかに人々の目が輝きこころは感動したことであろ
う。その名が言及されている男にとっても女にとっても、そのことが彼らにとっては手紙全体の
中の核心であった。それは、パウロの救いに関する哲学すべてに勝って、彼らがイエスに従う
ことを鼓舞した。 パウロは他の人々の感情を考慮した。彼は誰のことも意図して傷つけること
は決してしなかった。彼はコリント人たちに、自分はコリントから離れているけれども、その理由
は彼がいないことは、彼らに弟子としてのあり方を定着させるより速い方法であると思ったから
であると言った。彼のローマ人への手紙の中で、彼は起こりそうな彼に対する誤解を注意深く
防いでいる。彼はこう書いた。「私は私の霊の賜をあなたがたに分け与えたいので、あなた方
に会うことを熱望している」と。しかし彼はそのことばの響きを全く好まなかった。それは少々傲
慢な響きがあったからで、彼はそれを修正して・・・「私が述べていることの意味は、あなた方に
会うことによってあなた方を勇気づけたいということです。私もあなたがたの信仰により、あな
たがたも私の信仰によって。」と付け加えた。同じ手紙の終わり近くで、恐らく彼は自分があま
りにも大胆に書いたのでいささか図々しく見えるかも知れないと感じている。そこで彼は彼の読
者たちに自分を彼ら以上に置いている意図はないと断言している。彼らの豊かな善いこころを
有していること、そして他のひとびとによいアドバイスを与える能力を十分にもっていることを書
いた。
彼の目的は単純に彼らの記憶を新しくさせることであった。もし彼が幾分自由に書いたのであ
ったなら、それは神が彼を異邦人に対する使徒に任命されたことが彼にとって非常によいこと
であったからであった。
 彼は見知らぬ人々にも礼儀正しかった。そして古い友にも等しく礼儀正しかった。
親しさが彼の内に不注意を生み出すことはなかった。ピリピ人への手紙の中で、彼は彼らの親
切を正しく評価していないように思われることのないように注意深かった。
彼が「私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主
にあって非常に喜んでいます。」と書いたとき、受け取ったばかりの贈り物を見せているごとく
彼は急いで付け加えた。「あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったので
す。」(ピリピ4:10)彼は自分が贈り物を切望していると彼らに思われることを望まなかった。
なぜなら彼はどのようなことが起きても受け入れうることを学んでいたからであった。しかしそ
れにもかかわらず、彼らが送ってきたものを非常に喜んだ。単に自分自身のためだけでなく彼
らにも同様に大切な意味があったからである。そのような投資への関心は彼らの評価を積み
上げることになるだろうと彼は述べている。彼らがパウロに送った贈り物は、甘い芳香を放つ
香りであり、神が喜ばれ嘉納される犠牲の一種である。
 彼はピレモンにも同じように繊細で魅力のある内容を書いている。パウロはピレモンに義務
を果たすように命じようとしているのではなく、ピレモンの逃亡奴隷を帰すのは彼への愛のため
であると、ピレモンに対してアピールしている。「もし彼があなたから盗んだものがあったなら、
それを私に請求して下さい。」とパウロはいう。
私がそれをあなたに支払います・・・ここに書いてある約束は私が自分の手で書きました。もち
ろん私はあなたが私に対して負っているものを覚えさせたいと思います。・・あなたが今のよう
になれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。そうです。兄弟
よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけ
てください。」(ピレモン16〜20)
 パウロは人の信仰を越える重荷を与えることは望まなかった。彼は彼の権威によってコリン
ト人たちを威圧することを望まないと明言した。彼が望んだすべては、彼らの生活の中の喜び
が増大することであった。彼の絶えざる望みは彼らを建てあげることであった。彼は他の人の
権利に考慮を払った。彼は誰に対してもつけ込んだりしなかった。彼は殊に彼の回心者の良
心を尊重した。彼は人の良心を畏れた。そしてそれを軽んじたり、その声を抑圧することは決
してしようとしなかった。彼の回心者の多くが良心の咎めに満ちていたが、それらのいくつかは
愚かなことであった。彼の教会の男女は、光に向かう道が引き起こす心の苦痛から生じる疑
念と不安に悩まされていた。パウロはいかなるキリスト者にも自分の良心に反することを許さな
かった。
誰かがこれは誤りであると分かったら、いかなる度合いであってもそれは彼にとって悪いことな
のであり、そのひとはそれを行ってはならないのである。さらにその上そのような道徳観念をも
たない誰かが、自分の優位さと行為を誇って、彼の弱い兄弟の信仰を破船させるようなことは
してはならないのである。異邦人の教会で、異教の神殿に捧げられた肉を食べることは正しい
かどうかに関する終わることのない論争があった。パウロはそのような肉が、他の肉同様全く
無害であることを知っていた。異教の神々は実際には存在しないのであって、存在しない神が
どうしてその祭壇に捧げられた肉を汚すことがあろうか?
 しかしパウロは紳士であった。それ故彼の行為が彼の兄弟達に及ぼす影響を考えることに
縛られた。「あなたがたが兄弟に対して罪を犯したなら、キリストに対して罪を犯したのであ
る。」パウロはそのことを確信していた。それ故彼の義務は明らかであった。彼のいつもの衝
動的かつ純粋な心の方法で、彼は彼の唇からでてきたすべての言葉の中で最善のことばで彼
の態度を表現した。「もし肉が私の兄弟をつまずかせるなら、私はこの世が続く限り肉を食べ
ない。」(1コリント8:13) 彼の礼節に関する他の表現は、他のキリスト者が働いていた土地
から離れているという彼の方針に見られる。彼は他のキリスト教伝道者を、その人の働いてい
る地域に踏み込むことによって妨害することを欲しなかった。彼は十二使徒の働きに干渉しな
いようにすることに殊に注意深かった。彼は彼らのライバルには決してなろうとしなかったし、
いかなる方法でも彼らに対して礼を失することないようにした。彼の誇り高い精神と感情の繊
細さは、他人の正当な領域に自分が割り込むことを許さなかった。彼は誰かの道を妨害するこ
とを恐れた。彼は自分の方針を注意深く説明し、なぜ彼がローマに行かないか明らかにした。
ローマは彼の目的地ではなかった。その町は他の人々に属した。彼はキリスト者が働いたこと
のない土地であるスペインに行こうとしていた。「このように、私は、他人の土台の上に建てな
いように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたので
す。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音
をくまなく伝えました。私はあなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。というの
は、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、
あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。」と述べている。彼は他の働き人
の区域を侵害すると思われるいかなることも避ける努力をした。 彼の礼節は、あるひとびとが
彼を誤解することに導いた。彼らは彼の優しさを弱さだと誤解した。彼らは一使徒がそのように
思いやりがあり慇懃であることができるとは信じなかった。
コリント人たちに彼はこう書いた。「私パウロは、キリストの柔和と寛容をもって、あなたがたに
お勧めします。私は、あなたがたの間にいて、面と向かっているときはおとなしく、離れている
あなたがたに対しては強気な者です。」不作法な人には紳士の行為を理解することは容易で
はない。 パウロは衝動的な天性の持ち主であったが、それを自分の内に押さえた。彼は力強
い性格であったが、自分の力を抑制した。彼は自分の使命に高い意識を持っていたが決して
マナーを忘れなかった。彼は自分の権威を知っていたが、決してそれを態度に顕さなかった。
彼はキリストの学校の紳士であって、田舎の人々から王に至るまでの、すべての人に対して礼
節を守った。彼の礼節はすべての人々に知られていた。
 



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