chapter12

               第12章 パウロの忍耐

激しい気性の人にとって忍耐深くあることは容易ではない。
彼は物事が遅れたりとどめられたりすると大抵の場合完全にいらだち、みっともない振る舞い
をした。
衝動の穏やかなひとびとは、動かされやすい傾向がある。
熱心、熱烈な性分の人々は、容易に冷めてしまうことが多い。
鷲の翼をもってするように昇る人はしばしば急降下する。
しばらくの間競争馬のように走る人々は力を使い果たし、競争から脱落する。
短気は、最も一般的かつひとを混乱させる人間の悪徳のひとつである。
それは人の高貴な生き方を破壊する働きをする。
すべての破滅はその惨害の証拠を示している。
キリスト者の人々は塔を建て始めるが、それらを完成できない。
彼らは鋤に手をつけるが、すきをかける仕事が困難だと分かるやいなや後ろを振り返るので
ある。
彼らは事業を建てあげるがそれを見放して去り他の人がそれを継続するのである。
大抵の人は子どものようである。
何かを欲するとき、それを即座にほしがる。
彼らは待つことを望まない。
彼らは、うんざりするような長い、曲がりくねった取り組みによってしか到達できないゴールに、
一足飛びに達することを要求する。

私たちが忍耐をもって目的を達成することが困難であると思うのは、私たちが激しやすいため
である。

パウロは忍耐の典型であって、私たちは彼が激しやすくせっかちな性格であればあるほど彼
の忍耐力を評価するのである。
彼は走ることができたが、同様に歩くこともできた。
彼は自分をはずすこともできたが、同様に自分を入れることもきた。
彼はことを急ぐのに熱心であったが、待つことも知っていた。
 彼は、回心した直後に彼の使命を果たすために走ることはしなかった。
彼はもはや若くはなく、時は短く、彼の仕事は急を要した。しかし彼は伝道活動に入ることに向
こう見ずに飛び込みはしなかった。
彼はただちにアラビアに出発した。
彼はひとりになりたかった。
彼は考える時を望んだ。
彼は新しい発見をしたが、まだそのことが意味していることすべては知らなかった。
彼は新鮮な納得を得たが、それを世に向かって宣言する備えはできていなかった。
彼が以前信じていた信条はぼろぼろになり、新しい信条が形作られたが、彼が世に提示する
ことのできる形での彼の信条とするために、ひとりになる必要があった。
パウロは知的な人物であって、高いテーマに心を用いるすべての他の人々がそうであるよう
に、彼にとって宗教は多くの複雑な問題を提示していた。

込み入った多くの疑問があったが、彼はもし可能ならそれらに対する回答を見いださなければ
ならなかった。
新しい理念があり、彼はそれらを通して考えなければならなかった。
それらがどこまで遠くに達するのか、それらが意味していることの可能性のすべては分からな
かった。

彼はビジョンをもったが、そのビジョンは彼が手を加え、鋭く深く考える人々に提示可能である
知的な形にしないと無価値なものと思われた。

ダマスコ門の近くでの彼の経験は、彼の生涯のあらゆる分野に非常に大きな変化をもたらした
ので、彼は自分でそれをじっくり考察し、その意味を見いだすまで次の段階に進むことができ
なかった。

大きな光が彼をぱっと照らし、彼のこころの目はすっかり盲目になったので、彼はただちに行
動を起こすことが出来なかった。
新しい経験が彼に起こり、彼はそれを理解し、それを宇宙と神とに関する彼の思考の構造に
組み入れる必要があった。
彼はこころの内にローマ人への手紙を携えてアナニヤの家からでてきたのではなかった。
彼は全く混乱させられ平静を失っていた。
彼はアラビアの孤独に突き進んだ。
彼がそこで何をしたか私たちは知らない。
彼はそれをルカにさえ決して話さなかった。
ルカはそれを全く聞いたことがないかのように彼のアラビア滞在を書かずに通過した。
どれぐらいの期間パウロがアラビアに留まったかを私たちは知らない。恐らく1年、あるいは2
年の可能性もある。ただ私たちは3年後の終わりには、彼がダマスコで何度か説教したことを
知っている。結局彼はエルサレムに行く決心をした。
彼はペテロに会いたいと思った。そしてヤコブと面談することを求めた。
ペテロは彼にイエスの公生涯について話すことができた。ヤコブはイエスのナザレの家庭にお
ける生活を彼に語ることができた。
パウロはイエスについて知り得ることすべてを知りたいと思った。
そして再び急に場面は変わり、今度は10年後である。
ルカは彼がどこに行き何をしたか私たちに語っていない。

パウロはシリヤとキリキヤ地方に行った事実以外は何も私たちに語らない。
これらすべての年を通じて、ユダヤのキリスト者たちは彼に会ったことがなかった。
彼らはうわさによって教会の著名な迫害者がその心を変え、彼がかつてひどく嫌悪していたも
のを今は宣べ伝えていると知っていた。
この静かで人目につかない13年間に、私たちはイエスのしずかな18年間を思うのである。
長い期間の訓練と備え無しに世に現れ出る人はいない。
これらの13年間に、パウロは私たちが彼の手紙のなかで会うことのできる人物になった。
私たちが今手にしている彼の最初の手紙は、テサロニケ人への手紙第一であってそれは彼が
50歳を越えて書いたものである。

それは成熟し、訓練されたこころの産物である。

それは今や彼の回心から18年が過ぎ、長い忍耐深い考察と信仰を伝えることによって、彼の
理念は明確になり、彼の納得は非常に堅く固まっていた。

人は一時間の内にキリスト者の赤子になれるかも知れない。しかし成人に達したキリスト者に
はなれない。
これらの18年間にパウロは幼児期を過ぎ成年に達した。
まばたきする間に賢くあるいは強くなる人はいない。
彼は一瞬にして真理に関する新しい視野が開けたかも知れない。しかし彼の品性は重い労苦
と忍耐の年々によって建てあげられたのである。
もし私たちが、私たちの目から霧で隠されている静かに彼が成長した記録されていない数年間
のこと、彼の魂の力が強くされたあきあきするほど長引いた過程を記憶にとどめないならば、
手紙によって私たちを見つめているこの忍耐深い英雄の静かな忍耐心を説明できないのであ
る。

忍耐は魔法のように天から降ってくる花ではなく、成長し、パウロがそれを表現しているとお
り、霊的な収穫の一部である。

人は己の忍耐を失望に耐えることによって示す。

パウロは世界の首都を見たいとの望みを抱き続けた。
長年に渡って彼はローマで宣べ伝える機会を熱望し続けた。
何やかやといつもその道を邪魔するものがあった。
多くの年月が経って、熱望していた機会が到来した。しかし、この哀れな人物は鎖につながれ
てその町に入った。
しかし彼は愚痴を言わなかった。
彼はその不運を最善のものに変えた。そして速やかに彼の仕事にとりかかった。
彼の手紙のひとつから私たちは、鎖に対するいらだちと不平の代わりに、それが隠れ蓑となっ
ている祝福であるとパウロが喜んだことを知っている。

彼は彼の仕事の妨げとなっている肉体的な悩みから解放されないことに失望させられた。

彼は神にそれから救い出して下さるように求めたが、神はそうすることを拒絶された。
彼は何ヶ月も待った。けれども神は変わらなかった。
パウロがふたたび請い求めた時、神はそれを聞いておられないようであった。
パウロは長いこと答えを待ったが、答えはこなかった。
ついにパウロはもう一度嘆願したが、彼の嘆願は虚しかった。
彼の祈りの代わりに、彼の昔の悩みが思い出された。しかしパウロは彼の信仰をあきらめて
捨てることはしなかった。
彼は自分の仕事におもむき、彼の疾病に妨げられることのない喜びを見いだした。彼はなお
成功ある働きを続けることができたのであった。

パウロの生涯における究極の失望点は、パウロの生きているうちに、イエスが来られなかった
ことであった。
これこそが彼の望みのもっとも好みのもの、彼のもっとも甘い夢であった。
それは望み以上のものとなった−−−それは納得にまで成長した。
彼はイエスのこられることを確信した。そしてイエスはすぐ来ると思った。
パウロは他の人々に同じ期待を吹き込んで勇気づけた。
パウロは常にイエスが現れる栄光の時を待ち続けた。
しかしイエスは来なかった。
何年も過ぎ、待ち望んだ救い主からの返答がないまま、世はその罪と悲哀に進んでいった。

しかしパウロはいらだちも気落ちもしなかった。
彼は不平を言うことなく失望を忍んだ。
彼は次第に彼が死ぬ前にイエスに会うことはないと思い始めた。
しかしこのことは彼の信仰を弱めなかった。
彼は神が自分に備えた道を追い求めることを喜んだ。
彼は年老いたとき、ある友人達に次の世に行く方がよいか、この世にとどまる方がよいか知る
のは困難であると書いた。
彼は死が彼にとってむしろ好ましいことを確信していたが、彼の友人たちのためにこの世にと
どまることは明らかによいことであるとした。彼は神がとどまることをお許しになると思う方に傾
いた。

どんな悲しむべき失望させるできごとも、彼が腹を立てたり平静を失ったりする原因にはならな
かった。
彼の態度はかつて彼がローマ人たちに書いた一文に表現されている。
「すでに見たことを望みとする人がいるだろうか?

私たちが見たことのないものに望みを置くなら、私たちは忍耐深くそれを待つべきである。」(ロ
ーマ8:34)

人の忍耐はその人の仕事の方法に顕れるものである。
パウロはある町に改宗者を得たとき、彼はその場所をただちにそこを去って永久にそのまま
にするということはなかった。
彼はそこに戻っていった。
そこがたとえ100マイルのところにあったとしても、彼はそこまで歩いて戻った。
町から町へと長く疲れる距離を忍耐深く歩いた。

なぜ彼は戻ったのか?
それは彼の仕事がまだ完成していなかったからである。
使者の働きは、他の人々の長く続く働きの助けなしには、僅かの価値しかない。

人が救われると、次に教え、管理し、牧する仕事をしなければならない。
救いはただ説教を聞くだけでは与えられない。
彼の心を捕らえるメッセージを聞くことによって、道徳心が回復され始めるかも知れない、しか
しすべては彼がどうするかにかかっている。
伝道者たちはこのことをあまりにしばしば忘れてしまっている。
彼らは人々を戦いに呼び出すラッパを吹き鳴らして有頂天になったが、戦場において敵に対
峙するため人々を訓練する忍耐深い仕事の重要性を見落とした。
パウロのピシデヤのアンテオケからデルベへの前進は栄光あるものであった。しかしデルベか
らアンテオケに戻る彼の旅に較べればそれより栄光あるものではなかった。

東に進むときパウロは回心者を得た。しかし西に進む道では「弟子たちの魂を強め、信仰によ
る潔めによって彼らを勇気づけ、神の王国に進むものは多くの困難に遭うと語った。」

回心者を得るには勇気がいるが、回心者を教会に加えて組織し、会衆の出来事を管理し、新
入りの信者をキリスト者の生き方の原理に従って訓練することは勇気と忍耐の両方を要する。

この教え、養い、管理する仕事はキリスト者の牧師の魂を最も試すものである。
パウロは彼の困難の全リストを書いたとき最後にこう付け加えた。「すべての教会のための心
労」と。
ひとつの教会のための労苦は、パウロの時代から1900年経ったキリスト教国においてさえ、
一人の人が専任でなす仕事である。
キリスト教がまだ若く、回心者たちが霊的な経験を積み成長していなかった時代には、多くの
教会のための配慮がなんと必要であったことであろうか!

私たちには使徒時代の教会を理想化する傾向があるが、パウロはそうであった通りの教会に
私たちの目を開かせている。
恐らくコリントの教会は他の教会よりも悪かったわけではない。パウロは教会が分裂、醜聞と
虚飾、不作法と迷信と不道徳、公の礼拝の深刻な混乱、主の正餐の際の飲酒について語って
いる。

教会員たちは気むずかしく、おうへいで、愚かであった。
異邦人の改宗者たちは異教世界の悪い習慣に戻ってしまった。
「誇るな、偽るな、盗むな、酒を飲むな、不潔な会話に関わるな、欲望に身を任すな」このような
事柄が、パウロが多くの回心者たちに指導していたものであった。

しかし彼は父、母、乳母のように忍耐深かった。
しばしば彼らを子どもたちのように、しばしば兄弟姉妹のように、彼は思い、彼らのつまずきや
失敗の行いを忍んだ。
彼が好んだことばのひとつに「忍耐深い」があることは不思議ではない。
彼は自分の経験から、長い間親切を保つことができるのは愛があるからであることを知ってい
た。
 強い人間にとって打ち負かされることにまさって困難なことはない。
パウロはしょっちゅう失敗した。しかし彼は常に起きあがりふたたび挑戦した。
彼らは彼をダマスコから、エルサレムから、ピシデヤのアンテオケから、イコニオムから、ルス
テラから、ピリピから、アテネから追い払った。しかし彼はコリントから引き返し彼の働き続ける
決心をした。
それは彼が敗北のつらさを感じないからではなく、新しい傷を受けることをよしとしていたから
である。
彼の艱難は彼を泣かせたりうめかせたりする原因にはならなかった。
それらは彼の忍耐の蓄積を増大させた。
ローマ人に対して彼はこう書いた。−−「私たちは艱難さえ喜びます。それは患難が忍耐を生
み出し、忍耐が練られた品性を生み出すと知っているからです。」

心が卑しく、狭量な人々に対して忍耐深くあることは困難である。 
もし私たちが高貴な動機で行ったときに人々が私たちの動機を疑ったら、私たちは直ちにあき
らめるものである。

ある人々は報酬に関係なく働くであろうし、またある人々は感謝されなくとも働くであろう。しか
し疑いとうそによって毒された雰囲気で働く人はほとんど誰もいないことであろう。
コリントの教会はパウロの全教会のなかでもっとも懐疑的であった。
そこには忍ぶにはもっとも耐え難く、最も困難なあてこすりがあった。
しかし彼のコリント人への手紙第二の終わりに、私たちは彼のもっとも深いこころのこもった祝
祷を見いだす。
それが、牧師が彼の会衆にその愛を表明するのにもっとも適したことばとして、世界中の教会
で採用されたのである。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛および聖霊の交わりがあなたがたすべてにありますよう
に。」(2コリント13:13)
パウロがこれらのことばを書いたとき、彼は「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望
み、すべてを堪え忍びます。」とことばを並べた。

教会の歴史における忍耐の最も素晴らしい表現のひとつは、パウロがエルサレムの貧しいキ
リスト者たちのためにヨーロッパ人の会衆に献金の計画を実施したときに示した態度である。

それは着手するのが大変なことであった。
集めることは常になんらかの反対にあう。一度も会うことが無いと予想される遠く離れた他の
人種の人々に対するものである場合は殊更そうである。
多くの人々にとって、パウロの考えは非現実的であると見え、また他の人々には彼が完全に狂
気したことの証拠に見えた。
めくばせして、彼らは集めたお金が全部エルサレムに運ばれることはないと暗示しあった。
高貴な理由で献げものをする人々のこころを、強くくじくのはこのような会話である。

もっとも偉大な英雄たちでさえ、かれらが中傷をあびせられたとき、その気概を失った。
パウロの誇り高い血は、これらの悪意の当てこすりを聞いてひりひりと痛んだ。
しかし彼は愛想をつかし、彼の仕事から身を引くことはしなかった。
彼の働きは、わずかの悪いこころからでる批判の中傷を理由に止めるにはあまりにも重要な
ことであった。
彼は新しい活力をもってそれを押し進め、エルサレムのその献金を運んでいく教会の使者を
指名してくれるように明るく頼んだ。

彼は陰気な人間ではなかった。彼は不機嫌にならず、彼らの同意があれば彼も同行しようと言
った。

ひとたびエルサレムに向けて出発すると、彼は別の種類の反対にあった。それは彼の心をくじ
けさせようとの試みであった。
彼の友たちは、そこでは彼の敵たちが策略をめぐらしているため、彼にエルサレムに行かない
よう懇願した。
彼らはエルサレムの群衆の残忍さを知っていた。そして彼らはパウロに対してそこではいのち
の危険があると抗議した。
しかし彼の意志の強さが折れることはなかった。

手を鋤につけて、後ろを振り返ることを彼は拒否した。
塔を建て始めたからには、それを完成しようと決意していた。
彼は自分が始めたことを完成することを愛した。
ミレトで彼の友人たちに彼はこういった。「私は自分の走るべき道のりを走り終えて喜びたいの
だ。」
私たちは、彼がエルサレムに自分の顔をしっかりと向けているのを見るとき、彼がこれまで長
年に渡って目的を果たすために堅く保った、すべての危険を勝利を持って通過する決意、彼の
敵たちのあざけりや友の勧告を払いのけ、彼のこころは常に彼が信頼をもたらした男女の必
要を考えていた。それは私たちが心踊らせながら読むことばであっ

て、私たちが私たちの死にそれを結びつけて繰り返す、−−「ですから、私の愛する兄弟たち
よ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。」(1コリント15:58)

私たちは忍耐深く夜彼が針を運んでいるのを考えるとき、彼は日中イエスについて語ることを
自由にできたことであろうと思う。迫害と失望と勇気をそぐ失敗の中にあってもその仕事をして
いるため、彼のことばには新たな哀感がともなう。

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになりま
す。」(ガラテヤ6:9)
彼はくじけなかった。
ローマのクレメントは、パウロの死から40年になる前にコリント人たちに、パウロの驚くべき並
ぶもののない忍耐について書き送った。

これらがクレメントのことばである。
「彼は縄目を受けたことが7回、追放され、石で打たれ、東に西にと宣べ伝え、彼の信仰は高
貴な名を勝ち取った。全世界に正義を教え、西の境界を越えた。

支配者たちの面前で世から退けられたことを証しして後、聖なる地に行った。彼は忍耐の偉大
な模範を示した。」








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