第十章 パウロの謙遜

 人の謙遜さを評価する手段として、私たちはまずその人の誇りの程度をはかるべきである。
ある人々にとっては、謙遜とか謙遜と見なされているものは、いとも簡単である。彼らは虫のよ
うな気質をもっている。彼らは努力することなく卑下した態度をとることができる。もちろん、虫
のようにはい回ることは謙遜ではなくただ謙遜の奇怪なまねごとであるが、しかしそこには虫の
ごとき態度が人間にとって価値のあるものだと考える人々がいるのである。他の人々にとっ
て、謙遜はすべての徳のなかで最も重要なものである。彼らはただ努力をして頭を下げること
ができるだけである。なぜなら謙遜は彼らにとっては非常に異質なものであるため、彼らは結
局それを嫌うようになり、奴隷根性の表現だと主張し、悪徳であって全然美徳ではないと結論
する。 パウロは天性の誇り高さと尊大さを持っていた。そしてそのため彼の内にある謙遜は
努力によって達成したものであった。彼は、「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同
じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字
架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:8)という模範を自分の目の前に掛けておくことによ
ってそれを勝ち取ったのであった。もし謙遜によって私たちが意味することが、自分を軽く評価
することを保つという意味であったなら、パウロは謙遜な人ではなかった。パウロは自分自身
を高く考えていた。彼は頭を高く保った。彼は自分は使徒たちのもっとも高い人と比べてわず
かでも劣るところがないと大胆に言った。彼は、自分は劣ったものであるという思いを培うこと
を喜ばなかった。誰かがしばしば出会うある種の謙遜な人々とは違って、彼は自分は何も知ら
ないとか、何もできないとか、何もしていないなどとは決して言わなかった。一方、彼は自分が
なしえたことの数々を人前で大喜びした。もしも謙遜が精神の卑しさを意味したら、パウロは決
して謙遜ではなかった。彼の内にはおべっかとかごますりといったものは存在しなかった。彼は
決してひとにぺこぺこしたり、自分を卑下したりはしなかった。彼は、自分の人格の尊厳と自分
の使命の偉大さとの両方を意識していた。この世には数多くの謙遜のまがいものや、数多くの
謙遜の曲解と異常な形が存在する。謙遜の最もよい現れを学ぶために、まずイエスの謙遜に
ついて学ぶことがよい。それからキリストに従った誇り高い人物が取った謙遜の形を見いだす
ために、パウロの謙遜について知るのがよい。 パウロは自分を高いものと思っていた。しか
し彼がそう考えるに相応しいものである以上に高く考えたのではない。彼は冷静に考えた。そ
して神が自分に与えた能力を正確に測った。彼は自らを知者と自認したのではなく、更に学ぶ
べきものが常にあることを知っていた。「私たちは少しずつ知るのみである。私たちは少しずつ
預言するのみである。」そう彼は最も美しい彼の文章の中で書いた。「私たちが今知っているこ
との多くはやがて無用のものになり、完全なものが不完全なもの押しやる時が来るであろう。
今、私たちが見ているものは鏡の反射のようにおぼろげであるが、やがて私たちは顔と顔とを
あわせて見るであろう。今私は少しずつ学んでいるが、かの日にはすべてを理解するであろ
う。」それは謙虚な心の告白である。 パウロは自分の知識は真実であるという自信を示して
いる。しかし彼はすべてを知っていると主張してはいない。彼は彼の回心者たちに書いた時、
自分が無謬であるなどという雰囲気を示したりはしなかった。彼自身が決してしなかった主張
を、学者たちが彼のために主張する。なぜなら人はほんの二三のものごとを明らかに見るだ
けであって、すべてのものごとが見えるわけではないからである。誰かが霊感を受けた使徒の
ひとりであるかもしれない。しかし彼は多くの点で無知なのである。込み入った問題に答えると
き、パウロは彼の心の謙虚さを新鮮に示している。彼は結婚に関する複雑な問いに答えてい
るが、彼の答えの中に彼自身が述べていることと神が言われていることの間に厳密に一線を
画している。あることに関して彼はこう書いている、「私はあなた方に命令しているのではない。
私はただ私が述べることが許されることを述べているのである。」更に彼は言う。「これらは私
の指導である。それらを私自身が述べているのであるが、それらは実際主からである。」パウ
ロは彼のその点に関する根底に主の名を冠してもよいと確信していた。しかし、次の問題を取
り上げたときには、彼は読者に彼自身が語っているのであって、主ではないと明らかにしてい
る。彼は彼が述べるすべての意見は神によるものだと、誰かが考えることを望まなかった。婚
期にある娘を持つ親たちの義務について考えるとき、彼は主から何も命令を受けていないと認
めた。神を信じているひとりの人、それを述べるに足る賢い人の意見として彼の考えを示すこ
とが彼のなしうるすべてであった。他の点で、彼は質問している人々に対して自分の考えが彼
らのなすべき最善であると答えているが、それは彼の意見にすぎないと急いで説明している。
彼らは価値があるもの取り上げるかもしれない。そして彼はそれが価値があると考える傾向が
あった。というのは他の人々と同様神の霊を持っていないと考える理由が彼にはなかったから
である。 彼はすべての信仰や行為について権威があるという態度は決してとらなかった。彼
は常に自由について強調した。彼は、他の人々の行為の審判官であると主張する卑劣な輩を
速やかに譴責した。「私たちがあなたがたであったら、」と彼は縮み上がらせるような叱責をも
って問うた。「誰が、他の誰かの僕である人への判断をするのか?その人が立つも倒れるもそ
の人の主人によるのである。自分の仕事に戻りなさい。そして彼を放っておきなさい。」彼は暴
君である専制君主の流儀をまねないようにと注意深かった。しばしば彼のことばは、彼は恐れ
たのだが、彼が意味した以上のことを暗示していた。だから彼は誤解のないように、彼が実際
に意図していることを説明することによって、急いでそれを訂正した。彼の心のうちに神の霊が
おられることを主張するなかで、強いことばを使った後、彼ら自身が自分の信仰に立っている
のであるから、彼らの信仰を支配する権利をもっていないと、急いで述べている。彼は、自分を
彼らの喜びを助けるものであると考えることを好んだ。彼は、彼らと同労者として共に働き、彼
らの教会の権威者であると主張しなかった。彼は十二使徒たちのもっとも偉大な人物にも少し
も遅れをとらなかったが、彼はアポロを自分の脇に置くことに尻込みしなかった。コリント人た
ちのある人々はアポロの前にパウロを置いた。そして他の人々はパウロの前にアポロを置い
た。パウロはそれを好まなかった。彼とアポロとは神の畑で働く農夫仲間であって、各人が全く
神への責任を果たさなければならないのである。一人が種を蒔き、他のひとりが水を注いだ。
種を蒔くことも水を注ぐこともひとつの働きの部分であって、等しく欠かすことができなないこと
である。だからどうしてひとりを他の者よりも高くすることができようか?彼らはふたりともおなじ
く神の業を行っており、おなじく互いに依存している。すべての宗教の教師たちはすべての信
者に属する。そして、キリスト者は自分の好みの教師に閉じこもるのではなく、すべての教師の
賜物を利用すべきである。常に自分をおとしめようとする人々に対して、パウロは彼の生まれ
つきの誇りの面を示した。過度に彼を高めようとする人々に対して、彼は自分の麗しい謙遜の
心を明らかにした。「パウロとは何者か?」と彼は過度に熱心な同志に尋ねた。
「パウロはあなたがたのために十字架に架けられたのだろうか?あなたがたはパウロの名で
洗礼を受けたのだろうか?私はひとりの教師である以外の何者でもない。
私は私自身の教派を建てはしなかった。私の使命は個人的な追従者をつくることではなく、
人々をキリストにあって神と和解させることである。」彼は自分の正直さと、自分の目的は気高
いものであることに対する高貴な意識を抱いていたが、その品性に傷がないとか彼の見解に
は誤りがないと主張することは全くなかった。 彼は自分についてくる人々に勧めるとき、注意
深く付け加えた・・・「私がキリストに従っているように。」と。キリストが理想なのであってパウロ
ではない。彼がキリスト者になって30年後、彼は彼の愛する教会にこう書いた。彼の最高の望
みはキリストを知ることである、と。彼はキリストをほんの少し知ったのであって、彼がキリスト
を知ることを欲し望んだ丈に達していなかった。彼はキリストの復活の力とその悩みを共にす
ることを知ることを望んだ。彼は言った。「私はまだ到達していないし、完成されてもいない。
しかしそれを追い求めている。誰かが私をどう思うかは取るに足らない。私は自分が完全でな
いことを知っている。私が主張していることのすべては、私は常に私の前に置かれたものに一
生懸命である。神が御子の僕であると私を呼んで下さる時、私は神がその心に望んでおられ
るようなものとなることに挑戦し続けた。私はキリストのうちにある義にいまだ十分ではない。し
かしそれを持とうとし続けている。」パウロがそうありたいと願いつつなりえなかったものも彼の
慰めとなった。彼の深い謙遜の精神は彼の告白に息づいている。彼は自分の心を裸にさらす
ことを恥じなかった。彼の時代に、冷静で、すべての感情の心の嵐を遙かに超えて生きる能力
があると誇っている、と主張する人々がいた。パウロはそのような振りをしなかった。彼は「手、
器官、身の丈、感覚、情熱の傾向性」を持っていた。彼は、他の人がそうであるのと同じく、同
じ食べ物を食べ、同じ武器で傷つき、同じ病気に罹り、同じ手段で癒され、おなじ冬の寒さに冷
やされ夏は暑くなった。彼は棘が刺されば血を流した。彼が誤ったとき心が痛んだ。失敗したと
き彼は残念がった。危険にあるとき彼は怖じ気づいた。これらすべてのなかにあって、彼は人
間であり、神に任じられた一人の使徒であった。彼の名声がどのような効果を持つか気に掛け
ず、あるいは彼が神のもとに連れて行こうと試みている人々の目にいかに深刻なダメージを与
えるか注意を払わなかった。「兄弟たち、私のために祈って下さい。」彼の偉大な心の低さには
驚くべきものがある。彼はいつも教会を迫害した罪を思っていた。彼は自分の口を塵につけ
た。この悔悟の時、彼の悔いた心の自ら身を低くする表現には強すぎることばは存在しなかっ
た。
彼が自分に対する神の憐れみを思うとき、最低の自己評価をしたのであった。彼は自分が使
徒たちのもっとも偉大な人物たちに少しも劣るところがないと全世界に宣言する心備えがあっ
たが、自責の心にあるときは、彼は使徒たちのなかでもっとも小さい者であって使徒と呼ばれ
る資格が全くないと思うのであった。この自ら身を低くする習慣は彼の内で成長し、年をとった
とき彼は、自分はすべてのキリスト信者のなかで最も小さい者であると主張するようになった。
彼をこの自らを低くする習慣に駆り立てたものは、神の自分に対する憐れみの記憶であった。
神が彼になすようにと召された仕事の偉大さを思うとき、彼は自分が無価値な者だという意識
は決して持たなかった。その仕事は正しくキリストの地上の国民の見いだすことのできないキリ
ストの富について宣べ伝えることであった。そしてどこにおいてもすべての人々が時代を超えて
隠されていたものを見つけ出す望みであった。そして今正にかつて彼が迫害した教会を思い、
この世にそしてすべての他の人々が決して見つけたことのない神の知恵の豊かさであった。
パウロが神の憐れみに住んでいると思うとき、彼は自らの豊かな賜物を無と数え、彼の全ての
誇りを損失と見なした。この思いは彼の内で非常に大きくなり、彼の意識はついには恐らく病
的なほどにまでになった。彼の最後の手紙の一つに、彼は自分を「罪人の頭」と呼んだ。彼
は、彼が熱狂的な怒りを燃やして男も女も引き立てて、イエスを信じているという理由で牢に投
じ死に至らせた、遙か昔に過ぎ去った日々を再び考えた。パウロの一つの慰めは、キリストが
彼のような驚くべき罪人によって、神がいかに憐れみ深いか示すことができ、パウロの経験を
通して多くの人々が永遠のいのちに与ることができることであった。パウロは人々の前にひれ
伏すことを変わらずに拒否した。彼はもっとも偉大な人々に会っても彼の兄弟と同等に扱っ
た。しかし神の前では彼よりも身を低くした人はいない。永遠者の臨在の前で彼は無であっ
た。彼の持っているものはすべて、神から与えられたものであった。神が彼に与えたすべての
賜は、勲なしに与えられたものであった。それが「恩寵」ということばがパウロが好んだ語彙と
なった理由であった。
それは絶えず彼の唇とペンにあった。人々に会うときの彼の挨拶は、「私たちの主、イエス・キ
リストの恵みがあなたがたにあるように。」であった。彼が別れを告げるとき、彼の最後のこと
ばは、「主イエスの恵みがあなたがたとともにあるように。」
恵みとは不相応な憐れみである。その語の響きは彼にとって音楽であった。それは謙虚な愛
の感覚を彼の心の内にいきいきと保った。 彼の謙遜は低い感情から出てきたものではなく、
それ自体が行為の中に作用するものであった。私たちの主は常に謙遜を賞賛していた。彼は
自らが謙遜であると宣言した。そして彼自身名声を求めず、すべての人々に仕える者となるこ
とによって証明した。彼の生涯の最後の夜、彼は水桶とタオルを取り、それらを用いて言った、
「わたしはあなたがたに模範をしめしているのです。」パウロは常に水桶とタオルを用いてい
た。彼はなすべき事をなした。彼は人のいるところにでかけた。ゆくのに如何に遠くとも問題で
なかった。高い学歴を身につけたが、彼は学校に行かなかった人々の間で働いた。彼の回心
者は僅かの例外を除けば小さな店の店主や奴隷といった、教養のない階級の人々であった。
コリントにおいてさえ教会は大部分が、町の社会的な生活にその姿を刻むことのない身分の
低い民衆であった。「兄弟たち。自分たちの階級を見てご覧なさい。」と彼は言った。「あなたが
たは自分たちがどんな種類の人々なのか考えてごらんなさい。
教養のあるものは多くなく、人々に影響を与える人は多くなく、高貴な家柄の人々は多くない。
神は、教養がなく社会的に影響力がない人々を選ばれて、この世の罪悪と悲哀を終わらせる
ために召し出されたようではないか。教会の前進にお金や社会的な名声が寄与したと自慢す
る機会は誰にも与えられていない。なぜなら私たちの働きは神からの力によることを教会のメ
ンバーが見ていることは誰の目にもあきらかだからである。パウロがそのいのちを捧げたのは
彼の同族の卑しい人々のためでなく、異国の同じように卑しい人々のためであった。イエスの
宗教に惹きつけられた人々は、木こりであり、水をくむ人であり、底辺のひとびとであって上層
の人ではなかった。大部分の教養と資産のある人々、指導的な地位の人々は、新しい宗教を
受け流した。
教養があり指導的な地位にある社会的に高い階級の人は彼のくじを、無知な外国人に投じる
備えはもっていない。それがパウロが彼の生涯を過ごした外国人の共通点であった。これらの
外国人たちは彼が提供できる奉仕を必要としていた。そこで彼は水桶とタオルを取った。多く
の人々が良識あるひとを、そのような道に駆り立てた動機を推測することができなかったのも
不思議ではない。なぜ教養のある人が、逃亡奴隷を主人のもとに帰すために、時を浪費する
ことができたのか?なぜすばらしい能力の持ち主が社会的に無に等しい二人・・・プリスカとア
クラ・・と一緒に薄汚い天幕店で針仕事に日を過ごしたのか?なぜタルソとかエルサレムの神
学や哲学の学校の指導者として立つに相応しい人が、彼の人柄を評価し彼の教えを理解でき
ない数多くの気むずかしい人々に、どのように人生を相応しく生きるかを示すことに取り組んで
彼の力を費やすことができたのか?彼の回心者のあるものの品性は芳しくなく、教会の道徳
的に低い面に彼はしばしば心を痛めた。私たちは、彼の手紙に含まれている表現から、彼の
教会の会員たちは啓発されていなかったと推論することができる。このような平凡な人々を人
生の高い面へ引き上げるこの仕事は、同意されも感謝されもしない仕事であって、普通のひと
の人生を支配しているものとは異なる精神がそのうちにある人以外にはなしえないのである。
水桶とタオルを用いて私たちの天性が砕かれる。
人々は奉仕をするよりもして貰う方を好む。彼らはその人生を、多くの人々の犠牲として用い
ることを望まない傾向がある。パウロはイエスが謙遜であるのと同じ意味で謙遜であった。彼
は有益な僅かな仕事を果たすために権威に立つことをしなかった。
彼は社会的に低い層の人々と一緒になることによって、自分の名声が傷つくことを恐れなかっ
た。彼は自らの手で働くことを自分の品位を落とすことだと感じることはなかった。彼は何事を
なすことも恥じなかった。それが正しい心で正直になされるならどんな卑しいことでも問題でな
かった。彼は親切で心低かった。そしてそれ故、僕(しもべ)という名を嫌わなかった。彼はそれ
を好んだ。そしていつも自分の名に続けて書いた。それは彼が最も愛した資格であった。他の
人々は「聖パウロ」と書くであろうが、彼は常に「僕パウロ」と書いた。ギリシャ人の世界で彼が
選んだ「僕」は、20世紀の家庭の「家僕」ではない。それは彼を所有している主人に拘束され
ている僕あるいは奴隷である。そして彼は主人に法的にしばられており従わなければならない
のである。彼は服従を受けるに相応しい方への服従を徳と数えた。彼は服従の行為に人間に
相応しくないものは何も見いださなかった。彼は彼自身の個性を支配下におくことを喜んだ。彼
は幼子の謙遜を持っていた。常に教えられ熱心に学ぶことができた。
彼は後ろにあるものを忘れて前進した。彼は誇り高い人であった。頑固で傲慢な人になりやす
かった。しかしイエスの感化によって彼は膝を曲げることを学んだのであった。



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