第九章 パウロの誇り

 誇りは徳の一つであるが、いとも簡単にそしてしばしば悪に変わる。それは、普通の人の心
はその適切な程度というものをしばしば見失うからである。誇りの神髄は高い精神と高貴な個
人の尊厳と価値であるが、誇っている状態は容易に傲慢に進ませ、傲慢は尊大に進ませ、尊
大は無礼と横柄に進ませるものである。あるいは誇りが虚栄を引き起こすかも知れない。虚栄
はうぬぼれであって、見せることを愛し、人から賞賛されることを過度に好むものである。パウ
ロは虚栄ではなく誇りを持っていた。彼は高貴な精神、自分の尊厳に対する意識を持ち、また
彼にとって無価値なものに恐れを持っていた。当時の世のギリシャ人の感覚では、彼は特権
階級の人であり、最上級のクラスの人々に属し、彼の国の最上級の市民であった。ローマ人
の感覚では、彼は元老員議員、平民から離れた貴族のメンバーである。アメリカ人の感覚で
は、名門の出、昔からの高貴な家柄のメンバーのひとりである。 パウロは自分の民族を誇っ
た。城の階段の上から彼は群衆に面したとき、叫び始めた。・・・「私はユダヤ人だ。」彼はそれ
を深い誇りのトーンで述べている。彼は自分の民族の罪に無頓着ではなかったが、その徳と
功績とを忘れることはなかった。彼が割礼の重要性を認めなかったので、彼はユダヤ人の特
異性と他の民族から離れていることを否定していると人々が考えることを許さなかった。ユダヤ
人が持っている優位さについて人が問うたとき、もしも彼の教えが音であるなら、彼の回答は、
ユダヤ人は神の口を代弁する信任を得ている、としただろう。ユダヤ人たちが彼を狂信者、裏
切り者として扱ったとき、彼は次の主張を彼らに述べた。「私はヘブル人の中のヘブル人であ
る。」
彼は誰にもそれを忘れて欲しくなかった。彼の敵達が彼らの先祖たちを誇ったとき、彼は彼ら
に同調した。「彼らはヘブル人か?私もそうである。彼らはイスラエル人か?私もそうである。
彼らはアブラハムの子孫か?私もそうである。彼は自分の民族たちを不滅の愛をもって愛し
た。そして彼らの一人であることを光栄とした。 彼は彼の氏族を誇った。彼は自分がベニヤミ
ンの氏族であるという事実を述べた。それは小さい氏族であったが、多くの古戦場で輝かしい
勝利をおさめた勇敢かつ敬虔に満ちた氏族であった。それはベニヤミン族の戦いの情熱であ
って、熱烈なことばの中に突然現れる。・・・「神のすべての武具を身につけよ!」彼は疑いもな
く彼の名を誇った。けれどもそれは彼の手紙の中で行き過ぎではなかった。彼は一人の王の
名を愛した。
 彼は自分の宗教と神を畏れる両親とを誇った。彼はユダヤ人の伝統的な慣習に従い、生ま
れて8日目に割礼を受けた。彼はそれを誇った。彼の両親は律法の誠実な遵守者であった。
彼らはパリサイ人たちであった。彼自身はパリサイ派であって、その事実を強調した。彼はそ
の名を愛し、それを決して捨てようとはしなかった。彼がキリスト者になって何年も経ってから、
彼はまだ自分をパリサイ派と呼んだ。エルサレムの議会の前に立って、彼は言った・・・「兄弟
たち、私はパリサイ派であってパリサイ人の子です。」これは議会を分裂させるための偽りでは
なく、彼が述べたことは真実以外の何ものでもなかった。これは誤りの情報ではなく霊的な事
実であった。彼の基本的な態度と風貌において、パウロは常にパリサイ人であった。ユダヤ人
教会のなかでも、パリサイ派は最も敬虔で霊的な人々であった。彼らは宗教の価値を最も強
調し、世界と人生に関する霊的解釈を持っていた。 彼は神に最も忠誠で、全世界を彼のもと
に引き寄せる努力をすることに最も熱心な教派に属していることを喜んだ。彼はパリサイ派で
あり同時にキリスト者であった。彼は自分の町を誇った。それはパレスチナではなく、有名で栄
光に富んでいた。キリキヤの商業都市、繁栄し富裕で、世界の学問の主要な席を占めている
その名声を喜んだ。多くの土地からその地の学校に学生たちが集まってきた。そして哲学者た
ちや学者たちが世界を照らすために外国に出て行った。タルソはパウロの生まれた土地であ
って、そこで彼は育った。クラウディオ・ルシヤが間違えてパウロをあるエジプト人だと思った
時、ルシヤはこう否定する返答を受けた。・・・「私はタルソの市民です。」 彼はローマ市民で
あることを誇った。それは彼の父親から受け継いだものであった。それは彼に非常に高いレベ
ルの名誉と権利をもたらした。エルサレムの(ローマ軍の千人)隊長が彼をむち打つように命じ
たとき、パウロは柱に縛られるまで何も言わなかったが、縛られた後で百人隊長にこういった。
「ローマ市民である者を、裁判をせずにむち打ってよいのですか?」百人隊長はそれを千人隊
長に告げた。そこで千人隊長は急いでパウロに尋ねた。「教えて下さい。あなたは、ローマ人で
すか?」まなざしに誇りをたたえて、パウロは言った。「そうです」「私もローマ市民です。」「私は
その市民権を金で買ったのだ。」と千人隊長はいった。それに対してパウロは静かに答えた。
「私は生まれながらの市民です。」むち打ちをしようとしていた人々はただちに彼を解放した。
千人隊長は自分が法律で定められている範囲を逸脱したことが分かったので、その囚人がど
んな難題を自分にもたらすか分からず不安になった。 パウロには無知であるか不注意である
ローマの役人の前に立った経験があった。ピリピで、彼らは裁判なしにむち打ちにされ、彼が
ローマ人であるか否か確かめることなく牢に入れられた。朝になって、行政官は官吏をやって
指図し、その囚人を解放させた。この知らせを牢番は喜んで、戸を開け、彼らが牢から出て行
ってよいとパウロとシラスに伝えた。牢番が驚くことに、その囚人たちは出て行かなかった。パ
ウロの誇りは傷つけられた。そして彼は行政官にひとつの訓戒を教えることにした。パウロは
言った。・・「こういう方法では、私は出て行かない。彼らは裁判もせず、公衆の面前で私をむち
打った。彼ら自身がきて私を連れ出すべきである。彼らに、来て彼ら自身が私たちを連れ出す
ように言いなさい。」行政官たちは気高い精神と意志をもった外国人に、彼ら自身が握られて
いることに気付いて驚いた。その役人たちはやってきて柔らかい声と紳士的な態度でわび、熱
心にパウロの怒りを静めようとした。彼らは恥じ入って自分で二人の囚人を牢から連れ出し
た。そして通りで彼らに速やかに町から出て行ってくれるようにと頼んだ。しかしパウロはいっこ
うに急がなかった。彼は行政官たちが見ているところで逃げ去りたくなかった彼はルデヤの家
へとゆっくり歩いていった。教会の会衆を呼び集め、改宗者たちを勇気づけることばを語った。
そして彼が成そうと思ったことをすべて達成してから、シラスとテサロニケに出発した。パウロ
の生涯におけるこのエピソードは、・・・「だれでも右の頬を打つものには反対側も向けなさ
い。」・・・というイエスのことばの解釈に関して光を投げかけている。このことばの意味が何で
あっても、パウロは確かにイエスに従う者たちにとって、ひとびとが彼らの上で靴をぬぐうことを
許容することとは一致しないことを意味した。キリスト者には、支配下にある人々の権利を、無
知なやり方で横柄に扱うローマの行政官やその他の横柄なこころの紳士たちをただす義務が
ある。彼らを叱責することは彼の義務であって、彼らを抗議や非難とは別の高い手段方法で訴
追できないことを知らせようとした。
パウロの誇り高い魂は、それが彼自身を悩ますものであっても他の人々に対するものであって
も、不正を嫌悪した。この魂の高貴さはコリント人への彼の手紙の中に繰り返し光っている。彼
のすべての教会の中でこの教会は最も騒々しく、最も厳しい手段によるパウロの取り扱いをう
けることが必要であった。彼らの洞察力と知識のゆえに傲慢になり始めていた時、パウロは彼
らに彼らの多くが幼子であってミルクを必要とする者となっていることを思い知らせた。
彼らはキリスト者の生き方の初歩をほとんど習得していなかった。それ故パウロは彼らにその
次のレッスンを教えることが不可能であった。彼らがパウロをあげつらったとき、パウロは彼ら
の顔にその批判をまき散らし返した。
彼のことばには、ある譴責のようなものがある。「あなたがたであれ他の人々であれ、私を裁
いたとしてもそれは取るに足らない。唯一の審判者は主であると私は思っている。」
コリントのあら探しをする人々に対して、パウロはどの方法においても優位さを感じており、彼
の激しい性格のために当てこすりと幾分の非難に変わった。すべての誇り高い人々同様に、
彼は狭量な賢者ぶった、噛みつくようなコメントによっていらだたせられた。彼は彼らを、憐れ
みをもって見た。そして時には愛情のこもった懇願の言葉を、また時には刺すような皮肉のこ
とばを注ぎだした。彼は無知と無意味な弱さで憤慨することなく、彼自身を鼻であしらうことを許
さなかった。
ここに彼の皮肉の一例がある。「あなたがたは既に心の望みを得ている。
あなた方は既に天の祝福を得ている。あなた方は助ける者なしにあなたがたの王国に入って
いる。私たちは愚かで、あなたがたは賢い。私たちは弱く、あなたがたは強い。
あなた方は尊敬され、私たちは軽蔑されている。」しかし使徒はすぐ同情的になる。これは彼
の普通のスタイルではない。彼は皮肉を止め、普通のトーンで語る。「私がこのことを書いたの
は、あなたがたが恥ずかしいと感じるためである。ただ私の愛する子どもたちとして指導しよう
としているのだ。」と彼は言う。「あなたがたに指導者は一万人いたとしても、ただ一人の父が
いる。私があなたがたの父である。私はあなたがたが私に倣ってくれることを懇願する。」 パ
ウロの誇りは彼自身と他の使徒たちとの比較に再び証拠立てられる。彼の敵たちはいつも、
彼のことを十二使徒よりも劣ると言ってつぶやいた。彼は彼らのような権威を欠いていると。彼
らは彼が知らないことを知っていると。パウロは彼らが語るのと同じように話すことができない
と。彼は事実まったく何者でもない。それらのおしゃべりはすべて彼を傷つけた。獅子でさえ蚊
に刺されることは好まない。彼は無限の力を持っていることを意識していた。そして彼を取るに
足らない人物とする人々に我慢ならなかった。彼は言った、「たとえ私が取るに足らない者であ
っても、私はかの使徒たちの頭に遅れをとることはない。確かに私は使徒の働きをした。私が
使徒ではないという見解はただ、私が働きの報酬を受けなかったことである。私は他の人々に
対しては使徒でないとしても、あなたがたコリント人たちに対しては使徒である。なぜならあなた
方は私の働きの実であって、私の使徒職の証拠だからである。私は使徒でないのだろうか?
あなたがたが望むことはなんでもためしてみるがよい。私はイエスに会わなかっただろうか?
私は使徒たちの長にすこしも引けを取らないことを主張する。私は雄弁家ではないが、知識を
持っている。そして私はその知識をあなた方に分からせた。」
 彼は彼を引きおろす決意をした他のキリスト者の働き人たちが彼を越えることを望まなかっ
た。「彼らはキリストの使者なのか?そうだ、しかし私もそうである。私は、より多く働き、より頻
繁に牢に入れられ、より多くむち打たれ、しばしば死に直面した・・・私の記録は彼らのより遙
かに長い。」彼らがエルサレムの使徒たちから任命を受けていることを主張したとき、彼の知っ
ていることはすべて彼らとは無関係であり、彼は彼らのことば誤りを指摘し、怒って宣言した。
「エルサレムで尊敬を受けている人々と私は何の関係もない。私は私の任命を人から受けな
かった。私は人から任命されたのではない。私はイエス・キリストと死者をよみがえらされた父
なる神によって使徒に任命されたのである。パウロは他の使徒たちに対する知性と社会的優
位性の意識を捨てることはできなかった。彼らは社会の低い階級に属した。彼らはタルソで提
供されている好ましい環境を楽しむことはなかった。彼らは神学の訓練の利点をもっていなか
った。
彼らは決して旅をしなかった。そして視野の広さと異邦人の世界に対する知識に欠けていた。
彼は彼の敵たちが十二使徒と比較して彼をなんでもないものとしようとしたとき、これらすべて
を考えた。生まれつき彼は尋常でない知性の力を備えていた。そして事実、そのように備えら
れた人は無知にとどまっていることはできない。彼がヤコブ、ヨハネ、ペテロと話し合ったとき、
彼は無意識のうちに彼らの物差しを使った。そしてその後、彼らの側では彼を如何に小さいも
のと見ているか分かった。パウロは彼の鋭い知性、活力と才能に満ちた精神、彼の多彩な知
識による視野の広さの意識に満ち、低い知性の姿を拡大し栄光あるものとすることは彼にはし
みのごとく許容できなかった。
 道徳の分野で、彼は劣ることを感じなかった。イエスに献身することに彼を越える者はなかっ
た。彼は利得を求めてすべてのことをなしたのだとする悪口は、彼の激しい抗議をもたらした。
彼が罰を受けることなく偽ることは、彼の誇りが許さなかった。パウロは自分の品性を誇った。
彼がピリピ人たちに彼の環境がなんであれ禁欲的であることに満足している記述を見つけるこ
とが出来る。ストア派の一人として・・・古の世の最も誇り高い哲学者・・・種々の出来事や肉体
的な状況によらず人生を生きる力があることを喜びとした・・・そのようにパウロも彼の魂を制
御できる能力があることを喜びであることを示した。
彼はピリピ人たちに、彼らの献金に頼っていないことを率直に語った。彼は彼らからそれを受
け取ることを喜んだ。しかしそれが彼の生活の充足に必須であるとはしなかった。
 彼は自分の記録を誇った。これは私たちが公に宣言することを聞いた人物のほこりである。
彼は良心的な生活をした。子どもの時から老人になるまで神と人とに対して潔い良心を保っ
た。彼は、きっと恐るべき過ちを犯したことであろうが、それは彼が知らないでそうしたのであっ
て彼の意図が高貴なものでなかったことはない。
 一キリスト者として、彼は彼の宗教的な働きに修正を加えることは決して容認しないことが彼
の不変のポリシーであった。彼は常に自らの手の労働によって収入を得、たこができた自分の
手を友人たちに見せて満足した。彼を怠け者と呼ぶことは決してできないし、お金のために福
音を宣べ伝えたと彼を正しく非難することができる者はいない。彼はそれを誇った。
 同様に、彼は他の人が建てた基礎の上に立てることが決して無かった事実を誇った。彼は
常に成し遂げるには困難な仕事を十分に受け持った。
先駆者の仕事が他人によって完成されるまで待ち、彼らが労苦したものを刈り取ることはしな
かった。彼はつねに新しい畑に押し進んだ。彼はキリスト者の働き人がだれも行ったことのな
い地へ行った。彼は耕されたことのない畑に種を蒔いた。彼はだれも通ったことない森を突き
進んだ。彼は他の人々が建てるための基礎を置いた。しかし彼自身の教会はすべて彼がその
礎石を置いた。これが彼を喜ばせた。高貴で独立の精神の人は何かオリジナルな物事をなす
こと、そしてそれを実行することが困難であることに喜びを見いだす。
 彼はキリストの奴隷としての彼の苦難を誇った。彼はしばしばそれらを吹聴することはできな
かった。しかし、しばしばそれらに言及した。そしてそれらに言及することによってそれらが彼に
満足をあたえていることを示した。
それらを思い出して泣いたのではなく、それらを思い出して喜んだのである。
彼が自分の身にイエスの傷跡を負っていると述べたとき、老兵士が自分の身の傷跡に感じる
のと同じ深い喜びを感じていたのである。彼は信条のために苦しむことを誇りとした。
いかに歓喜してパウロはこの主張を書いたことであろうか。「私は信仰の善い戦いを戦った。
私は走るべき走路を走り終え、信仰を守り通した。」
勝利者は彼らが勝利したことに対する誇りを感じることを失うことはない。 パウロは同労者た
ちにこの誇りの精神が育つことに熱心であった。テトスに彼はこう書いた。・・・「誰にも軽んじら
れてはいけません。話し好きな成り上がり者たちにあなた軽く扱わせてはなりません。
傲慢な有力者たちがあなたを見下げることを許してはいけません。
図々しい利己主義者たちがあなたを踏みつけにすることを許してはなりません。
これが個人的な威厳の生き生きとした感覚を持った人の忠告である。
 テモテに対しても同様の勧告を与えた。年が若いからといって人々にあなたを軽んじさせない
ようにしなさい。年老いた人々に彼らがあなたより年上だからといって、あなたを赤子のように
軽視する話をさせてはなりません。
正しい、模範となる生き方をする人々は誰であっても、すべての年代の人々の尊敬に値するも
のである。
 自分の息子にこう書いているのは誇り高い老英雄である。彼の長い人生の経験を振り返っ
てパウロは、世はいかに信仰の働き人を軽く扱い、そのことばを嗤いながら軽視して聞くもの
であるかということを示している。世は非難し抵抗するかも知れない。パウロは、キリスト者は
尊厳と重要さの感覚をもっていなければならないと感じている。キリスト者は真に謙遜で、しか
し同時に誇り高くなければならない。
彼は自分の頭を高く上げ、その仕事に邁進し、ふんぞり返るのでもなくもったいぶるのでもな
く、十分に成長した人として大胆に前進すべきなのである。


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