chapter04

           第4章 同時代の人々の見たパウロ

彼らの大部分はパウロを見たことがなかった。

それがギリシャ人もローマ人も彼について何も書かなかった理由である。
見たことのない人について、どうして書くことができようか?
ローマ人たちはユダヤ人を、根性が悪く喧嘩っ早い狂信者の群れ見ていた。それで彼らに関
することはなにも扱わなかった。
ローマ人の精神は、パウロが審問のために一度彼の前につれてこられたことのあるガリオに
宿っていた。
ガリオはパウロが話すことを全く許さなかった。
ガリオは裁判をするためのものを何も求めなかった。
彼はそのような口論や喧嘩に拘わる時間を持たなかった。
ギリシャ人たちは総督のこの会話を非常に喜んで、彼らはパウロの告訴者たちのリーダーを
扇動してガリオの面前で彼を打ちたたいたが、このローマ人はそれを全く意に介さなかった。

それがローマ人の態度であった。気位が高くユダヤ的なものには何についても無関心で、時に
は意地が悪く横柄に侮蔑した。
クラウデオ・ルシヤはエルサレムのローマの軍隊の隊長であって、重要なすべての物事に鋭い
目と耳を持っていたが、パウロのことは何も聞いていなかった。

この使徒が自分の手に陥った日、このローマ人の官吏はあるエジプト人の刺客を捕まえたの
だと思った。
この使徒が語ることを聞いたことがあるただひとりのローマの高官−−総督フェスト−−は、
パウロが狂っていると思った。
彼は神学的な弁明と議論について考えることを求めたパウロを、哀れで不運な人として排除
し、パウロの語ること全部を聞こうとはしなかった。

 そればかりか高い地位のギリシャ人のだれかがパウロを真っ正面からみただろうか。
ギリシャ人は自分たちの文化を強く意識していたので、すべての外国人、特にユダヤ人に対し
て盲目であった。
アテネの知識人たちにとってパウロはただのぺちゃくちゃしゃべる饒舌家に過ぎなかった。そし
て復活の話に触れるとただちに彼の面前であざ笑った。
パウロの心に何日も残る棘(とげ)を残し、きびすを返して彼から去っていった。

そのような人物のために時間を費やす高名なギリシャ人はいなかった。
ビジネスの世界でも彼は注目されるにはあまりにも遠く、単なる危険な煽動者として興味を持
たれたに過ぎなかった。
彼はピリピの一部のグループの人々の収入を激減させた。それが彼らを非常に怒らせ、彼ら
はパウロを町から追い出すことに成功した。
エペソの町で、彼の教えがあるクラスの金細工士たちの商売に決定的なダメージを与えたの
で、彼らの指導者たちは何時間にもわたる暴徒の騒動を引きおこした。

それはパウロが彼らの商売を困難にさせたためであったが、パウロは獣と闘うことを余儀なく
されたと言っている。

自分の利益を奪われる人々ほど無遠慮かつどう猛に闘う人々はいない。
誰かを激怒に駆り立てようと思ったらその人の財布に触れよ。
その使徒にもたらされたもっとも一般的な二つの非難は、皇帝の法律を破っているとすること
とモーセに反することを語っているということであった。
これらの非難のどちらが先になるかは、完全にその時その場の状況にかかっていた。
テサロニケにおいて暴漢たちが、パウロの宿の主人を町の指導者の下に引き立てていったと
きに叫びたてたことは、「こいつらは世の中をひっくり返した。
イエスという王が他にいると宣言して常に皇帝の命令に逆らっている。」(使徒17:6)であっ
た。
カイザリヤにおいてペリクスの前で罪状認否を問われた際に、告訴人の弁護士は彼に対する
訴状を次のように述べた。
「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であ
り、ナザレ人という一派の首領でございます。この男は宮さえもけがそうとしました。」(使徒2
4:5)
傍らに立っていたユダヤ人たちはみな、この訴状が本当であると言った。
その日パウロがエペソ人トロピモを神殿に連れ込んだと非難する暴徒たちの指導者の喉から
叫び出されたことは、恐らくパウロの概念についてユダヤ人たちにとってこれ以上よい表現は
なかったであろう。

「この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者で
す。」(使徒21:28)

パウロがエルサレムに着いた時、彼の友人たちは彼の敵たちが言っていることを彼に告げ
た。その要点は「あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣
習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。」(使徒21:
21)という内容であった。
ユダヤ社会全体を通しての公の噂に従えば、パウロは反逆者、背教者であり、彼の父の宗教
を汚す者、民族に対する裏切り者であった。

異邦人社会の群衆にとっては、彼は市民の秩序の敵、平和の攪乱者であって、私たちが共産
主義者とか無政府主義者とか過激主義者と呼ぶようなものであった。
彼は赤い旗を振る人物であった。
敏感な人々にとっては、彼は望ましくない市民であって−−−恐れられ、嫌われ、避けるべき
人物であった。

彼はその行く先々どこにおいても彼を恐れた人々に追い回された。そして彼らはなし得る限り
彼の仕事を無に帰させようとした。
彼らは常に彼を使徒の一人ではない−−−その振をして、その名を不法に使用しているだけ
で、パウロは自分の心にそれを意識しているはずであるとするが、一方で彼は彼の回心者た
ちから報酬を得、生活費を彼の手で働いて得ることを喜ばないとした。
彼は偽善者で嘘つきであるとの仮定から始めることによって、彼らは彼が扇動者、ペテン師で
あり常にごまかしと欺きによって人々を捉えているとする証拠を見いだすことに容易であった。
彼は節操のない人物−−ご都合主義、日和見主義、詐欺師であって、すべての物事をすべて
の人々に対して彼を有名にし、彼自身の私腹を肥やすことに駆り立てる人物であるとした。

彼は二心の持ち主かつ二枚舌であって、あるときはこういい、また別の時にはそれと反対のこ
とをいう。一貫性を欠き、利己的な結末のみを追求している。
彼は離れているときには大きいことを言うが、面と向かうときには臆病であって子羊とか無害
の鳩のように弱い。
彼は金銭を愛し、貧しい者のために集める。それはその中の幾ばくかを彼のポケットに入れる
からである。
彼は自分ができない慈善事業の中にいる。
彼のエルサレムの貧しい人々への熱心は、彼の悪辣でどん欲な心のカモフラージュなのだ。
さらにその上彼は病身で教養とか弁論の力に欠けている。
ある話し手に言わせれば彼には何の能力もない。
彼の説教は評価に値しない。
ある者は彼の発言は鼻を引っかける価値もないとまでいう。
これらは彼自身が自分について述べたことの一部である。
重大な非難は、
詐欺師、詐称者、はったり屋、権利の侵害者、扇動者、ペテン師、嘘つき、臆病者、日和見主
義者、拝金主義者、虚弱者。

これ以上どんな悪いことを彼について言うことができただろうか?
ある人は私たちの主のことばを思い出すだろう−−−「彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらい
ですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。」(マタイ10:25)
これらの反対者の多くは疑いもなく、敬虔で正直な人々であった。

敬虔で正直な人々がしばしば信じ語ることができることは驚くべき事である。
パウロがキリスト者たちに強いて神を汚させようとしたことを、神を喜ばせることだと信じたのと
同様に、これらの人々は神に仕えていると思った。

パウロに石を投げた人々はステパノに石を投げた人々と同様に敬虔であった。ステパノに石を
投げた人々はイエスを十字架につけた時と同じ宗教的で真面目な人々であった。
保守的であること、偏見、党派心、見解に関するプライド、頑固、虚栄心、野心は神的な敬虔、
真摯さ、敬虔な熱意とは異質であってその実は悪魔的な結果となる。

ひとはすぐになぜパウロの敵たちがそのような精神と心に達したか読み取ることができる。

彼は割礼に関する聖書の平易なことばに確かに無視した。千年守られた神聖な習慣に関する
考慮が足りなかった。疑いもなく他の人々を永遠の盲目とみなし一時の法律であると掃き捨て
た。そして真の宗教のいのちの必須の高貴な見解をとった。

彼が誤解されたのも不思議はない。誤解されたことによって誤り伝えられたのも当然である。

誤り伝えられたことによって、彼が嫌われ疑われたことは避けられなかった。そして疑いと嫌悪
は彼らの仕業を完成させた。彼らは嫌悪と偽りを持った。
パウロの批評者たちは、彼らがパウロに対して掛けたすべての嫌疑は、たしかな根拠を持って
いると彼らは考えた。
彼がなすことと述べることは常に彼らの敵意を確かなものとした。
彼に関して正しい判断をすることは不可能であった。
パウロは彼の批評者たちよりあまりにも高かったので、私たちは彼らを非難するよりもむしろ
憐れまなければならない。
たとえば、彼の柔和さは彼らにとって不可解であった。
それは彼らにとってはまるで臆病のように見えた。
自分に利益をもたらす期待をなんら持たず誰に対してもすべてのことをなすといった、彼が自
分の生涯を他の人々を助けるために用いることは、彼らにとって不思議なことであった。

彼の貧しい人々とのかかわりは彼らが偽りだということから遙かに離れていた。恐らく彼らは貧
しい人々が自分のドアの真ん前にいても彼らに対して何の愛情ももっていなかった。
その上人は裏切りを好まない。そしてパウロがその裏切り者なのであった。
彼はキリスト者の敵であった。それなのにやがてある瞬間彼自身がキリスト者になった。
彼はダマスコにあることをしに出かけた。しかしそれから他のことを行った。
それは人々が理解し許すことのできない変節の典型である。
彼の敵たちはつねに彼のことを12使徒のひとりではないという事実をつぶやいた。それは彼
がペテロやヨハネに恵まれた名誉を受けることが無かったことを意味している。そして彼のイエ
スに関する知識には限界があることを余儀なくされ、彼の教えは12使徒たちのような権威を
持たないとした。
彼らの批評とあら探し、そして彼らの悪口と誹謗さえも、私たちにとってはパウロの品性を研究
する上で大なる価値がある。
彼らは私たちに他の人々が彼を見るように見させた。
彼らが言うことはいつも邪推のみであった。しかし悪口さえもそれを投げかけられた人に関す
る光をしばしば投じるものである。

たとえば彼らがイエスに投げかけた非難のことば−−「食いしん坊の大酒飲み、取税人罪人
の仲間」−−は、なんと素晴らしい啓示を与えていることであろう。
パウロの敵たちの罵倒も、言外に教えているのである。
パウロには責められなかった多くの罪がある。

それらの存在がほんのすこしでも暗示されたら、それらは敵の非難の矛先から逃れることはで
きなかった。
ふたたび言うが、もしそれらの誹謗と酷評が存在しなかったら、私たちはパウロがどんなに偉
大な人物であったかを決して知ることができなかったであろう。
彼は非難の嵐の中を生きたが、優しい心を持ち続けた。
彼は長い間苦しめられたが親切であり続けた。
彼は残酷な批判を浴び、激しい非難に打たれ続けたが、彼の働きを正しく保った。

彼はこの世をより幸福にかつよりよくすることに全力を尽くした。彼の国の首都での、「こんな
男はこの世から取り除いてしまえ。生かしておくべきではない!」という悪意の叫び声の中にお
いてさえ彼は神に感謝した。
僕は主人のようになれば十分である。
 パウロの敵たちはいつも彼を殺そうとしたことは注目しておくべき事である。
彼らは非常に強烈に彼を嫌い、彼の血以外に彼らを満足させるものはなかった。
彼らは激しい憎悪を持って彼を嫌ったため、狂気に駆られた。
40人以上の人々がパウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てることによって結束し
た。彼らはパウロが生きているために惨めになった大いなる群衆の思いを代表していた。

私たちはある人の苦しみを見なければその人を知ることはできない。

イエスがパウロに関して述べた「わたしは彼がわたしの名のためにいかに多くの苦しみを受け
るかを示すつもりです。」(使徒9:16)が初代教会の伝承であった。

人はその力量に応じて、他の人々を惹きつけたり反目されたりする。
もしもパウロがある人々からするどく排斥されたのであったら、彼は他の人々を鉄の環で自分
に結びつけたのである。
もしも彼が人々にとって最も嫌いな人物のひとりであったら、だれかから最も愛された人でもあ
った。
ガラテヤのキリスト者たちは彼にあこがれ、自分らの目をえぐり出して彼に与えたいと思うほど
であった。
ピリピの回心者たちは彼に好意を寄せ、彼が行くところどこにでもついて行った。そして再三彼
に贈り物をした。
パウロにはコリントに友人がおり、パウロへの忠誠がイエスへのそれを越えると考える危険に
陥るほどであった
パウロは彼らが−−「私たちはパウロに属す!」(1コリント1:12)と叫ぶのを恐れた。
エペソの友人たちの心は彼と強く結びつけられており、エルサレムに行く途上でパウロが彼ら
に、もうあなた方の顔を見ることは無いでしょう、と言った時、子どもたちのようにすすり泣い
た。そして別れの時がきたとき彼の首に抱きついていよいよ最後の時がくるまで大声で泣き、
繰り返しキスをした。彼らは彼と共に船まで行き彼らから離れるのが困難なほど彼にしがみつ
いた。

彼らはパウロのうちに友、兄弟、父を見た。
パウロが彼を信頼した人々によっていかに尊敬されていたかが、エルサレムへの最後の旅の
ルカの記述によって明らかにされている。

それは途切れることのない喝采であった。
私たちも叫ぶ−−「見よ。彼らはなんと彼を愛していることか!」と。
トロアスにおいて、彼の友人たちは夜を徹して彼に熱心に聞き入った。部屋が非常に混んだの
で彼らのひとりがついに窓に腰掛けたほどであった。

エペソの教会の長老たちがひとめ彼に会おうと思って、30マイル以上離れたミレトまで歩いて
きた。もし必要であったら彼の顔を見るために百マイルでも歩いたことは疑えない。

ツロにおいて、彼は口伝えに知られていただけであったが、キリスト者たちによって最も手厚い
待遇をされ、彼は7日間快適に過ごした。そして彼が出発する時がきたとき彼らは皆、男も女
も子どもたちも船までゆき、船が出帆する前に、海岸にひざまずいて別れの祈りをした。

 彼らは彼にエルサレムに行かないように懇願したが彼は聞き入れなかった。
カイザリヤで、彼らはエルサレムで命の危険があることをもっと熱心に彼に伝えたが、彼を説
得することはできなかった。
彼らの心配すら彼を動かすことはなかった。
彼らはエルサレムの人々の感情を知っていた。そして何が起ころうとしているかということに関
する暗い予感を持っていた。しかしそれはただ彼らの涙によって自分の心を引き裂かないよう
にとパウロに懇願させただけであった。それで彼らは避けることの出来ない神のみこころを感
じて頭を垂れた。
エルサレムは彼にとって堅固な敵地ではなかった。
その強い保守的な要塞の中にも、歓迎の手と共感するこころがあった。

エルサレムの教会の長老たちは友好的ではあったが、用心深かった。
彼らはパウロに対する偏見が刺すように危険であることを知っていたので、彼らの敵意を和ら
げることができるであろうと思われるある事をするように勧めた。
パウロは最初から最後までヤコブとペテロとヨハネの深い尊敬を得ていた。
ペテロは、彼らすべてに対して書くときに−−「私たちの愛する兄弟パウロ。」−−と言った。
母教会の指導者たちはエルサレム会議の報告に書かれているヤコブのことばを決して拒否し
なかった。−−−「私たちの愛するバルナバとパウロ、私たちの主イエス・キリストの名のため
に命の危険を冒した人々。」

 もしパウロがイエスのために命の危険を冒さなかったなら、他の人々もパウロのために彼ら
の命の危険をおかさなかったであろう。
アクラとプリスカという夫婦は、パウロのもっとも親しい友人であった。
パウロ自身のことばで、パウロのいのちのために「彼らは命の危険を冒した。」(ローマ16:4)
のであった。
多くの人々が喜んでそれをした。
パウロは人々に熱烈に彼に献身するこころを引き起こした。
パウロが獄中で歌ったとき、ただ一人で歌ったのではなかった。
シラスが彼と一緒に歌っていた。
それはソロではなくヂュエットであった。
彼は常に同労者、戦友、囚人仲間を得ていた。
私たちが、彼が完全にひとりであることを見ることは決してない。彼の行く道が最低のときにさ
えも、ルカが彼と一緒にいた。
彼の生涯のすべての段階において彼自身こういう事ができた。−−「私たちは、四方八方から
苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありま
せん。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」 (2
コリント4:8−9)







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