第一章  人間パウロ

 私はパウロの肖像を描くことを目的としている。
彼の生涯の物語を語ることではなく、彼の魂の姿を描き出すことがねらいである。
今私は彼の理念ではなく彼の姿勢に、彼の信条ではなく彼の習慣的な気分、彼の思考のシス
テムではなく彼の品性について関心を持っている。品性はその人を明らかにする媒体である。
神が知性の働きをもってのみ人間に語ることがおできになると思うことは、私たちの誤りであ
る。神は人間の行動を通しても語られる。道徳的な姿は、神がそれによって人の品性と動機を
明らかにする器官である。私たちは偉大な人々の行いや苦難を通して、私たちが天からうける
ものを学ぶ。これらの章に私たちが学ぼうとしていることは、パウロの個性であって彼の神学
ではない。
イエスが人々に会ったとき言ったことは「これを信じなさい」でも「あれを受け入れなさい」でもな
く、「わたしに従いなさい!」であった。
パウロは気持ちが最も高揚していたときには、人間の堕落とかイエスの死に関する解説などに
関する神学表現をしなかった。そうではなく、彼が魂から注ぎだしたのは「私はあなたがたに懇
願する。どうか私に倣ってください。」であった。「私がキリストを見倣っているように、私に見倣
いなさい。」「あなた方が私から学び受け取ったもの、私から聞き、私のうちに見たこれらのも
のごとを行いなさい。」私たちはみな同じようにパウロの書簡集について語る。しかしパウロ自
身が手紙なのであって、すべての人々が読んで知るべきものなのである。
 しかしパウロについてはほとんど知られていない。普通のキリスト者は、彼について精通して
はいない。彼は一冊の本の中の一名前にしか過ぎず、しかも生きている人物ではない。彼は
神学の議論の分野の枠内であちこちに素早く過ぎ去る陰であって、彼のうちには血が流れて
いないのである。彼は通路に置かれた彫像であり、人々の日々の必要に対する助け手ではな
い。彼はキリスト者の心から遙かに離れている。彼はギデオンやダビデのように有名でなく、ペ
テロやヨハネのように親しまれていない。残りの使徒たちの誰よりも彼に関する情報を私たち
は得ているのであるから、彼は使徒たちのなかで最もよく知られているべきなのであるが、私
たちにとって彼はほとんど見知らぬ人のままである。
もしも私たちが私たちの手の届く範囲の情報の源を丁寧に用いるならそれだけで、彼はキケロ
以外の古代のどの人々よりも私たちによく知られているものとなるであろう。
彼は私たちに多くを与えた。しかし悲しいかな、私たちは彼を知らない。この事に関しては、学
者たちがいくぶん非難されるべきである。彼らは、この使徒について自分たちが研究したがらく
たを山と積み上げ、平信徒が彼に至ることを難しくしている。パウロに関して幾千の書が書か
れたが、そのほとんどは彼らが研究したものである。博識を持って自分が著そうとする本に重
みをつけないと、彼について書き下ろすことはほとんど不可能と思われる。学者の専門書によ
って私が意味しているものは、参考にした多数の権威者たちのリストが含まれている長い序文
を有し、各ページに脚注があり、テキスト本文のなかの多くの領域に数多くの引用文が織り込
まれている、普通の人は聞いたこともないような書物が頻繁に参照されている、いまだ難解と
されいるパウロの様々な不可解なことを引用し、しじゅうそれを示唆する、また各章の最後に
は付録としてその本が取り扱っている論争点とぶつかり合う解釈が示されている、そういった
書物である。
これは誰かがパウロに関する書物を取り上げるときに期待される書の一つに類する。
 哲学的になることなく彼について書くことは不可能に見える。誰が著者であるかは問題でな
い。宗教の歴史やキリスト教の発生に関するパウロの位置づけ、あるいはパウロ自身がそれ
をなしたのではなくとも、彼のユダヤ教やパリサイ主義とかグノーシス主義や禁欲派の神秘主
義とか新プラトン主義とか、あるいはたとえ彼自身がそれを行ったのでなくとも、「パウロ主義」
の大量の著作を書こうとするのである。
パウロ主義について書くことは、パウロについて書くことよりも明らかにはるかに容易である。
パウロの伝記作家たちでさえ非常に博識で冗長になり、彼らは普通の読者の役に立たない。
パウロについて書く代わりに、彼らはパウロが旅行した国々と彼がそこで説教した都市の歴史
に関する記述で彼らのページを満たす。彼らはパウロと一緒に出発するが、直ちに地理や考
古学、古代植物学に横滑りし、その深さは読者を圧倒する。なんと広いスペースが書簡の解釈
に、年代学の問題に、信憑性と注解と修復のために使われていることだろうか。だからパウロ
の生涯を読む誰かを疲れ果てさせるのである。
 1世紀にパウロにもっとも悪さをしたのはある銅細工人であった。19世紀と20世紀において
は、それは銅細工人たちではなく、研究した専門家たちであり学問の大家たちと博識な注解者
たちおよび器用な神学者たちである。これらの人々は、非常に多くの解釈や見解、多様な学問
によって彼を覆い、普通の人々には彼を見いだすことができなくした。パウロは学者専用とな
り、一般の人々のヒーローではなくなった。それ故、専門家、学者たちの忍耐深く労を惜しまな
い研究に多くの恩恵を被って、彼らの助けなしにこの書は書かれなかったであろうけれども、
私は専門書を書くまいと決心した。私は神学者パウロ、哲学者パウロ、形而上学者パウロ、論
理学者パウロ、神秘主義者パウロ、ローマ市民パウロ、旅行者パウロ、雄弁家パウロ、聖職
者パウロ、政治家パウロ、宣教師パウロ、使徒パウロ、牧師教師パウロを書かず、人間パウ
ロを書くのである。私は「聖パウロ」すらも書かない。「聖」ということばを一時削除しよう。その
ことばはある種の防御的な語・・それを身につけた人の顔を覆うことばのベールの一種であ
る。それはそれを持っている人と、聖性に要求を持っていない人との間に、深い溝を掘るので
ある。障壁を掃き清め、すべての溝を取り除くことにしよう。私の願いは、あなたがたが彼の心
臓の鼓動を感じ、彼の呼吸を聞き取ることができるくらい彼に近づくことである。 なぜならパウ
ロは知られておらず、好かれていないからである。人を好きになるにはその人を知ることが必
要である。私たちが最も愛するのは私たちを最も助けてくれる人々である。もしパウロが私た
ちを助けなかったなら、それは私たちが彼を愛さない理由である。私たちのあるものは彼を尊
敬する。しかし彼に私たちの心を渡さない。私たちのあるものは彼を好かない。それは彼を誤
解しているからである。彼と私たちの間に障壁を築くのは私たちの無知である。私たちのある
ものは子どもの時に彼に対する偏見に陥る。家の中にある最も面白くない本は、パウロの教
義に関する本である。牧師たちの説教のなかで最も無味乾燥なものはパウロに関するもので
ある。私たちが彼の手紙に浸っても、私たちはまだ彼をあまり好きにならない。なぜなら聖意
や予定や義とされることや聖とされること、徳育や滅びといった語をその中に見つけるからで
ある。
私たちはそのようなことばをもって子どもの心を勝ち取ることができるだろうか?多くの子ども
たちにとってパウロは子どもたちが入っていけない世界に住んでいる聖なる魔物の一種なので
ある。私たちが大人になってもまだ彼をほとんど好かない。なぜなら彼は、逃亡奴隷を帰らせ、
婦人たちに教会の集会では黙っていなさいと命令するからである。彼は奴隷の主人たちの友
であり、婦人たちの権利の敵であるように見えるのである。後日彼の名は神学的な頑迷と敵意
の異名となった。このことは、議論と物事は理解しがたいものであることを暗示している。私た
ちはこの人の言葉がすべての世代の狂信者の餌食になり、暴君の手の戦斧(せんぷ)となって
いることを歴史から発見する。神学者は彼の書簡を武器庫として用い、彼らの反対者を打ち負
かすための武器をそこからひきだしてきた。こうして彼の名は偏狭の悪臭と独善の味を有する
ものとなった。独断的な主張教義の悲劇と神学論争の苦悩をもって私たちの思念に結びつけ
られた。暴君たちが彼のことばを引用してなしたこと、偏狭な人々が権威付けのために引用し
たことについて、すべてパウロに責任を負わせる。キリスト教会を悩みと恥辱に落とし入れる少
なからぬ混乱と苦さについて、彼に責任がある・・と私たちには見える。 この人をそのように
見積もるのは、私たちの知識が限られていることが原因である。私たちはおおかたうわさによ
って判断し、まっすぐにその人自身のところに行かない。西洋諸国の大部分にパウロは、ジョ
ン・カルビンを通して知られた。そしてカルビン主義化されたパウロは魅力から遙かに離れてし
まったと言わざるを得ない。もしあなた方がパウロを理解したいと思うなら、カルビンの組織神
学を閉じ、あなたの新約聖書を開かなければならない。ルナンがパウロの君臨は終わりに近
づいていると言ったとき、彼はジョン・カルビンのパウロに言及したのであった。そのフランス人
学者は正しかった。カルビン主義化されたパウロの君臨は事実終わったのである。カルビン主
義的解釈のキリスト教は成長しすぎた。それはイエスやパウロの基本的概念に対して忠実でな
い。その究極的な消失は確かである。しかし新約聖書のパウロの君臨は終わることがない。そ
れは始まったばかりである。神学者パウロの統治はカルビン主義神学の終わるページに現れ
る。しかしピリピ人への手紙を書いたパウロは黎明期である。人間パウロは、はじめて彼自身
を取り戻している。彼は全世紀を通じて知られざる使徒であった。きたるべき世代はいろいろ
な点で否定された彼を、正しく評価するであろう。
「イエスに帰れ」は19世紀の世界に、はっきりと強く鳴り響いたスローガンであった。「パウロに
帰れ」は私たちが生きているいまの世紀に響き始めた叫びである。
私たちは解説者、すなわちあらゆる学校の神学者、ジョン・ウェスレイとジョン・カルビン、そし
てジョン・ノックス、オーガスチン(アウグスティヌス)、使徒教父たちをわきに置き、パウロ自身
に帰らなければならない。
彼は彼自身の最善の解説者である。私たちは彼の生活の光によって彼の教理を読まなけれ
ばならない。私たちは彼の品性に私たちの目をとめて彼の神学を解釈しなければならない。彼
のうちには、キリストの霊が極めて特異なほどに宿っていた。神の子の生命は彼の肉体によっ
て顕された。彼は、彼の悩みは・・彼自身の主張するところによれば・・世の救い主の悩みの欠
けた部分の補いであるという。彼はまた主張して言う、彼の態度、振る舞い、彼のなしているこ
ととその精神は、神のキリストの啓示であると。
新約聖書は二人の人物・・・イエスとパウロ・・・の姿に私たちの目をとめさせる。他の人々もそ
こにいるが、彼らは皆背景である。絵の中央に立っているのは救い主イエス、生ける神の子で
ある。そしてその傍らに立つ、他のすべての人々にぬきんでている人物は神が喜ばれた御子
の品性を持っている。 この人がよく知られていないのは歴史上の悲劇である。私たちは彼を
必要としている。世界は教義と信条に疲れるようになった。今日、予知や予定、あるいは罪の
人を論じている人に耳を傾けるものはいない。今は人間性が渇望される。品性が称揚される。
人々はどこにおいてもうろたえ勇気を失い幻滅を感じている。彼らはもがき苦しみ勝利する人
のビジョンを必要としている。多くの人々が落胆し皮肉っぽくなっている。彼らは叫ぶ・・・「誰が
私たちに何かよいものを見せてくれるのだろうか?」彼らは善いことに献身する人の表情の光
を必要としている。現代人の心はキリスト教の力に対して懐疑的である。
イエスの原理は美しいと認めるが、彼の生き方は現実的でないと思われている。人間の天性
は人間の生まれつきのままであって、それは変えることができない、そして人は常に彼の今の
ありのまま、そしてその先もそうであることが常に必然であると強調されている。私たちは、そ
のひとの内にキリストの霊が明瞭な勝利の働きをされた標本を、常に私たちの前に保っている
ことが必要である。私たちは、キリスト者の理想の主張に対する確固たる事例を必要としてい
る。パウロは、人は突然変わることはできないとあざ笑う人々への答えである。彼はキリストが
約束されたことを満たす比類のない証拠である。もしこの人がキリスト者であると告白している
人々の頭脳と心に生きて働く力となったなら、全教会は燃やされ力に満たされることであろう。
すべてのことを、キリストを通してなすことができたことを経験によって発見した、この霊的にエ
ネルギッシュな人ともっと近く接触することができたなら、私たちのすべての文化は新鮮な活力
と輝く音色とを受け取ることができるであろう。
 ではどうしたら私たちは彼を知ることができるのか?私たちは使徒の働きを通し、また彼の1
3の書簡を通して彼を知ることができる。これらは彼の生涯に関することを、私たちに対し十分
に与えてはいない。しかし、それらは彼の魂を知ることについて私たちに十分なデータを提供し
ている。私たちは何から始めたらいいのだろうか。なにから始めるかに多くのことがかかってい
る。多くの人々がやり始めるが、すぐに止めてしまう。その理由はかれらが正しいところからは
じめないからである。
彼らはローマ人への手紙からはじめる。それはパウロの姿を知りたいと望んだ人にとって、最
悪の可能性のある点からはじめたことになる。ローマ人への手紙はパウロの手紙の先頭にあ
り、最も長いが、当時の世界の首都にある教会にあてたものであったからである。
しかしそれは私たちが最後に読むべき手紙である。リストの最後に位置する・・ピレモンへの手
紙から始めるべきである。それはデリケートな事柄について親密な友人にあてた覚え書きに過
ぎない。そしてそれ故、個人的なことが顕されている。
もしあなたがたがパウロ主義について関心があるのであったら、ローマ人への手紙を読みなさ
い。もしあなたがたがパウロについて知りたいのであったらピレモンへの手紙を読みなさい。ピ
レモンへの手紙の次にピリピ人への手紙・・彼がヨーロッパで得た最初の回心者である友人の
グループにあてて書いた手紙・・を読みなさい。それは愛情に溢れている。それは感受性を滴
らせる。そこに溢れているのは喜びであり、その天真爛漫さに魅了される。
この手紙を読むとき、あなたがたはひとりの紳士の前にいるように感じるであろう。ピリピ人へ
の手紙の次に、パウロの手紙のなかで最も自伝的であるコリント人への手紙第二をお読みな
さい。それには使徒の生涯に関わる情報が詰め込まれている。そしてその中に、彼は聖書の
何処にも比べるものがないほど彼の心を裸で横たえている。
彼は彼の敵たちの不正と残酷さとに対して彼自身を擁護している。彼は苦悩に身もだえする。
そしてその悩みの中で、悩まされている無実の人のみが敢えて口にするものごとを彼は述べ
ている。ピリピ人への手紙の中でパウロは友人たちに彼自身を明らかにしている。コリント人
への手紙第二の中では彼の敵たちに対して彼自身を明らかにしている。これらの二つの絵は
私たちの記憶の画廊に並べて掛けられるべきものである。
次はテモテへの手紙第二をお読みなさい。これは現存する彼の手紙の中で最後に書かれたも
のである。それは、死の予想にしっかりと自分の顔をむけながら、獄中で、世界中で彼が一番
愛している、友というよりも息子であるような人にあてて書かれた。
もし私たちがパウロの心の最奥を知りたいなら、私たちは彼の息子への第二の手紙を無視す
ることはできない。
これらの四つはパウロの四辺形を構成する。これらの四つの手紙を繰り返し読んだ後なら、あ
なたがたは彼の友ルカによって書かれたパウロの為したことの報告書を読む準備ができたの
である。10、11、12章を除く使徒の働きの後半の20章は、パウロの経験の進行の様子を描
いた絵のシリーズとなっている。その物語は簡略化され、多くの抜け落ちがある。しかし記者は
しばしば短い文章によってパウロを稲妻の光のようにライトアップする。ある瞬間彼は私たちの
前に驚くほど生き生きと立つ。そして私たちは天の光を持って彼がどんな姿であるか見るので
ある。使徒の働きを繰り返し読んだ後、学生たちにガラテヤ人への手紙を読ませ、それからテ
モテへの手紙第一とテトスへの手紙を、そしてそれからコリント人への手紙第一を読ませなさ
い。残る五つの手紙は・・・テサロニケ人への手紙第一と第二、コロサイ人への手紙、そしてロ
ーマ人への手紙が最後に残る。13の手紙はみな信頼に値する。あなたがたはそれらに極限
まで信頼してよい。私たちは主張されている不一致点、矛盾、変化、相違について時間を浪費
してはならないし、彼の風貌に関する議論で自分自身を悩ませてはならない。また私たちの頭
を悩ます年代記に関する問いかけはわきに置かなければならない。またパウロが書いたどの
行に関しても異なる解釈との論争に取り組んではならない。
これらのことは、私たちの探求に対して何の興味をも与えない。
私たちはパウロを、そして彼の人生の勝利の力を知りたいのである。パウロ自身がキリスト・イ
エスによって負わされた悩みを、私たちも彼と共に負うものでありたいのである。


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