第十四章  イエスの礼節

 「そして彼に触れられた。」・・・マタイ 8:3

私は今、あなた方に注意を向けて貰いたいと願っているイエスのある属性を表現することばを
見いだすことに困難を覚えている。この属性は勇気ではあるが、しかし勇気以上の何かであ
る。勇気は心の気質のひとつであって、困難と危険に遭遇したときの心の堅牢さである。しかし
勇気にもいろいろな種類がある。勇気の最初にくるものは勇敢さであり、通常の勇気では持ち
得ないある種の危険をあえてなす、恐れを知らぬ大胆さがある。勇敢さは勇気の先を行き、誰
も望まないリスクをあえて取るのである。さらにその上、不屈の精神あるいは受け身の形の勇
気がある。もし勇敢さが攻撃にむかって突進するのであるなら、不屈の精神はその基礎と忍耐
を保つのである。そしてさらに武勇がある。それは戦場において仕えるために身を献げること
である。危険で華麗多様なヒロイズムの勇敢さがある。ヒロイズムはあたかも後光が差してい
るようなものである。しかしこれらのどの語も、豊かにあるいは広く、イエスの心の勇敢さのあ
る面を、完全に私の思いどおりに表現することはできない。彼は英雄のようであったがそれ以
上のものであった。彼の英雄主義には勇壮さを超越する何かがあった。弱いもの、助けを要す
るものへの素晴らしい礼儀とうるわしく優しい恵みがあった。恐らく私たちは「礼節(騎士の精
神)」と言う語以上に、このイエスの心の豊かな特性をカバーするもっとよい語を見いだすこと
はできないであろう。それは騎士道という語に由来している。ことばというものはまさにその響
きに魔法がある。それは、私たちの眼前に広がる、中世時代の弱い者を守り、正義を保ち、汚
点の無い人生を生きる、華麗な英雄の群れを呼び出す。正義が失せ正しさが力で追放される
世に、騎士が立ちあがって弱い者を守り正義に勝利をもたらす。女は殊に彼の気配りの対象
となる。彼女の弱さによって、彼女は彼の心の深みに訴える。未開地の野蛮な力の中での愛
情に、彼女と彼女同様に全てのほかの人々を守ることによって、その騎士は歴史上決して色
あせることのない華麗な騎士道を彼自身のために獲得するのである。ナザレのイエスは騎士
であった。その足で彼は前進した。比類のない男の甲冑を身につけ、弱い者を庇護し、正義を
擁護し、世を魅了し世に勝つ生涯を生きた。その勇敢さ、大胆さによって世がより良くなる騎士
精神を有する偉大な仲間の頭として、この騎士中の騎士、この騎士的なガリラヤの人は立って
いる。
  彼の恵みに満ちた勇気はまずヨルダン川で洗礼を受けられたときに示された。ヨハネはイエ
スに洗礼を施すことを望まなかった。イエスには洗礼を受けなければならない理由がなかった
からであった。彼の心は罪によるしみはなく、ヨハネの洗礼は悔い改めの洗礼であったから。
それ故、洗礼を受けることは、誤解を招き、誤った概念を与えかねなかった。イエスの洗礼と
いう謙りは多くの危険性をはらんでいたが、彼の偉大な魂は人間と同じ種でありこの国人であ
るという確認を勝ち取るためにそれに同意したのであった。人々は罪人であり、彼らは悔い改
めを要していて、荒野で彼らを呼んでいる預言者の洗礼を正に必要としていたのであった。け
れどもこの若いナザレの大工は彼自身の魂のためにはそれを必要としていなかったが、大胆
に進み出て言った。「私も洗礼を必要としている。」彼はヨハネの改革運動に、彼自身が一致し
ていることを強く望んだ。罪の重荷を心に持ち、救いを求めて日夜叫んでいるこれらの人々と、
彼自身を結びつけることは、普通の人々を罪から引き上げるための出発点であった。彼はそ
の最初に騎士であったから、最後までそうであったことだろう。
 マルコは彼の魂が、いかに病む人々のために努力したか記している。肉体の病気は彼を刺
し彼の心を苦しめた。一世紀においては、病気は私たちの時代に受け取られるような関心をも
って受け取られなかった。貧しい人々は病んでも介護されず、死ぬまで放置されることが当た
り前であった。私たちの時代のような病院はなく、苦痛を和らげ、死の時の恐怖を打ち消すた
めに人生を捧げる熱心な慈善団体の男女はいなかった。正気でない人々が収容され、介護さ
れることはなかった。悪霊つきだと思われた人々は、町から追い出され共同墓地や荒れ野をさ
まよい歩いた。彼らの泣き叫ぶ声はすべての人々の恐怖であった。イエスは彼らを憐れんだ。
彼らに助けの手をさしのべるために彼らのところに行った人はいなかった。四福音書の記者た
ちは悪霊の影響下にあった人々がいやされたこと繰り返し述べることをなんと喜んでいること
であろう。パレスチナで狂人よりも恐れられた人がいたが、それはらい病人であった。しかしら
い病人でさえイエスの心の届かないところにはいなかった。人々は彼に背を向けた。律法に
は、らい病人はほかのすべて人々から一定の距離を保たなければならないと記されていた。
彼と他の人々との間には深淵が置かれていたが、このナザレの騎士は裂け目を渡り、らい病
人にやさしく語りかけただけでなく彼らの上に手を置いたことはパレスチナのすべての人々を
驚愕させた。
 彼の心はなおざりにされた寂しい人々に対して常に開かれていた。ガリラヤとユダヤの間
に、ユダヤ人と異邦人との半々の混血の人々の種族が住んでいた。彼らの宗教も、その血が
示していると同様に、初期の高い理想から退化していた。退化と変節、彼らは自分の国の高い
伝統に心が真実であるヘブル人たちからひどく嫌われていた。これらの人々が居住している土
地を通り過ぎるのは、どうしても仕方のない場合に限られていた。イエスはサマリヤを通り過ぎ
たのみでなく、そこに滞在し、ユダヤやガリラヤの人々にしたのと同じようにそこの人々に教え
た。彼らは追放された人々であったが、同じ人間であった。もし彼らが保護者や友人を持たな
かったなら、彼はいかなる程度においてでも彼らと親しくなることはできなかったであろう。彼ら
の一部はどのようにイエスを受け入れるべきか知らなかった。しかしそのような田舎の人の行
動もイエスの彼らに対する興味を損なうことはなかった。かっとなる性格の弟子たちはサマリヤ
の村を焼き払いたいと思ったが、ガリラヤの騎士は滅ぼすためではなく救うためにきたのであ
った。彼の身に起こる恐ろしい刑罰を受けることは誰にもできなかったが、彼はそれを受けら
れた。人々は歯ぎしりして「お前はサマリヤ人だ」と非難した。それは彼らにいうことのできるも
っとも傷つけることばであった。しかし彼は自分の道からそれることはなかった。彼はサマリヤ
人のらい病人をほかの人々と同じように癒した。そして彼は彼の善の理想を一人の人物によ
って描いたとき、彼はサマリヤ人の姿と装いでそれを描いた。イエスが語られたたとえ話の中
で世界中の人々の心をもっとも感動させるものは、「善いサマリヤ人」のたとえである。たとえ
話の創作は崇高な礼節の行為である。
 ガリラヤとユダヤにも捨てられた民たちがいた。組織的な宗教から引き離された人々いた。
彼らは会堂に入ることも習慣を守ることからも無視された。そして敬虔だと呼ばれる人々から
「罪人」というレッテルを貼られた。彼らが全部不道徳な浮浪者であるわけではなく、ラビたちや
彼らの教えに興味をもたない、教会の儀式を好まないだけの男女であった。律法学者たちは
彼らになんの関心も抱かなかった。彼らは世から裏切り者、背教者と見なされ、すべてのまと
もな人々は彼らから離れていなければならないのが当然であるとしていた。これらの人々の多
くはよいことを望んでいたし、普通の社会の暖かい感触に深い飢えかわきを持っていた。しか
し彼らは追放された者たちであった。教会は彼らを破門した。彼らは危険と見なされた。彼らの
行動は風紀を乱し、彼らの考えは毒であった。あの人は神を恐れているという自分の世評を気
にする人は、決して彼らの仲間にはならなかった。パレスチナ中に彼らの誰かと食事をともに
して自分の名声に対するリスクを負う律法学者はだれもいなかった。しかしイエスは上流社会
が嫌悪するからといって思いとどまるような人ではなかった。いわゆる罪人たちは人間であっ
て、軽蔑されるべきではない神の子どもたちであった。彼らの間に入っていく宗教指導者がだ
れもいないなら、彼は出かけていった。彼はそうしたのであった。彼は自分の名声を求めなか
った。彼は罪人たちと座り、ともに食事をした。パリサイ人たちはそれを決して許すことができ
なかった。彼の教会を破門された大衆への親切は、彼の十字架刑の日を早めた。
 いわゆる罪人たちの間でも、他のすべての人々よりさらに低くされている人々がいた。彼らは
取税人として知られていた。彼らはユダヤ人から税を集めローマに送ることを仕事としている
収税人たちであった。取税人たちは決して評判のよい人々ではなかった。もし彼がお金を集め
他国その暴君の元にそれを送ったなら、単に評判が悪くなるだけでなく呪われたのであった。
パレスチナの取税人は、現代社会では比べるものがない激しい憎悪をもって嫌われた。取税
人は野良犬よりも低く数えられた。ユダヤ教会はその財務に彼らが寄与しても彼らを許すこと
は決してなかった。しかしイエスはこれらの人々のうちに友をつくった。彼らには友がなく、多く
の場合その品性は芳しくなかった。しかしイエスは癒し主であり、すべての実際の医者たちの
ように、ひどく病む人々に殊に関心を抱いた。カペナウムのような大都会で彼らの家に行って
彼らと共に食したのみでなく、祭司の町エリコの名の知れた取税人のリーダーと会食した。彼
らと共に食事をしたのみでなく、彼のもっとも身近な友であり人目につく働き人である十二人を
選んだとき、その一人は取税人であった。そして彼の礼節の頂点に印を押すかのように、彼は
神殿で祈る二人の人物を描いた・・その一人はパリサイ人もう一人は取税人であった。パリサ
イ人たちが「あいつを十字架に架けろ!」と叫んだのをいぶかる事はない。騎士が弱いものた
ちの周りに彼の庇護を投げかけるのは無茶なことだろうか?
 すべての真の騎士の場合と同様に、イエスの礼節がもっともうるわしく表されたのは彼の女
への態度においてであった。東洋においては女が公正に取り扱われたことはなかった。女は
常に男より下位のものと見なされた。ときには玩具であり、もっともしばしば仕事をするひとで
あって、けものよりちょっと高いが男よりはるかに下であるとされた。例えばインドのような国に
おける女の身分の低さは、それを観察するすべての旅行者の衝撃と困惑である。ヒンズー教
の女の扱いは西欧の人々が考えたこともないほど暗黒に満ち悲惨である。インドの問題をよく
理解した人々は、女が正しい地位を与えられないならインドには望みがないと主張している。
そのような事実をこころに留めるとき、私たちは遠い東洋の宗教に燃えるあこがれを抱くアメリ
カ人の女たちが、いかに奇怪な愚行者であり、笑わざるを得ない無知者であるか分かる。これ
らの女たちはキリスト教に満足できず、イエスの教えになにか飽きて、いろいろなヒンズー教の
教師のもとに座るのであるが、彼らは自分の国では権威ある者とされないにもかかわらず、ア
メリカにやってきて東洋の宗教の美しい理想を吹聴するのである。これらの教師たちは極めて
あいまいな思想と、こころに破壊をもたらすつかみ所のない非常に漠然とした概念に関する詩
的なフレーズを多く語るが、正当なヒンズー主義の教えられるところあるいはヒンズー社会が
打ち立てられているところでは女の地位について語る何ものをも持っていないのである。この
これらの東洋の教師たちに従うアメリカの女たちの足跡は茶番であり痛ましい。そしてそれは
西洋人が、インドが女の地位と権利をどうみなしているかを知る最も速い方法である。だれか
博識な人が、イエスを離れてほかの教師のところにいくとは驚くべきことである。しかしだれか
女が、正気でかつて存在したいかなる人よりも彼女によいことをなした人に背を向けるとはそ
の10倍も仰天すべきことである。その生涯を女の保護と名誉のために生きるリスクを負った
すべての騎士たちも、このガリラヤの恵み深く雄々しい人物の靴のひもを解くにも値しないの
である。いかに勇敢に、彼は離婚の問題について語ったことであろうか。パレスチナにおける
女の地位は、周囲の国々の女たちにはまさっていたが、そのパレスチナにおいてさえ男の意
のままであった。男は彼の妻をいつでも離婚することができ、律法の要求は、ただかれがこの
女がかつて自分の妻であったが、今、もはや彼の妻ではないことを宣言する文書を書くだけで
あった。
 しかしそのような自由裁量の危険な権利に対して、騎士の精神のイエスは抵抗した。男はモ
ーセによってそのような自由を授けられたが、その権利は未開人に許されるものであって、モ
ーセは直ちにそれを採用したのではない。モーセやほかの法律制定者がなんといったり宣言
したりしたにせよ、神の律法は男がその女を飽きたからといってただちに彼女を捨てる権利は
ないとした。結婚は神によって定められた。それはまさに人間の自然の構造と形に関わってい
る。その結合はモーセや他の誰かによって解かれるものではない。神は一人の男と一人の女
がともに生き、死が彼らを分かつまでともに生きることを意図された。世が始まって以来、女の
権利についてこれ以上のことばは語られたことがなかった。現在においても、男の心はこれら
を聞いて守ることに対してあまりにも固く、その結果堕落し、心を痛み、惨めになる。世の騒々
しい声にはるかに勝り、イエスは権威ある鮮明な響きをもって男たちにいう。「あなたがたは女
を使役しうち捨てる権利はもっていない。男と女はお互いに相手に属する、結婚した後は、二
人は一つの体になるのだ。」
 パレスチナには現在のアメリカにおけると同様に品位を落とした女たちがたくさんいた。女の
立場は男よりも弱く様々の社会的あるいは経済的なシステムの不正によりはじめに困難に陥
る。私たちの現代社会では、女の居場所が1ダースもつくられたがそれらのひとつは昔の世に
もあった。まっとうな手段で生活の糧を稼ぐことができないとき、女は品位の低い男の犠牲にな
る。それから男たちは、現在もある男たちがそうであるように、道徳に関するダブルスタンダー
ドを主張する、・・ひとつは男の基準、もう一つは女の基準であって、第二の基準は第一の基準
よりはるかに高い基準なのである。ある日これらの品位を落とした婦人たちのひとりが捕らえ
られ、イエスが何を言いどうするか知ろうとする多数の男たちにイエスのもとに引き立てられて
きた。パレスチナの律法に従えば、姦淫の罪で有罪となった女は石打ちによる死刑であった。
男たちが告訴したとき、イエスは一瞬の間をおいて言った、「あなたがたのうちで同様に罪を犯
したことのない男がまず石をなげなさい。」石はひとつも取り上げられなかった。ひとことも発す
る人はいなかった。群衆の周りにいた人々はひとりまたひとりといなくなった。やがて彼らは全
員いってしまった。全員野良犬のようにこそこそといなくなったのであった。女は刑を宣告され
ず自由にされた。神の永遠の正義の標準では、女の罪は男の罪よりも重くはなかったのであ
る。ここに女の権利を擁護することに臆することのない教師がいるが、彼はそうすることによっ
て彼は悪辣なこころの人々にひどく憎まれることになるのである。町の女たちに対しても悔い
改めの特権は否定されない。なぜなら彼女たちは深く悔い改めることができ、父の家へ戻る道
を見いだすことを願っているからである。道徳に関する律法を破っていたサマリヤに住んでい
た女でさえ、心と良心と魂を持ち、偉大な教師の手に注意深く導かれる価値があるのである。
ヤコブの井戸の傍らでなされた会話は・・なんと大胆なものであったことか!ここに私たちは真
の騎士である騎士を見る。中世の騎士たちは冒険を求めて進んでいったが、私たちのパレス
チナの騎士は見捨てられた人、友のない人を探して進んでいった。フランスとドイツの騎士は
金属の甲冑を身につけたが、ナザレの騎士は白い罪のない、損なわれていない心以外の何
の防具も身につけていなかった。彼は癒しの巧者であって兵士ではなかった。彼は友と兄弟と
して優れた能力を有したが、自分の前に置かれた塵の中の敵対者と戦をする古強者ではなか
った。彼は中世の騎士たちの恵みと徳のすべてを有し、なんの傷も欠点もなかった。彼は心細
やかで情熱があり、もっとも勇敢な騎士たちの勇気を持ち、歴史上類のない甘い魅力と神の
優しさとを持っていた。あまたの騎士たちが悩み、権利の維持によって守られていたが、錆び
のない人生を生きることに失敗した。騎士たちの王子、すべての礼節の主であるこの王は、ど
の分野においても勝利し、しみなく成功した。
 彼は人々を好んだ。彼は人間というものに興味を持った。彼は群衆を愛した。庶民は彼の心
をひいた。大衆は彼の心の親しみであった。無知な人々は彼を引きつけた。困惑した人々、誤
った人々は彼にとって魅力であった。邪悪な人々にも彼の心には席があった。彼は人生の悲
惨さを感ぜずに大きな群衆を見ていられなかった。そして叫んだ。「わたしのところにきなさい。
わたしのところに来なさい。」彼の招待は、常に誰に対しても開かれていた。それらはすべてを
覆うに十分であった。彼は常に言った。捨てられる人は誰もいない。
 イエスに私たちは神のこころの顕現を見る。ナザレの人の礼節に富む説教に、私は永遠の
礼節を語り続ける。イエスの姿勢、イエスの礼節の気質には神の騎士性がある。弱い者を守
り、正義を擁護し、錆びない人生を生きることは、永遠からのイエスの業であった。彼の心は絶
えず弱い者、助けのない者、友のない者に向かった。もしあなたが自分は弱いと意識するな
ら、彼に向かって叫び出しなさい。なぜなら彼はそのような叫びにただちに答えてくださるから。
もしあなたがしばしば完全に助けがなく、わびしく、うち捨てられたものと感じても、決して失望し
てはならない。なぜならイエスの心はこの全世界中にそしてその背後にあって鼓動し、神が神
であられる期間のように長く、あなたを放っておかれることは決してないからである。あなたが
落ち込んでいる瞬間、世が冷たく残酷に見える日々に、騎士の精神に富む神を思いなさい。そ
の心は弱い者に同情し、救助を必要とするすべての魂にあうために急いで喜んでやって来ら
れるから。




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