第九章 イエスの狭さ

 「その道は狭い。」・・・マタイ 7:14

 イエスの狭さについて考えよう。「狭さ」ということばは、私たち現今の説教においては軽んじ
られており、誰かにとってその評判を悪くするものであることを私は知っている。私たちはそれ
が皮肉や非難の意味で使われるのをしょっちゅう聞いているし、時には私たち自身もそう使用
する。私たちはだれかのある一方の側の性質が萎え、凋んでいるという意味で「ああ。そうだ。
彼は狭い。」と言う。彼の心が十分に円満でないという意味である。彼の情緒は十分に成長し
ていない。彼は小さく発育不良の人物である。不完全な教育、あるいは狭い環境にその形を圧
迫されることによって変形させられている。ガリラヤの人を狭いというのはそのような意味にお
いてではない。しかし、この異彩を放つイエスの肖像を「狭い」という語以上によく表現できるど
んなことばがあるだろうか?彼は自分に対し限られた境界を定め、狭い限界の中に自分を閉
じこめた。この意味で彼は狭いのであった。
 彼の業全部がなされた範囲は、なんと狭かったことであろうか!彼はコネチカット州よりも小
さな国であるパレスチナの中でその一生を終えた。それは輝いた国ではなく、力あるローマの
小さな一地方の属国にすぎなかった。それは世の目にとまる姿はなく、この世の首都の貴族た
ち、貴婦人たちはそれについて何も知らず全く関心がなかった。それは狭い領域のへんぴな
田舎の国であって世に知られるにはほど遠かったが、しかし、栄光の王子は地上のこの小さな
一角にご自分を制限された。彼は彼の時以前に数多くの著名な教師たちがしたのと同様に世
界を巡り歩いてもよかった。彼はアテネで教え、永遠の町の通りで声をあげることもできた。彼
は多くの土地にその影響をおよぼすことのできる広い範囲の人々に彼のメッセージを与えるこ
とができた。しかし彼は当時のガリラヤの町々にご自身を与え、ユダヤの村々に彼の力を注ぐ
ために、家にとどまることを選択した。30年間彼はみすぼらしい質素な大工の店にとどまっ
た。そして彼が彼の頭脳と心の充ち満ちた富を注ぎだしたのは、地上には多くの宮殿があるの
に、ただ大工の店においてであった。
 彼の活動範囲がそのように狭かったのであるから、同様に彼のみ業の性格も狭かった。彼
はただこの一事をすることをつとめた。パレスチナの善い人々がなしえる一千もの善いことが
存在したが、彼はその九百九十九を捨てて放置し、天の父が彼になすよう与えられたと信じる
ただ一つのことをなすことにご自分を制限された。人々はそのような狭さを理解できなかった。
彼らは常に彼がもっと広い軌道を回るように、より多くの興奮をつくりだすなにかをするようにと
せきたてた。イエスが語っておられるとき一人の人物が割って入ってこう言った。「私の兄弟に
遺産を私と分けるように言って下さい。」然し、イエスの答えは、「それは私の仕事ではない。・・
来てよく聞きなさい。そうすればわたくしは神が私になすように指定された業をあなたがたのた
めにするであろう。」割って入った人物がこのナザレの預言者になすように依頼したことは大切
な仕事であった。不正が犯されていたのである。悪を除くことはこの世の高貴なことではない
か?誤りは正されなければならないし、不義は義の道を与えられなければならない。その人物
がやって欲しいと望んだことは正しいことであったが、それはキリストの仕事ではなかった。そ
してその故に彼はそれをしなかった。すべてのことをできる人はいないし、人はすべてのことを
試みるべきではない。なすべき一千もの事柄があるが、しかしその全部を熱心に高貴に成し
遂げることのできる人はいない。イエスは自分の為すべきことに制限を設けられ、彼にその制
限を越えるよう説得できた人はいなかった。ある日彼の兄弟たちが、彼がエルサレムに行っ
て、そこの著名人たちに評価されるようにすることを望んだことがあったが、彼は彼らの勧告を
拒絶し、彼らにこう言った。あなたがたは自分の好きな時に行けるかも知れないが、わたしは
あなたがたとは違っていると。彼は自分の行くべき時がくるまで、そして彼の業が彼に行くこと
を強いるまで行くことができなかった。彼は彼の時がくるまで行くことができなかった。その時が
やってきた時彼は自分の顔をエルサレムにしっかり向けて行かれた。道々人々は彼を他にむ
けさせようとしたが、彼がエルサレムに行かなければならないということから彼の気をそらすこ
とはできなかった。彼には受けなければならないバプテスマがあった。両面から圧迫され、彼
の業が完成するまで息抜きはできないのであった。彼は常に狭い道の上にその足で立ってい
る人のように語った。彼を取り巻いていた人々は皆十分自由に楽しんでいた。彼らはそこかし
こ歩き回り、彼らが望むところどこへでも行ったが、イエスはそうではなかった。彼は自らの力
を失ってはならなかった。彼はほんの一時も浪費できなかったのである。それは常に「私は・・
しなければならない。」、「私は・・しなければならない。」、「私は・・しなければならない。」であっ
た。彼の左右には広い道がたくさんあり、それらの道には幾千の同国人が旅をしていたが、彼
は彼らと同道することはできなかった。彼が狭い道を歩んだのは、それのみが世を生かし救う
ための彼を栄光の生涯へと導くものであったからであった。彼が人々に一方は狭く一方は広い
二つの道について語った時、彼は自分自身の経験を私たちに語っていたのである。彼は広い
もうひとつの道を引き合いに出しながら狭い道を選びなさいと人々に強調し、これだけを述べ
ている、「私に倣いなさい。」 知性の分野でも彼は狭い道を選んだ。
現今においては、誰かが一つの宗教あるいはある特定の信条に己を閉じこめることは賢いこ
とではないという考えが優勢である。あなたの信仰をなにか一つの理念や真理の筒に固定す
ることは最善でなく、あなたの進む道で遭遇する全ての理想を受け入れることが最善であると
人は言う。あなたがたの心の戸や窓を広く開け、それらを通して心が捉えることのできることの
できるすべてのことに風通しをよくしなさい。そして神、魂、義務、摂理の固定概念にとらわれな
いようにしなさい。なぜならそのようにしないとあなた方自身を狭く完全に頑固者にしてしまうだ
ろうからと。このような種類の哲学にナザレのイエスは共感されなかった。彼にとって神につい
てのある概念は真理であって他は偽りであった。人に関するある評価は正しく他は誤っている
とした。ある義務の標準を高く掲げ他を下位に分類した。彼の心と魂と力のすべてを傾けて真
理を固くとり、偽りと戦った。イエスは明確な見解を保つこと、それらを迫力と強調を持って表現
することに決してひるまなかった。彼は狭量だとかへんくつだと言われることを恐れなかった。
彼は偽りと真実を明確に区別した。そして前者を踏みつけにし、後者を大胆に褒め称えること
を恥じなかった。それが誰のものであっても意に介せず彼は誤りを打った。誤った考えはたと
えどんなに多くの人がそれを受け入れていても拒絶した。現代の多くの社会において彼は狭量
な人物であると数えられている。彼は一切妥協しなかったが故に、彼は自説を曲げなかったが
故に、彼の心が真理であり善であると知ったものごとは不屈の忍耐をもってそれを保持した。
もし積極的な意味で自説を譲らないということであるなら、彼は誰を連れてきても彼の足下にも
及ばないもっとも自説を譲らない教師であった。彼は他の指導者たち教師たちを非難の大きな
ほうきを用いてその道から掃きだした。「他の人々は」、「あなた方にあれこれ教えたかも知れ
ない。然し私はあなたがたに告げる。」と彼は言った。聴衆は、彼らの目を上げて、彼らはイエ
スが自分の位置をモーセよりも預言者たちよりも高いところにおいたのを見て驚いた。彼は従
う人々が、自分の気まぐれや空想に、それがなんであれ同意しつつ考えることを通して、彼ら
の意志を逡巡させることを許さなかった。代わりに彼は日々彼らに彼らの魂を獲得したり逆に
失ったりすることに関する確かな定義と積極的な概念と原理を教えた。 彼は真理の証しに専
念するために来た。そしてその故に彼は自分の心の内に偽りを置く場所を与えるほどの広さ
は持たなかった。
 この同じ狭さは彼が認可する範囲の限界にも再び顕れる。彼が賞賛することのできるものと
したものと彼が非難すべきものと決めつけたものとがあった。イエスが賞賛したある人々がい
た一方で、燃える叱責以外何の役にも値しない人々がいた。彼はすべての人に振りまく笑顔
は持ち合わせていなかった。彼は人々を全部同一のグループとはしなかった。彼は明確に区
分し、他の人々にも同じようにするようにと教えた。人々を全部ひとまとめにする弱く感傷的な
方法があり、人は全部実質的に同様であって、誰かが他の人すべてにそんなに優っていること
などないことを明らかにしようとする。イエスの評価は厳格な識別の産物であった。彼は人々の
外面を通過しその心を見透かす目を持っていた。そして恐れずに彼らを判定したために彼ら
は恐れて縮み上がった。神殿における商売を営んでいた強盗集団は、困惑しうろたえながら
追い出された。エルサレムで最も有力な人々のうちのある者たちに彼は言った、「あなたがた
は愚かで盲目の人々だ、あなたがたは蛇だ、あなたがたはまむしだ。」と。ある人々と他の
人々とのあいだには大きな淵が定められてあった。彼はすべての人を同一に扱って罪の悪さ
というものを小さくしたりしなかった。私たちのうちのあるものは正直であるか否か、不道徳に
生きてきたか否かについて差をつけない。しかし、イエスはそれに差をおいた。いやしく下劣な
悪漢どもは、イエスの前でその頭を上げているわけにはいかなかった。イエスはその判断が大
変狭く、悪しき人々を彼らがよいものであると感じさせることを拒否した。生活と家庭に関する
判断において彼は常に狭い道を追い求めた。
 私たちが不明のまま残しておくであろうケースである多くのものごとに、明確な識別を描き、
境界を置くことが彼の習慣であった。イエスの人生における注目すべきことのひとつは喜びで
ある。彼は悲しみの人として知られているが、しかし一方で、彼の喜びは計り知れなかった。そ
れは彼が弟子たちに残すことができた多くのことがらの一つであった。彼はどうして狭い限界
に歩みつつ幸福でありえたのだろうか?人は、何をなしつつあるか知らない十代後半か二十
代前半ほど、非常に惨めな時期があるだろうか?可能性が未知である大きく広い世界が彼の
前に広がっている。活力と野心に満ちており、百の異なるものごとをなす可能性のある若い人
が惨めになっている。彼が開くことのできる百の戸があるのに、彼はどの戸に挑戦すべきかし
らない。彼の力を費やすべき百の分野がある。しかし彼はどの分野に踏み入るべきか決めら
れない。彼がきっと勝利に導かれるであろうと思われる百の事業がある。しかし彼はどの分野
がもっとも彼のリーダーシップに値するか決められない。すべての人々の中でそのような若者
はもっともみじめである。世界中をうろつきまわっても幸せにはなれない。人が「この中に私の
働く目的がある」と言えるある特別な仕事を選び取ったときにのみ、真の人生が始まり、その
人の心は歌う術を学ぶのである。世の働きは山のように横たわっており、そこには落胆と希望
の喪失のみがある。人が「これが私の人生を献げるべきことである」と言える特定の、小さな仕
事を手にしたとき、陰は消え失せ、人生は生きる価値を持つ。それは人生を狭い道に導くので
ある。
 イエスの仕事は限定されていた。十二歳のときに、彼は自らを投ずべき仕事を知っていた。
彼が何か他のことをするように誘い込まれることを許した日は決してなかった。正にここが私た
ちを失敗に陥らせるところであって、この点に私たちの魂の落ち着きを失わせる重大な原因の
根元があることを見いだすべきである。私たちがなにかある仕事を始めるとすぐ人々は「なぜ
あなたはこれをしないのか」という。「ここに来てこれをしなさい!」と。そして私たちは自分たち
の愚かさに気付く前に、神が私たちに試みるようにとは決して意図されなかったものごとに挑
戦することによって、力を失ってしまっているのである。私たちはいろいろな理由付けをしようと
する。そして私たちが与えた理由づけによってちょっぴり安心するのである。自分の前を通り過
ぎるすべての善いことに寄与する義務は誰も負っていない。神がよしと見られる・・喜んで与え
る人となるのは私たちの善行に一定の制限をおいたときのみである。自分の働きを喜び歌う
人物を見いだしたいと思うなら、小さな社会の中を探しなさい。
 イエスは喜んでいるだけでなく力があった。彼はただひとつの場所にとどまり、それが完全に
入ってしまうまで同じ釘の頭を打つことによって強い感銘を与えたのであった。地上を歩まれた
とき彼はたとえをもって語られた。彼らはもっと耳を傾けるべきであったがほとんど心にとまら
なかった。パレスチナにとどまることにより、彼の心は二三の選ばれた人の心と接触した。彼
は指導者たちが仰天し、彼が国をひっくり返してしまうのではないかと恐れたほどにその影響
力は増大した。彼の最も近くにいた男たちは非常に情熱的に彼を愛するようになっていたので
彼らは彼と一緒に死ぬ心備えがあった。彼は彼自身を制限することによって、自分自身にこの
ような力をつけた。自分自身を制限することについては、人間は川に似ている。ひとつの川は
堤防の助けによって川たり得る。川と沼地の違いは、川は堤防をもっているが沼地にはそれ
がないことである。川から堤防を取り去ってご覧なさい。そうすればその川は沼地に変わる。
山々がそれに押し迫ると、多くの川は一層力強く一層威風堂々たるものとなる。平地に拡散す
るとそれは浅く、ぬかるみ、軟弱なものとなる。しかし、山々がそれに押し迫るとき、その川幅
は狭くなり、集まった水がそこを流れる。その川は新たな深みと強さと流れを持ち、大きな水車
を回し、商船を海へと運ぶ力を帯びるのである。「私が苦しみの中にいたとき、あなたは私を寛
くしてくださいました。」とヘブルの詩人は叫んだ。そしてそれは多くの人々が同じことをいうこと
ができる。なにかの悲しみ、逆境、あるいは新たな責任によって私たちの生活がより狭い通路
に押し込まれるとき、いままで決して得たことのない内なる心の富と利益をもたらすものであ
る。
 私たちの主はご自分を制限されることによって勝利者となられた。彼は成功した。成功とはな
にか?私たちが造られた目的を果たすことである。すべての経験の中で最も悲しむべきこと
は、最もなし甲斐のあるものを実行しないことである。イエスは唯一つのことをなそうとつとめ
た。それは父が彼になすようにと与えた仕事を完成することであった。「彼の生涯の終わりに、
彼の父の顔を見て彼は言った。「私はあなたが私になすようにあたえた仕事を完成しました。」
それが正に父が子に栄光をお与えになった瞬間であった。イエスの地上の生涯はたった33年
という短い年をカバーしただけであったが、かつて地上で成し遂げられた最大の業績を残され
た。だれかが唯一事のみをなすことに務めるならば、ほんの僅かの期間に大きな仕事をなしと
げられものである。私たちが人生から昼が無くなったかのように絶望の嘆きをするのは、愚か
な嘆きをしていることになる。人には長く生きようとすることをではなく、仕事を完成するようにさ
せなさい。もし彼がそれを完成できたなら、その結果彼が壮年のうちに死んだとしても嘆く必要
があるだろうか? 私たちは大きな原理に触れている、・・・すべての素晴らしい絵画の根底に
横たわっている原理である。素晴らしいと呼ばれる絵画は、それらが人々を感心させる狭い限
界に起因している。それらはみな魂を厳格な弟子として従属させ、破ってはならない束縛を強
調する。音楽において歌い手にはゆとりが残されていない。彼はすでに作られた音楽を、もう
少し高い音にも、もうちょっと低い音にもできない。音楽においては全てが明確、正確、厳格で
あって、すべての調べが作曲家によって指定されたポイントで正確にとられなければならない。
さもないとその音楽は魂を高揚、陶酔させる言いようのない力をもつことができないからであ
る。画家は彼の絵筆をこの色あの色と好むままに浸すことはできない。不注意に大量に絵の
具をつけたり少なすぎたりさせたなら、それは彼のキャンバスを色あせさせる。彼は法則に拘
束されているのであって、絵画に密着することなしにわずかでも粗雑にすることはできないので
ある。それはかつて狭い道を行った画家たちの永遠に歩まなければならない道である。詩を書
くことは散文を書くことよりもなぜそんなに難しいのであろうか?それは魂を主題とする詩には
より厳しい束縛があるからである。詩人は散文を書く人々の知らない弟子としての服従をしな
ければならない。アクセント、リズム、メロディに関するルールは変えることができないので、た
だ天才のみがそれら全てに耐えることができる。詩人たちは狭い道を歩む。
 しかしすべての素晴らしい芸術の中で最も困難なものは、神が不滅の命を与えられた高い芸
術がそれである。歌うことは容易であり、絵を描くこともこの正確な、魂の求める生きた芸術と
比較される。人は彼の喜びあるいは感じること、彼の望むことあるいは彼が傾倒する行いを知
らない。彼は狭い道を歩まなければならなかった。イエスはそれを歩まれた。そしてどこにおい
ても彼に従うよう人々を呼んでいる。彼は自分の要求することに対して厳格であった。彼は自
分の命令を変えることをされなかった。彼は自分が課した限界には独裁的であった。彼は言
う、「私のところに来なさい!」私たちが、他の人のところに行ってはいけませんか?と問う。す
ると彼の答えは、他には誰もいない。私に来なさい! である。私たちは、彼が「私についてき
なさい!」と言うとき、私たちは怖じ気づいて、「これは本当に必要なのだろうか、もっと容易な
道を選択できないのだろうか?」と問う。彼の答えはこれである。「私に従え。」「誰でも自分の
十字架を負ってわたしについてこない者は、わたしの弟子にはなれない。そしてわたしを通さ
ずに父のもとに至るものはいない。」彼はいう。「わたしの内に住みなさい!」 そして私たちは
ためらいいぶかる。結局そんなに狭く制限された範囲に私たちを閉じこめることを要求されて
いるのだと。しかし彼はあの特異な、自説を譲らない、抵抗しがたい、昔ガリラヤで人々の心を
沸き立たせたアクセントをもって私たちに言う。「誠にわたしはあなたがたに言っておく。わたし
の内に住まないものは、自分のうちにいのちを持っていない。」つまり、これがイエスの狭さで
あった。
 彼は目的のために狭かった。彼は己を制限し、神の栄光であるご自分を虚しくして人間の姿
をとられた。大工の店からゴルゴタまで続いた狭い道を歩まれたが、すべては私たちひとりび
とりがいのちを得、それをさらに豊かに得るための、私たちに対する彼の大いなる愛の故であ
った。





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