第三章  出典(資料・情報源)

 「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが
信じるため・・である。」・・・ヨハネ 20:31

 イエスの品性以上に興味深い事柄を、私たちはどこで見つけることができるであろうか。教
養を僅かでも進歩させる望みのあるもの、あるいは奥深く悠久の重要な物事に対する理解を
少しでも深めるものはすべての人にとって魅力がある。伝記の断片であってもなんと素晴らし
い物語であろうか。彼の生涯はなんと興奮を呼ぶことか。彼の死はなんと悲しいことか!ある
人がキリスト者であってもなくても、もし偏見によって完全に頑なになっていないならば、イエス
の生涯に興味を持つのである。ソクラテスの死に心を動かされない知的な男女はいない。彼が
死んだ牢獄は歴史上の聖なる場所のひとつである。人は哀悼の心と思いをながく心にとどめ、
彼らは死の杯を飲み干すギリシャの老哲学者の前に畏れをもって立つ。しかし、イエスの死は
ソクラテスの死にまさる悲劇である。ジュリアス・シーザーの死に興味を持たない人がいるだろ
うか?マーク・アントニーの弁論が血を沸き立たせるのを止めるのはいつのことであろうか?
人は、ローマの議会で行われた偉大な悲劇の前に畏れを憶え、いつまでも立ちつづけるであ
ろう。しかし、イエスの死はシーザーの死よりもいっそう悲劇である。その上さらに、ナザレのイ
エスは千もの様々な影響力の出発点である。
 彼について何かを知らない人々にとっては、全世界の最後の1900年間は不可解なものとな
った。皆さんが、彼が誰であって、彼が何を語り、彼が何を成し遂げたか知らなかったら、彼の
面影の絵、彼の母の絵、彼の弟子たちの絵に満ちた世界中の大美術館をどうして理解できよ
うか。美術館を出て、図書館に足を踏み入れてみなさい。彼の生涯に通じていなかったら皆さ
んはどうして多くの歴史書を理解できるだろうか。なぜならどの書にも彼の名が満ちているか
ら。図書館を出て、人と物事の世界に入り、通りを歩いて見なさい。もし皆さんが、彼らが彼の
名を知ったことによってその心を前進させられた人々の何かを知らなかったら、聖パトリック寺
院、聖使徒ヨハネ寺院、そして遍く地上に散らばっている幾百の教会や宣教団体を皆さんは説
明できるであろうか。
 私たちはすべての人々が興味を示すに違いないテーマを持っている。イエスの生涯に関する
注意深い研究に着手するやいなや、私たちは驚きの連続に直面する。第一の驚きはこの人の
伝記が非常に狭い領域の中にあることである。もし皆さんがアブラハム・リンカーンについて研
究することを望むなら、皆さんは多数の書籍を参照しなければならない。ジョージ・ワシントンの
生涯を一冊の書にまとめることは容易ではない。ナポレオン、フレデリック大王、シーザーにつ
いて何百冊もの書が出版されている。しかしイエスの伝記は、6セントで買え、ポケットに入る1
冊の小さな本に限られている。彼の全生涯の物語がこの小さな書に含まれていることは驚きで
ある。イエスのおられた当時、ギリシャには多数の著作家がいたが誰一人イエスのことを書か
なかった。どの学者も彼を知るにはあまりにも遠かったのである。ギリシャの詩人や歴史家の
手によるイエスの伝記は、断片すら私たちのもとに伝わっていない。イエスがパレスチナで説
教されたとき、ローマには多くの著作家がいた。彼らは多くの異なった人物や多種多様なこと
について書いたが、私たちの知る限り、この人イエスの描写をしようとした人物は一人もいなか
った。イエスが生きておられた当時、多くの専門のユダヤ人著作家がいたが、これまでのとこ
ろ、イエスの生涯の物語を書く労をとった人を私たちは知らない。これこそ驚きに値する。もち
ろん、福音書、使徒行伝、書簡集および教典に偽典があるが、これらのどれひとつとして、あ
るいは全部を一緒に集めても、私たちの新約聖書に完結されている以外の、イエスの品性に
光を投ずるものはない。ナザレのイエスを積極的に知らしめる凡てのものは、新約聖書の中に
包含されているものに限られている。長年に渡り、人々は書物を漁り、古代都市の廃墟を発掘
し、荒野の砂をも探求したがこのお方の上に光を付け加えるものは1ページもない。イギリス人
が、中央エジプトの砂を掘って、2枚のパピルスを収集したが、それは1枚が2枚に引き裂かれ
たものだった。イエスの生涯になんらかの新しい光が投ぜられるかもしれないとの期待によっ
てキリスト教学者の世界に喜びの戦慄が走った。しかし、悲しいかな。この新しいパピルスには
語るべき新しいものは含まれていなかった。
 全物語は新約聖書の狭い領域の中に求められなければならない。しかし私たちはその限界
をもっと狭い領域に限定する。皆さんは使徒の働きの書から、イエスの略伝を書くことができる
かもしれないが、それは極めて貧弱な伝記であって、福音書の中に見いだされるものは実質
的には何も含まれていない。同様にあなたがたは、新約聖書の書簡集からイエスの生涯を拾
い上げることができるであろう。しかしその生涯は極めて不備であって、福音書中に既に語ら
れていることがらに付け加える重要なものはないであろう。それ故、そのように私たちの現在
の目的に拘わる物としては、私たちは新約聖書の諸巻以外のすべてを投げ出さざるをえな
い。イエスの品性を知ることができるすべてのものは四福音書から探し出すべきであると断言
できる。
 これまでこの地上に生を受けたもっとも偉大かつ重要な人物の生涯が、そのように小さく僅
かのページに書かれたとは驚きのひとつである。私たちがこれらの福音書を研究するとき、そ
れらが私たちに非常に僅かしか語っていないこともまた驚きである。しかし、それらは私たちに
イエスの生涯を完全に与えている。四福音書は私たちにイエスが何歳まで生きたか語っていな
い、しかし散在するヒントから、彼はおよそ33才まで生きられたと分かる。そのうちの30年間
はほんのひとことで通り過ぎている。それらは何の光も届かない闇の中に沈んでいる。福音書
の記者たちはイエスが11歳になるまでのことを取り扱おうとはしなかった。彼らは大部分を単
純にそのままにした。そればかりでなく、彼が公に宣教を行った3年間だけを取り扱うことを意
図した。彼らはイエスが何を行い何を語ったかについて、30日ないし35日間からだけを記録
した。つまり、彼らはイエスの公生涯である30分の1に注目し、30分の29は全くの空白であ
る。あるいは、他のことばに言い直すと、もし彼が33年間生きたとしても四福音書の著者たち
はほんの35日間だけを取り扱っているし、彼の地上生涯の300分の1に限った。つまり300
分の299は隠されたままである。これらの人々はイエスが語った多くの事柄を記録したが、彼
の話されたことの記録はほんの5時間で容易に語り尽くされる。彼らはイエスの行った多くのこ
とを語っているが、そのほとんど全部がたった1日に集中している。イエスが語り行ったことの
記録はそのようにわずかなのである。つまり、私たちが望むような情報は十分には得られない
ことは明白である。
 問題は、私たちは私たちの必要としている通りのものを得られるか?である。私たちが本当
に必要としているものと私たちが望むものとの間には広いギャップがあるのがつねであって、
このことにギャップがあっても驚くには値しない。 福音書は彼のことばだけを私たちに与える
ことを意図している。彼らはイエスの顔かたち、唇のふるえ目の光を私たちに提供していない。
私たちは彼の微笑みも眉をひそめた顔も見ることができない。顔の表情は一つの啓示である
が、その啓示は永遠に失われた。そればかりでなく、福音書の記者たちはかれの身振りさえも
私たちに与えようとしなかった。身振りは思想の通訳者である。語る人は彼の頭、両肩、両手
で語り、これらの身振りによって彼の思考は説明され、明確にされる。身振りは一つの啓示で
あるが、それは永遠に失われた啓示である。
 新約聖書はイエスの声を私たちに提供していない。声はすべてのうちの最もよい通訳者であ
る。声の抑揚やリズム、うながしや強勢によって、それは説明している事柄を明らかにし、描写
する。説教の調べは抑揚にあり、それによって語られることにより、ことばは新たな栄光を放つ
のである。イントネーションは啓示であるが、イエスに関しては、その啓示は永遠に失われた。
他にも私たちが利用することを拒否されている啓示がある。それは彼のため息と涙である。私
たちは、彼がエルサレムを見下ろし「ああ、エルサレム、エルサレム!」と嘆いたとき彼のほほ
を伝わった涙を見ることができない。もしも私たちが園での彼の泣かれた声を聞くことができた
ら、彼の心をより深く理解できたであろう。しかしこの啓示も永遠に私たちを拒否している。私
たちが取り扱うことができるものはことば意外には何もない。そしてことばというものはしばしば
不明確で幾通りにも解釈でき、心意を誤って伝える通訳者である。しかしことばは神が私たち
に与えたすべてである。それゆえ私たちはことばによることで満足しなければならない。ここに
私たちはもう一つの新たな驚きに遭遇する。それは私たちがイエスのことばを取り扱っていな
いことである。彼はアラム語で話されたが、福音書の中に残されたアラム語のことばは1ダー
スに満たない。彼は小さな少女に「タビタ クミ」と云われた。それは「娘よ。起きなさい」という
意味である。十字架上で彼は「エリ、エリ、レマ サバクタニ?」と云われたが、それは「私の
神、私の神、なぜあなたは私をお見捨てになったのですか?」という意味である。これらの特別
な場合のアラム語のみ私たちのために記録され、それらのわずかな例外以外は、彼の唇から
流れ出たすべてのことばは完全に失われた。
 私たちは英語の新約聖書を読んでいる。そのことばはイエスのことばではない。それらは翻
訳者たちのことばである。学者たちがギリシャ語本文を私たちのために翻訳する時選んだ語
である。しかしギリシャ語でさえもイエスが話されたことばではない。ギリシャ語のことばは翻訳
者がアラム語の意味を解釈して選んだ語である。ギリシャ語の福音書の前にアラム語の福音
書があったらしい。しかしアラム語の福音書はとっくの昔に塵灰に帰し、ギリシャ語の福音書も
また同様である。最初のギリシャ語写本はパピルスに書かれた。そしてパピルスは大変朽ち
やすいものであるから、それは恐らく100年も経たないうちに失われた。私たちは4世紀以前
の新約聖書の写本を持っていない。・・これもまた驚くべきことである。
 それでは、私たちが取り扱うことのできるこれらのことばを考えて見られよ。それらはかのナ
ザレ人の個人的な容貌について何かを私たちに語っているであろうか。何も語ってはいない。
福音書を書いた人々は、眼や髪の色、彼の顔の表情、あるいは彼の身の丈というイエスの外
見には何の興味も示さなかった。イエスの個人的な風貌について何かヒントを得ようと熱心で
ある人々によって新約聖書は隅から隅まで調べられたがそのようなヒントは出そうにもない。こ
こかしこの表現が捉えられ、少なくともイエスがどのような外見であったかについて示唆を与え
るものを得ようと比較するために、破砕機、絞り機にかけられた。しかしどんなに絞り出そうとさ
れても、福音書はこのもっとも興味深い質問に完全に沈黙したままである。
 それ故、私たちはまず私たちの心から彼の姿を全部消去しなければならない。私たちはイエ
スがどのような外見であったか何も知らない。画家たちは彼を知らなかった。彼らはただ彼ら
自身の想像で描いたのである。イタリア人画家たちはイエスの顔をイタリア人風に描き、ドイツ
人の画家たちは絵をドイツ人風に描き、スペイン人の画家たちはその絵をスペイン人風に描
いた。それは同様に聖母の顔の多様性を説明している。ラファエルは彼女を愛らしいイタリア
人の少女として描き、ムリーリョは無垢のスペイン人乙女として描き、ジッヒェルは彼女をドイツ
農村の少女に描いた。己自身の国民性の偏見に完全に打ち勝つことのできる画家はいない。
画家たちは単純に彼らの想像を描いたが、その彼らの想像は彼ら自身の心から造りだしたも
のであって、あなたがたや私もそうする権利を持っている。もしあなたがたが肉体にあった日
のイエスの姿を心に描こうとするなら、あなたがたは彼の姿を自分自身の想像に従って形づく
らなければならない。皆さんはそれらの画家たちがもっていたものと同じ権利を有する。
 従って、これが憶えておくべきことである。つまり私たちはイエスの容姿を研究するのではな
く、彼の心情と精神の特徴を学ぶのである。言い換えると、私たちは彼の品性を研究するので
ある。然し、一方、微笑みと渋面、声の抑揚とふるえ、視線と手のしぐさ、これらは失われ、永
遠に失われたからといって、私たちはそれらが世の歴史に重要ではなかったと考えてはならな
い。これらのことすべてはイエスの最も近くに立った人々が感銘を与えられる助けとなった。彼
らはイエスの微笑みを見、彼の目の表現を捉え、彼の笑い声、ため息、すすり泣きを聴き、彼
の歌声に酔った。
 そこで疑問は、彼らがどのような影響を受けたかということである。新約聖書は私たちに、明
確に反対側にある二つの方法によって彼らが影響を受けたことを私たちに示している。ある
人々は彼に反発した。彼らはイエスを好まず、恐れ、嫌悪し、憎み、呪った。彼らの詛いは非
常に悪意あるものとなり、彼らはイエスを殺すに至った。彼らはイエスがこの地上にとどまるこ
とを許せなかった。これが、イエスが一方の人々の心に引き起こした作用である。イエスに引
きつけられたもう一方の人々がいた。彼らはイエスを好み、愛し、崇め、礼拝した。彼らはイエ
スのために死ぬ覚悟があった。決して忘れてはならないことは、ただ一人の例外を除いて、イ
エスの死後イエスの弟子たちはすべて彼らの生命をイエスに捧げた。イエスに最も近くいた
人々は限りなく彼を愛し崇めた。彼らはその感銘を他の人々に伝えた。そしてその感銘が現時
点まで受け継がれてきた。その結果、20世紀のはじめにはパレスチナから何千マイルも離れ
た場所で、彼の名をすべての名に勝り、すべての膝が彼の前にかがめられると信じる人々が
イエスの名によって教会にいるのである。
 さて、イエスの品性に関する私たちの学びのはじめに、キリスト教は地上に生きられた方の
生涯に根ざしていることを記憶したい。キリスト教信条には、凡ての人々が異議を唱えることな
く唱和できる一節がある。「私は天地の造り主、全能の父なる神を信じます。」という最初の条
項を、唱えることを拒む人がいるかも知れない。神は霊である、それゆえ人は神の存在を知る
ことを拒むかも知れない。「私は永遠の生命を信じます。」という信条の最後の節に躓く人々が
いるかも知れない。それは人間の目で見渡せるところを越えた彼方に到達しており、彼らが自
分の目で見ることを越えたことを信じようとしない人々がいる。しかし、その信条の真ん中に、
誰も合理的な反対の根拠を提供できない一小箇条がある。「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを
受け、十字架につけられ、死んで、葬られた。」超自然のことに反対する人々もいる。彼らは通
常以上のことを嫌うのである。よろしい。彼らに通常の事柄をもってはじめさせよう。彼らを自
然の上に立たせよう。あなたがたのうちの幾人かは、キリスト教は地から離れていると考える
かも知れない。確かにその枝は空中にあるが、その根は地中にある。その基礎は哲学の中で
はなく、人類の歴史の中にある。詩中にではなく世の中の経験にある。あなたがたが見る現今
の世のキリスト教のすべては、パレスチナで生き、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、死ん
で、葬られた、この人から出てきたものである。
 私はあなたがたに一つ注文をつけたい ・・・ それは、私のことばについてくる間に、皆さん
がマルコの福音書をはじめから終わりまで読むことである。マルコの福音書は恐らく福音書中
の最古のものであって、すべての中で最も短く、もっとも絵画的であり、謙卑の姿を取られ時の
イエスに最も近づいて見ることができると思われる。もし皆さんがこの福音書を読むなら、私が
これからしようとしている学びにより容易についてくることができる。そして皆さんはこの上ない
品性の歴史のひとつをよりよく知ることになるであろう。
 宗教の事柄を全部聖職者まかせにすることはどの男女にとっても悲しむべき過ちである。ロ
ーマカトリック信者は、すべての事柄を司祭にまかせてしまっているため、私たちの主イエス・
キリストに関する知識、その恩寵に成長しない。プロテスタントもただ教会に来て説教者が語る
ことを聴き、彼自身は神の口から出た神聖で偉大な書に学ぶ熱心な努力をしない。・・・そのよ
うなプロテスタントは、彼自身のうちに深い納得をあたえ、彼の日、彼の世代に力と祝福となる
不朽の知識を建て上げず、散逸するのである。言い換えると、私は皆さんのためにイエスの品
性を研究することはできない。皆さん自身がそれを研究しなければならないのである。皆さん
の研究に対して、皆さんを助けることができる示唆を提供することが、私の望んでいるすべて
である。



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