キリスト者の完全  

21.熱狂者の出現に対する冷静な支援者の勧め



この頃、ロンドンから少し離れたところにいた一友人が私に次のような手紙をくれた。『サタン
がキリストの麦畑に毒麦の種を蒔いたことを過度に恐れてはいけません。それは、殊に顕著な
聖霊の注ぎがあった時には過去においてもそうでしたし、サタンが千年の間しばられるまでは
今後もそうでしょう。その時までサタンは、常にキリストの霊の働きを猿まねすることと妨害する
ことに熱心なのです。』 
それによる憂えるべき一つの影響は、この世が、常に悪き者の腕に眠っていることであって、
聖霊のすべての働きをあざ笑うのある。しかし真のキリスト者たちには何ができるのか? 
もし彼らが彼ら自身に価値があることは行おう思ったら、彼らは、
(1)すべての迷っている魂のために彼らが救われるよう祈るべきではないか。 
(2)優しい心で彼らを立ち返らせるように努力すべきではないか。 
そして最後に、他の人たちの迷いが、「それなしには誰も主にお会いすることができない」魂と
体と霊の完全な潔めを熱心に捜し求めることに関する彼らの訓練を損なうかも知れないことに
ついて、祈りと警戒の両方をもって最大の配慮をすべきではないか。 
事実この完全な新しい被造物は、まことに狂気の世界の狂人である。しかし、それにもかかわ
らず、それは神の御心であり神の知恵である。私たち全部をそれに従わせよ! 
しかしこの教理に包含される全体的な内容を主張するある人々は、あまりにもしばしば至高者
を制限する罪に陥る。神はご自分の望むままにご自分の賜物をお与えになる。それ故、ある
人が潔めの御霊を高い程度で受け取ることができる前に、信者としてどれくらいの期間を必要
とするかを確言することは賢明でもなく謙遜でもない。神の通常の方法はひとつであるが、神
の主権的な御心は他にある。神はご自分の業を急ぐにも遅らせるにも双方に賢い理由をお持
ちである。
あるときは、神は急いで予期しないときに来られるし、またあるときは私たちが長い間彼を捜し
求めるまで来られない。
事実これは長い期間に渡る私の見解である。信仰生活において人々があまりにもわずかしか
進歩しない大きな理由のひとつは、彼ら自身の冷淡さ、怠慢、そして不信仰にある。
そしてここで私は今なお信者について語っているのである。
キリストの霊が私たちにすべてのことについての正しい判断力をくださいますように。そして、
「神に満ちたものすべてをもって私たちを満たしてくださいますように。」そうすれば私たちは、
「完全で、瑕のない、欠けることのない」ものとなるでしょう。 




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